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最近ぐるぐる考えてしまうこと

ある日のこと。人が良くて優しい人たちと話していた。

私 「じゃあどんな人が"仕事ができない人”なんですか~?」
相手 「そりゃ、精神障害持った人とか。どうしようもないのよ。」

一瞬息ができなくなった後、ふう。と一息ついた。たまにこういうことを言う人だった。

またまたある日のこと。優しいがゆえに少し容量が悪い人を「仕事ができない」と貶している人がいた。

うーん。なんか、嫌だな。

最近、いわゆるグレーゾーンの人の生きずらさに注目した漫画をよく読んでいる。有名なものだと、「ケーキの切れない非行少年たち」。

本人たちがいくら頑張っても、周りから見るとサボりだとか、迷惑にしか見えない、ということ。そして、客観的にみても大なり小なり、どこかに何かしらの影響がでてくること。「集中力がすごい」とか「障がいをもっているからこそのセンスだね!」とか、そんな言葉ではどうにもできない現実が、そこにはある。

昔、自分と一番距離が近かった人を思い出す。大学一年生で、ずっと留年の危機だった。授業に対して文句ばかりを言っていた。

こんなの覚えて何になるんだ、と言われて「そういうことは考えずにとりあえず覚えたらあとでつながるんだよ」と答えた私。
テストの点が悪かった、に対して「あんなにずっとゲームして勉強してなかったらそりゃできないでしょ」と(さすがに言いはしないけど)思ってしまった私。軽く「ゲームの時間減らしたら?」と言ったら、「これが僕のルーティンだから崩せない」といわれた。

「そんなこと言う。。。?」みたいなことを言われ、傷ついて、けんかすることも多かった。
何回「聞いてもないのに勝手に診断するのやめて」って言っても「君は強迫性障害じゃないか」「この病気を持ってるんじゃないか」って言われた。「医者じゃないあなたがわかることじゃないじゃん」といっても、「僕は生物学を学んでるんだ!」といわれた。

彼は、高機能自閉症だった。

彼と喧嘩したとき、大体最後は自分が我慢していた。「しょうがないじゃん、自閉症だから」といわれたら何も言えない。

勿論必死で寄り添おうとはしてたし、言われたときも、「これは自閉症の特性だ」ってわかってはいた。でも、聖人のような対応ができてたか、と言われたら自信がない。もしかしたら、「サボってるな」と思ってたことがばれていたかもしれない。

また話が飛ぶが、朝井リョウの「正欲」という本が大好きだ。

「自分が想像できる“多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」

朝井リョウ 正欲

自分がマジョリティで、マイノリティを「認める」「受け入れる側」だと思い込んでいる人の浅はかさ、(皮肉な意味での)めでたさについて指摘している本だ。

完全にマジョリティな人なんて存在しない、と思う。みんな、どこかの場面でマイノリティになる。

「スマホをすぐになくしたり、誰かと喋っている時に、他の誰かが会話していると、何を言っているかわからなくなったり、優先順位を立てられなくなったり、衝動的に判断を下したり、話題が飛んだね、と言われたりする」
こんな自分の特徴にも名前がつく気がする。この特徴に気づかれたとき、私は誰かに「仕事できないね」といわれるのだろうか。

だから、寛容でありたい。自分がマイノリティの立場になったときに、自分にやさしい社会でいてほしいから。
でも、寛容になれなかった自分もいる。だから、冒頭の発言を批判する権利が私には、多分、ない。

最近、ぐるぐると考えてしまう。





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