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銭湯ノート第1回目:出会いもあれば別れもある(大淀町 旭湯 ※廃業)

 この記事は15年以上かけて全国の銭湯めぐりをしている筆者が、銭湯にかかわる由無し事を書き綴ったものです。
 写真は撮りためていませんし、省エネ作成のため文章・画像の引用多めです。問題があるようならコメント頂けたら修正・削除しますので、よろしくお願いいたします。


銭湯めぐりは一期一会

 この記事を書く上で、話のネタにする銭湯を再訪するかどうか悩んだ。一番最初に書くのは旭湯とは決めていたので、とりあえずネットで検索したところ、朝日新聞で2020年に廃業したと紹介する記事が目についた。再訪は無理にしなくていいだろう。
 旭湯には2019年に訪れたから、そこからわずか数年で廃業したことになる。長年行きたいと思っていた銭湯だったから、一度でも旭湯を体験できてよかったと思いつつ、あのお湯にもう入れないのかと残念に思う。
 地方で残っている銭湯のほとんどの立地は、港町か城下町だ。そんななか、商店街とはいえ山奥の町で残っている銭湯は、旭湯だけだったろう。よく頑張ったものである。
 銭湯が再評価されつつある昨今でも、その大半は世代交代もできず、経営者か施設かがダメになればそれで終わり、というところばかりだ。コロナと原油高はそれに拍車をかけたし、朝日湯のように木材で沸かす場合は、経営者の高齢化がいよいよネックになる。番頭と釜焚きの2人体制は夫婦でコンビニのフランチャイズ経営をするみたいなものだ。
 以下は朝日新聞の記事の引用。

”吉野郡に唯一残り、大正時代創業の銭湯「旭湯(あさひゆ)」(奈良県大淀町)がこの9月、閉店した。家庭に風呂が普及して客が減っていく中、番台に座る森脇登美子さん(76)も力仕事をするのが難しくなっていた。旭湯は施設をそのまま残し、活用する方法を模索する。

 旭湯は1925年ごろに創業。脱衣所には創業当時からの「壱(いち)」「弐(に)」「参(さん)」と番号が振られた木製ロッカーが残る。男湯は泉のある風景が、女湯はゾウや鹿などがタイルで壁面に描かれている。井戸でくんだ地下水を沸かした、まろやかな肌触りの湯が自慢だった…”
吉野郡唯一銭湯が幕 大正創業「旭湯」 大淀町:朝日新聞デジタル (asahi.com)

ワビサビかオンボロか…銭湯めぐり適正のリトマス試験紙

 この銭湯の魅力は先人たちのブログが参考になる。特に激渋銭湯の紹介記事は全国の銭湯めぐりをするうえで、最初に確認するほど信頼している。

関西の激渋銭湯【奈良県下】 (sairosha.com)
大正14年創業!奈良県南部の名銭湯『旭湯』@吉野郡大淀町 (by 奈良に住んでみました) (small-life.com)

 地下水を木材で沸かした風呂は42度と銭湯では低めの温度でありながら、45度くらいに感じるほど熱く体の芯まで温まる湯だった。大台ケ原を登山してからの立ち寄ったのだが、奈良から広島に帰るまでの体力がしっかりと回復できた。
 趣味を他人をすすめる際、それを何かと考えるのは楽しい。初心者に進めるカメラは、自転車は、日本酒は…あれこれ想像するだけで時間でつぶれる。筆者は銭湯めぐりを他人にすすめるならどこがいいか、と考えた際に思いついたのは旭湯だった。
 昔ながらの地下水と木くずで沸かした湯、しっかりとした和風建築とタイル絵、つかずはなれずでちょうどいい接客の番頭さんといいところがたくさんある一方で、古さを感じる床と匂いのあるボットン便所もありダメな人にはダメ…総合的にここが大丈夫なら全国の銭湯めぐりが楽しめるというのが旭湯に入った感想だった。

門構え:関西の激渋銭湯から

よしなしごと

 これを営業中に書いていれば、少しは経営者への励ましになったろうか。いや、結局は経営者の体力次第なのが銭湯経営の実情だろう。けしてほめている文章とは言えない。
 それでも、これまでに訪れた銭湯を振り返った「銭湯ノート」が、少しでも読まれて銭湯を訪れるきっかけになれば、筆者はうれしい。
 

記事・画像引用先

大正14年創業!奈良県南部の名銭湯『旭湯』@吉野郡大淀町 (by 奈良に住んでみました) (small-life.com)
吉野郡唯一銭湯が幕 大正創業「旭湯」 大淀町:朝日新聞デジタル (asahi.com)
関西の激渋銭湯【奈良県下】 (sairosha.com)


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