国債は最後まで持ち切れば損をしないか

国債の投資家は、しばしば、金利が上昇したら含み損になるものの、最後まで持ち切れば損をしないという言い方をします。下記が 通常の利付国債のキャッシュフローですが、国債の場合、社債などと違って、クレジットリスクは通常捨象されるので、最後は100円で償還されるよね、という議論が展開されます。


金利上昇に伴う含み損は確かに売却しなければあくまで時価評価の結果にすぎません。あくまで今のカーブで評価したら、〇〇円の損失が計上されますよ、あるいは、今の高い金利環境で国債を売ろうと思ったら、単価を低くして、市場に合った利回りにしなければ誰も買いませんよ、ということです。このあたりの議論に関心がある人は、私が記載した「金利リスク入門」をみてください。

ただ、「国債は最後まで持ち切れば損失をしない」という議論は調達コストを捨象していて、基本的にはおかしな話だと思っています。国債などへ投資を行うこととは、調達コストと投資先のリターンの交換を意味します。そのため、銀行や生保が国債を購入するとは、本質的に、預金金利(保険料)を支払い、国債からリターンを受け取るという経済行為になります。デュレーションとは、そもそもイールドカーブが平行移動するリスクを捉えるので、金利が上昇するとは長期金利だけでなく、短期金利も上昇していると想定しています。そのため、デュレーションで想定するような金利上昇が起こった場合、当然、短期金利が上昇し調達コストも上昇するため、もちろん、損失が増えることを意味します。

逆に言えば、日本でしばしば「国債は最後まで持ち切れば損をしない」という表現が成立するのは、長年低金利政策がしかれていたので、預金金利など短期金利が低位で安定していたということがあります。つまり、デュレーションのようなパラレルシフトではなくて、預金金利の低位安定を前提とした、ベアスティープのような金利上昇を暗黙のうちに想定しているということです。

広報誌「ファイナンス」 (mof.go.jp)

もっとも、今回、米国で取り付けが起きたのですが、短期金利が上昇していき、金融機関の調達コストが上がっていく局面であれば、安全資産を資産サイドで持っていたとしても損失を計上しないということにはなりません。仮に、資産サイドのデュレーションが長い場合、長期的に金利を固定する行為ですから、負債サイドの調達コストが上がってくると、そのダメージは大きいといえます。

米国の議論が日本にそのまま適用されるかというと、そこには留意が必要です。仮にYCCをやめるとなったとしても、短期金利をどこまで上げるかは未知数です。そもそも日本ではYCCの前に、ゼロ金利(ないしマイナス金利)を前提にQQEなどを実施してきたので、米国のようなペースで利上げをしていくようには思われません。

さらに、日本は米国のような複雑な金融システムを持っておらず、相変わらず銀行中心のシンプルな金融システムを有しています。確かに、個人の資産運用が進んでいるという指摘もあるかもしれませんが、米国のようにMMFと銀行預金が競合関係になるような市場にはありません(米国のMMFと預金の関係については私が記載した「米国MMF入門」を参照)。したがって、我が国で銀行の決済性などの利便性が相対的に高いこと等を考えると、仮に短期金利が上がる局面で、預金金利がただちに上昇するということになるとは限りません。

その一方で、長年の低金利政策により、地域金融機関が様々なリスクテイクを増やしてきた点も看過できません。ある地域金融機関が金利上昇などで大きな損失を被ったことがわかれば、そこに預けたくないという人は少なくないかもしれません。おそらくですが、SVBの破綻を通じて日本で利上げした場合に金融機関が抱えるリスクについての考察が進むと考えます。

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