見出し画像

△の時代から○の時代へ|カバーが薄くなっているときの注意書き|自分を制限するのは世界中で自分だけだと福田高規先生はいった|ますます芸術や表現が高まっていくきがする


みなさん、こんにちは。
あっという間に8月ですね。

まぁまぁマガジン25号の発売とともに
7月の終わりから九州全域をまわらせていただき、
広島、京都と、たくさんのみなさまとお会いすることができました!
(あらためまして、みなさま、ありがとうございました!)

とてもたくさんの方々とエネルギーの交流があって、
こんなにおもしろいなら美濃でも!と
先日美濃でも、2日間、みれでるせん(おはなし会)をさせていただきました。

そうしたら、何か、あっちで話していてこっちで話してない、
こっちで話していて、あっちで話していない、ということだったり、
話したけれど、何か抜けていたかも、とあとからおもいはじめまして、
このみれいらんちに、思いのたけを、書いてみようということにあいなりました。

(というわけで、今回は、にわかにノッてきた日記シリーズではなくて、
お話会で話してきたあれこれや、お話会に参加してくださったみなさまに、
補足的な内容を、このブログでお届けしようと思います!)

さて!
今回のツアーでは、最新号のお話をさせていただきました。
あるところでは、チャクラの話(今絶賛本をつくっています!)、シアターワーク、あるところでは、福田高規さんの「すばらしい存在」。マコ川村先生のKALGOタッピングは、全部のところでさせていただきましたかね。すべてのお話会で、少しずつ違うお話をさせていただきました。

が! 共通していることがあって。

最新号をあらためて読み直すと、「中庸」に戻る、というテーマが貫かれているなあと思うのです。あくまで、編集し終わってから感じたことです。
お豆奏法しかり、リズ・ブルボーの知恵しかり。

センタリング、っていうことだと思うんです。

自分が自分の中央に鎮座ドープネス、、、じゃなかった鎮座する。

自分の魂が、魂の操縦席にしっかりと座る。

自分がちゃんとセンタリングしている。

自分軸、なんていいかたをするかたもいらっしゃいますね。

昔だったら超絶一流の人(ごく一部の人)しか、この位置を取れなかったのが、
どういうわけだか、この地球の変容とともに、
たくさんの人が、この「中庸」を取れるようになってきている、
その知恵が開示されてるんじゃないのか、というのが、
わっちが今最も注目しているポイントです。

そしてもっというと
世界は、

△(さんかく)から、○(まる)へ変わってきている。
ピラミッド型から、円型の世界に変容してきている。

皇の時代(天縄文理論)など、あちこちで、ことばを変えて、
同じようなことが語られているような気がします。

集団から個を重視する世界への移行と言ってもいいんでしょうか。
弥生的な感性から、縄文的な感性へ、と言ってもいいかもしれないです。


なんかすごい偉い人(スターやアイドル)がいて、「きゃー」となった時代
→△の時代
から、
みんな一緒やん(全員スターやん)という時代
→○の時代へ


なんかすごい教祖様みたいな人がいて、「ははー」と拝んだり従った時代
→△の時代
から、
全員が神、という時代へ
→○の時代へ


なんか、めっちゃ偉い社長がいて、「しゃちょさんッ!」とゴマすってた時代
→△の時代
から、
ひとり、いち職業、あるいは、ゴロゴロぼーっとする時代
→○の時代へ

みたいな感じでしょうか。

で、この大転換期を迎えている、と。

誰がどこからどう見ても、ものすごい時代の変わり目だと思うんですね。


で、この大転換期、ある意味での大混乱期(混乱は△で起こるわけですが)は、
ますます、「中庸」である大チャンスだと思うわけです。

イメージは台風の目みたいな感じ?
中心がいちばんシンとしてる。
安全だったりする。安心だったりする。
そんな感じです。
そこにいるチャンスというか、そうしているとスムーズというか。

中庸でいるために、いろいろな方法があると思いますが、わっちは、セルフケア、自分に集中する、自分を整えて、たいせつにする、そのことで中庸にむかえる、とあいも変わらず思っていますし、最新号のまぁまぁマガジンは、さらに、あたらしい時代のセルフケア、セルフラブの方法をお伝えできたかなと思っています。
(また、セルフケアとは「中庸」に触れることでもあるとも思います。わっちたちの本質は、中庸だからです)

で! おはなししたみなさんに、わっち言い忘れたことがあるんです。
いや、とっくにわかっているよ!という人もたくさんでしょうが、
それはメディアに気をつけてということです。

そうそう、美濃でお話したある日は、「ビッグモーター」のこと知っている人がいなかった!!!! すごいですよね。
これって、「世界が自分の中の潜在意識を映像として映し出しているものだ」と仮定すれば、ですよ! みなさんの中に、ビッグモーター的な、第3チャクラ炸裂な、そういう記憶がない、ということともいえる!! と、一人家に帰って感心していたのですが、、。

そう、△の世界にいたら、「いやー、こんな大きなニュース知ってないといけないんじゃない」って思う人もいるかもですね。でも、ニュースって知らなければ知らなくていいものばかりなんじゃないかと思うんです。
△の世界にいたら、広く社会や世界のこと知ろう!っていうことだと思うけど、じゃあ、知ったからって世界は社会はよくなったのか? ムーンってところですよね。これって、反知性主義みたいなことではなくて、面倒なことから遠ざかろうということでもなくて、わっちが感じているのは、「今って、ある意味で、もう戦争中なんじゃないのか」ってことがベースになって発言をしているのですが……。

「今が戦時中だ」なんていったら、おかしいかもしれないけれど、でも、どうなんですかね、この混乱っぷり、人と人とが分かり合えない感じ、近くの人同士も意見が全然違う感じ、何が正解かもうわからない感じ、圧のある感じ、ある意味で、そういうムードでいっぱいだなとも感じるんです。だから、何も知らなくていいということではなくて、△の世界は、時にチラ見したりしたとしても、また見なかったとしても、もっともっと、そういうことではなくて、本質的に、平和に、自分軸を持って、知性も持って、愛も持って、誇りも持って、調和して、つまり○の時代へ、先に自分がなったらいいんじゃないかということをいいたいんです。(○が好きな人は、っていう前提はありますが。△が大好きな人もいますし、それもいい・悪い、正しい・正しくないではないともちろん思っています!)

すっかり○の時代が来る前に、先に、もう自分が○状態でいる。皇の時代では、半径40センチ皇の時代になるって言ったりしますが、本当に、周りがどんなに△状態、ピラミッド状態だろうが、自分はシンと、○になっていられる、そういう方法があるだろうと思うのです。選べるはずだという確信があります。

福田先生も言ってます、自分を制限するのは世界中で自分だけだって。

で、その時に、自分の中の△時代の傷のクリーニングであったり(傷があると、その傷から世界を見てしまう)、この世界を見ているのは自分の中の記憶が見せているのだという視点を持ったり(ホ・オポノポノだったり、ある意味ではリズ・ブルボーの知恵もそうですね)、ということが大事だというお話もお話会ではさせていただきましたが、それと同時に、繰り返しになりますが、

◎メディアから距離を置く
◎周波数の高いもの、自分がここちいいもの、おもしろいものに触れる

ということが、
心底大事だなということなのです。

今、皇の時代でいうと「カバー」が薄くなっているそうで!
そのことを本当に思うんです。
すぐに誰かの影響を受けやすいというか。あちこちでそういう話を聞きます。
「カバー」が何なのか? よくわからないですけれど、体感としてはわかる。

今回のツアーは、最新号をお届けしたい! この本の魅力をお伝えしたい! 何より読者さん、ラジオのリスナーさん方にお会いしたい! その一心で、あちこち巡らせていただいて、それはそれはたのしい思いばかりをさせていただきましたが、正直、観光するとか、ただ旅をするとか、そういうことには興味がなかったんです。というか、カバーがもう薄いし、どこにも行きたくない。そういう気持ちです。世界がわやくちゃなのも(このツアーちゅうも)ときどき垣間見てました。

ただ、今というときは、台風の目の中心で、「中庸」になることだけを考えて、じっとしていたい。その中で、自分のコップをしっかり満たして、クリーニングして、そうして、世界に役立つことを、自分から溢れたもので差し出したい。そういう気持ちです。

だから、もし、今、この文章を読んでいるあなたが、エネルギーが枯渇していたり(自分というコップにエネルギーがなくなっていたり)、何をしていいかわからなかったり、疲れていたり、やる気がなかったり、自分を責めたりしていたら、とにかく休んでいただきたいんです。立ち止まっていただきたいんです。勇気ある下山というか、何より、やっぱり、「ゴロゴロぼー」っとするのが正解だと思うんです。ここは、てらいなく。罪悪感なく。かつての昭和な常識から外れて。

なぜなら、今、大転換期、大混乱期だからです。

台風の時、外に出ると、あぶないですよね。
あんな感じ。じっとしているのが一番です。そのことを責められたりしませんよね。お願いだから、じっとしていてって話かなと思っています。
自分の中に傷があるならなおさらです。傷がますます疼きます。

そういうわけで、もし、この話にピンとくる方がいたら、
どうか、絶対に誰かと自分を比べたりするのをやめて、お母さんやお父さんやお爺さんやお婆さんから言われた△時代の社会通念を鵜呑みにしないで、また△時代の常識を当てはめて(職業を変わっちゃいけない、とか、仕事を頑張らないといけない、とか、)苦しくなるのではなくて(たのしく頑張っている人はいいと思いますが!)、本当に勇気を出して、立ち止まって見ていただきたいなと思います。

わっちは、今、いくつかの本をつくっていますが、皇の時代や、マーマーでご紹介する知恵に触れて、本当に△の世界から、ガンガン離れていっている人たちが今大勢います。

もう全部やめて、全部捨てて、○を選んだ人たち。

そういう方々の本を今準備していますが、すごい勢いで、人々が○へ移行しているのを感じます(もちろん、何度も言いますが、どっちがいい・どっちが悪い、とかじゃなくて、△も○も好き好きで、自分がたのしいほうを選ぶのがいいと思います)。

何より、中庸である、とは、なんとも気持ちがいいものです。
そこへ向かっていく道は、とてもたのしいです。
毒出しもあるけど、いい方向へ向かっていると確信しながら、向かっていくのはとても自分自身を力づけます。

そうそう、冷えとりも、進藤先生が、上のほうばかり優遇されて、下に冷たい社会、を、人々のからだから、下に厚く、上に薄く、と考えられたものでした。つまりは△社会から、○社会へ、身体でもって、変わっていこうというそういう思いを秘めた健康法だとわたしは受け取っています。実際、わたしは、△な自分から、○な自分に少しずつ変わっていたのを感じています。

もっと言ったら、わっちは、△社会の落ちこぼれだったんです。はみ出しものと言ったらいいか。全然△に馴染めなかった。楽しくなかった。そういう人は、○社会を生きる大チャンスかもしれません。
発達しょうがい(神経発達症)だって、△の世界から見て、「しょうがい」な訳で、○の世界では最先端の最も最適解かもしれないなと思うわけです。

何が正しいかは、日々、移ろっている。

今日のおはなしは(おはなし会の補足は)

◎○の世界を選ぶなら、先に自分だけ○になってしまう
◎△社会の情報から距離をとる。鵜呑みにしない(何が真実かかなり怪しくなってきていると思います。これからますますそうなると思います。意見と意見は対立し、混乱し、わやくちゃになっていく。毅然とした、本物の知性を持って、静観する時かなと思います。台風の目感覚で)
◎周波数の高いもの=ここちよいもの、おもしろいものにいつも触れている

そんなことがこれからますます大事になるようだなと思います。

台風の日、ちらっとでもドアを開けると強風がビュワンと入り、ガラスが粉々になってしまうかもしれないですよね。そんなイメージ。怯えることもないけど、自分の家=自分の内側をしっかりあたためて、愛して、すばらしい場にして、そこにしっかり鎮座ドープネスすることが大事かなと思っています。

そしてね!

もう一つ思っているのが、こういう時は、芸術は、ますます素晴らしく発展するだろうということです。わっちの大好きなアストリッド・リンドグレーンが、わっちの大好きな『長靴下のピッピ』を書いた時、確か、戦争中だったと記憶していますが、世界の混乱期は、自分の表現、自分の芸術、いや、何も高尚なことを言わずとも、日々の料理づくりだったり、日々のメイクでも、日々の落書きでも、なんだって、存分にそこにダイブして、たのしむとき、という気もします。

「自分のなかが十分に平和な人」が、ひとりでも、この世界にたくさんいる。
そのことは、大転換期をスムーズに移行させると直感します。
その人がたとえ、何もしていなくてもです。何もしていない方が世界に貢献しているかもしれない社会になってきたとも言えるんです。それなら、楽しいことを日々見つけて、からだを動かしたり、こころを動かして、おもしろがりたいなと思います。

わっちもますます本づくりと本の執筆に、自分を投じていこうとワクワクしているところです!!

本当に、△時代の夢から醒める時がきているんだなあとつくづく思います。


また明日も続きをかかせていただきますね!

コメント欄もよかったらお書き込みくださいませね!

服部みれい、ど、え、し、た!!


チャオ酢!






ここから先は

0字
2021年からは、「声のメルマガ」から、飛び出して、 こちらで、さらに自由に、ブログを書かせていただこうと思っています。

みれいらんち

¥500 / 月 初月無料

服部みれいの自由な場です。「みれいらんち」としてブログをアップしていきます。わいわいおしゃべり、よかったらたのしんでいってください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?