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生きづらさを感じているボクやあなたに問い掛けたい〜何故あなたは生まれて、今いるのか〜

もしもの話ですが、仮に寿命が残り3時間だと
分かってしまったとしましょう。
皆さん、最後まで笑顔でその時を迎えられる自身はございますか?
どうも、発達おじさんです。

冒頭部分と関係の無い話ですが、私は物凄く気が短うございます。
関西弁で言うところの「イラチ」です。
本質的にも気が短いのでしょうし、ADHDという障がい特性的にも
衝動的な感情に振り回されるという事が多いです。

今日は「あなたはその生きづらさと上手に付き合う方法を見つける為に
生まれてきて、今生きているんですよ
」という話をさせていただきます。

さて、今日の目次はこうなっております。

1.なぜ私たちは生まれたのか?

初っ端から哲学&スピリチュアルフルスロットルでございます。
確かにスピリチュアル界隈ではよく耳にするセリフですね~。

じゃぁ西洋医学的に生まれた理由は何かと申し上げますと、
精子と卵子が受胎した結果、チャンチャンでございます。
それ以上でもそれ以下でもございません。

では、西洋医学的に生まれてから生きづらさが発生したら
どうするかと申し上げますと、
症状を緩和させる為に薬が処方されますね。
場合によっては病院に入院する場合もございます。
状況整理のためにカウンセリングを受けることもございます。

私も心療内科に通う身でございます。
私の主治医は東洋医学も西洋医学もどちらも良いところを
取り入れていらっしゃるのですが、
その主治医が私に仰ってくださった言葉で、

「人にはそれぞれ生まれてくる理由ってあると思ってて、
 生きづらさを感じているなら、
 その感じている生きづらさから何か学ぶ為に生まれてきたって
 思っておいた方が楽やで」

これ、強烈に覚えております。
『あ、「ドクター」と呼ばれている方ですら、
こういう感覚を持ってらっしゃるんだな』と。
良い意味で親近感が湧きました。

少し脱線しますが、日本神話系スピリチュアル界隈話で申し上げますと
諸説ございますが、人は生まれて来る時に、天之御中主神様
(アメノミナカヌシノカミ。日本神話における造化三神の一柱)と
「私は次の人生でこんな修行をして、これだけ生きます」と
約束をするという話を伺ったことがございます。
余談ですが、日本神話(古事記)で天之御中主神様は
天地開闢(かいびゃく)の為に最初に現れた神様でいらっしゃいます。
さて話を戻しましょうか。

人の数だけその方が生まれてきた「理由」があると思っております。
〇〇を成し遂げるとか、〇〇を勝ち取るとか
ポジティブな理由もございましょう。
その一方で、そんなポジティブ要素が見つからなくて
むしろ〇〇だから生きづらいとかしんどい、の方が多くないですか?
そんなんばっかりですよ。発達おじさんですもの。
生きづらさがあまりにも多いものですから、
「望んでもないのに何で生まれてきたんや?」とすら思ってしまいますが、
そういうもので良いのです。

2.なぜ私たちは生きているのか?

実は先ほどのピリチュアル寄りなところにヒントがございます。
そう、生まれる前に人生でやるべき事を約束して生まれてきているのです。
「次のステップに進む為に、〇〇年掛けて~という修行をしてきます」と
自分で決めてきていると伺っております。
スピリチュアル的な話に抵抗がある方は、
この言葉はサラッと流していただいて結構でございます。

とにかくまず、生きていることに意味があり、
生きていく中で何を感じ、何をするか」が大事になってきます。
これまさに私が大好きな言葉、
人生は思い通りにならない。行動通りになる」ですね。

とかく人は生まれた意味や生きている意味を問いたくなります。
ままならぬことが多いからこそ、
「こんな事に意味があるんなら知りたいわ」となってしまうのも、
無理もなからぬこと。
ただ、そこでちょっと視点を変えてみては如何でしょう。
「そうか、しんどいことに意味は無いんか。
 むしろ、自分が「なんでしんどく感じるか」を知って、
 しんどくなくするようにどうしたらええか考えたらええんか」
てな具合でございます。もうここまで来たら目的地は目の前です。
もし私のこの投稿をご覧になられている方の口癖が
「生きててもええ事無いな~」なら、
その口癖が変わる、ひょっとしたら別の言葉に変わるかもしれませんよ?

3.それでもまだ生きづらさを受け入れたくない場合

ピアサポーターとして障がいをお持ちの方の就労支援をしている私も、
この3.のケースの方と多く関わらせていただいています。
関わると申しましても、スピリチュアルに関わるのではなく
あくまで障害福祉の就労支援員としてですけれどもね。

利用者の方々のみならず、実は支援員もまた同じ人間。
障がいだけでなく、後天的難病や後天的なハンディを負う方も
多くいらっしゃいます。
そういった方とお話をさせていただいて共通して感じるのが、
「あの頃は出来たのに」と出来ていた頃のご自身と比較して
出来ない今のご自身を責め立て
ておいででございます。

私もピアサポーターの一人です。
似たような境遇も経験していますし、
現在進行形で離婚、離別という現実と向き合いながら生きております。
何より人生48年のうちほぼ丸々、他の方や自分の理想像と比較しては
現実の自分を責め立てていた私がおります。
「辛かったですか?」と聞かれたならば、即「そりゃ辛かったです」と
開口一番に申し上げます。
何ならそれで私自身の命を自らで絶とうとしていた訳ですから、
似たような境遇で苦しむ方々の気持ちが、
分かるとは言い切れませんが、
「分からないレベルでは無い」と思っております。

ままならぬご今の自身に苦しんでおられる方に接する際に
私が気を付けております事は、とにかく
「辛かった事でしょう。お辛い中よくこれまで生きてこられました」と
しんどく感じられていたそのお気持ちに寄り添い、
しんどい思いをされながらも尚今まで生きてこられた事に
敬意を表する。まずこれに尽きます。
ご自身を責め立てる非を咎めるわけにはまいりません。
頑張れ、と発破をかけるわけにもまいりません。
むしろ「今までよく頑張られましたね」と労うことしか出来ません。

相手の方に気持ちの余裕があるようでしたら、
しんどさの視点を変える事を提案することもございますが、
この3.の方は、正直今までのご自身の理想と現実の
あまりにも激しいギャップに身も心も疲れておいでです。
先日申し上げた「何も出来ない」の「今出来る環境にない」状況に
いらっしゃる訳です。
相手の方の状況にもよりますが、極力今はゆっくりお休みになられて
心身の回復を優先させるよう関わらせていただいております。
ご自身が回復したかな? という時も焦らず、
ご自身の「今出来る」ペースでリスタートしても構いませんよ、と
お伝えしております。

最後は私自身の話と、冒頭の問いかけへの私なりの回答を
お話させていただければと思います。

4.私はどうか?

私自身、今年の3月に心身ともに制御が利かない状況になってしまい
職場の方々には本当にご迷惑をかけてしまう事になってしまったのですが
3月16日から2か月半休職(うち1か月は入院)となっておりました。
精神的な安定は入院してから2週間ほどである程度は回復しましたが、
元来の「イラチ」な性格は中々どうこう出来るものでもございません。

ただ2か月半お休みをいただき、お伊勢参りや室生龍穴神社参り、
OIWAKE PARKでの初ソロ宿泊、八百万の神開運初級セミナーへの参加など
自由に時間を取ることが出来たからこそ
たっぷりと私自身と向かいあうことが出来ましたし、
私自身としっかり向かい合うことで、
私自身の正しい再評価も出来るようになったと感じました。
またnoteを続ける時間が出来た事で、これまではご縁が無かった方や
言葉、価値観と多くご縁を頂けたことは、きっとこれからの私自身にとって
豊かな財産になる事でございましょう。

何より、上司が理解ある方でしたので私の現場復帰を
喜んで歓迎してくださっているのも本当に有難い話です。
まだ、復職していないので信憑性に欠ける言葉にはなってしまいますが、
「一旦休む事は何も悪いことではありません。
 寧ろ今をしんどいと感じていらっしゃるのであれば、
 これからの為に休む事だって必要です」
という事を声を大にして申し上げたいのです。

さて、冒頭の問いかけ。
余命後3時間と知らされて笑顔でいられる自信があるか。
今の私なら、きっと笑顔で受け入れると思います。
何故なら今のこの一瞬が一番幸せだからです。
余命を知らずにおれば、もちろん先の幸せも見たい気持ちはありますが、
何より今が一番幸せでございます。
身勝手の因果を教えていただいた。
別れの辛さを教えていただいた。
私から人が離れていくという現実に立ち会わせていただいた。
そんな私でも必要だと仰って下さった方がいらっしゃった。
辛さしんどさを一つ一つ切り取って見てしまえば、
忸怩たる想いしかございませんが、
それらは全てこれからの私の人生にとって必要なものだ、
学ぶために世に生を受けてきたのだ、
それを教えていただけたのだと感じられたならば、
全ての出来事には結果感謝しかございません。

生まれてきて良かった


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