今日、障がい者になる可能性。『やまゆり園』事件を考えて。
忘れられない虐殺事件
2016年7月26日深夜、神奈川県 相模原市 知的障がい者 施設『やまゆり園』にて、戦後最悪と言われる、重軽傷者 27人、さらに19人が刺殺されるという、虐殺事件が発生しました。「話せない程の障がい者は、社会のお荷物だから殺害する」との身勝手な考えでの凶行でした。
犯人の植松 聖(うえまつ さとし) 26歳は、過去にこの施設での勤務経験もあり、当時、かなり期待されての採用だったそうです。しかし、3年半程のちの退職は、表向きの理由は自主退職とされていますが、実際には施設側から辞めてくれと言われての退職だったようです。この状況から考えても、彼自身に何か問題があったように考えられます。実際に「障がい者って可愛い」等と、完全に障がい者を見下した発言を、友人等にしていたそうです。そして、その退職の経験が彼の心に歪んだ感情を作り、犯行を決意させたとも思われます。
狂った考えは、彼だけじゃなかった。
彼の犯行動機は、世間に広く受け入れられる物ではなく、実に身勝手な考えに多くの人が、戦慄を覚えたことでしょう。
しかし、ネット民を中心として彼に同調する者や、そう言った考え自体に理解を示す者が、匿名性の保たれた中で散見されました。もともと若いネット民には、身近な障がい児童の事を『ガイジ』と揶揄する風潮があったので、こういった反応は、当然と言えば当然の事だったのかも知れないと思います。
さあ、皆で考えよう!
彼のそういった考えに、理解を示した人は良く考えてみて下さい。一般的に障がいを持った方達は、いつ障がい者になったのでしょうか?
生まれつき? 幼い頃?それだけ?物心つく前から、障がい児として生活してきた人が、沢山いらっしゃるのは当然ですし、幼い時期に障がいを背負う可能性は当然高いです。しかし、無事に成長して大人に成ったとしても、誰もが今日、障がい者になる可能性があるんですよ。明日も、今日と同じように過ごせる保証は何処にもないし、誰も保障してくれてないんですよ。
病気、怪我、事故、その他にも色々な事で、理不尽に障がいを背負う可能性があります。それは、いつ何処で貴方に襲いかかるかわかりません。その時、貴方は障がい者になったから、社会のお荷物だから、意思の疎通が出来なくなったからと、他人の身勝手な思想に、命を奪われて納得出来ますか?諦める事ができますか?自分が、明日その立場になると思って、もう一度、良く考えてみて下さい。お願いいたします。m(._.)m
最後に。
『やまゆり園』事件の犯人植松 聖は、裁判で死刑判決を受け入れてか、上告はせず刑が確定。逮捕から裁判、そして拘置所でも、反省の言葉も被害者遺族への謝罪の言葉も態度もないまま、2020年3月31日に刑が執行されました。
彼の信じた正義は、立場の弱い人の犠牲の上にしか成り立たない正義。それは悪でしかないんだと、私は思います。
被害者の方々の御冥福を御祈りいたします。
最後になりましたが、被害者遺族の方々、『やまゆり園』の関係者の方々には、御迷惑かとも思いましたが、どうか私の意図を御察しいただければ幸いです。
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