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マラソン大会の戻らない参加費は「投資」ととらえよう

東京マラソン2020一般部門が中止され、規約に基づき参加料1.6万円の返金なし。チャリティ寄付金ではもっと大きい。特例で来年の出走権が付くとは、来年は極端に当たらなくなるということ。ダメージは玉突き拡大する。

大会中の感染リスク自体は、電車などと比べて低いとは思う。でも、たださえ不明点の多い病気。さらに考慮すべきは、マラソン後のランナーは免疫低下した高齢者のようなもの。大会と無関係にウイルスに触れても、感染→発症→重症化、と進みやすく、広い意味では「マラソンのせいで発症した」となりかねない。それが約4万人分だ。地方からの参加者なら地元に持ち帰りかねない。出場すれば知人も応援に集まり、沿道の人だかりはランナーより密集度が高い。やはり妥当だろうな。

では、返金しない点についてどう受け止めるのか?がこのnoteのテーマだ。東京マラソン特有の事情を説明した上で、

市民マラソンのような「参加型スポーツ」への支払とは、「消費」ではなく「投資」である

という視点を説明したい。あくまでも1つの見方にすぎないのだけど、モヤモヤした頭をスッキリさせる効果くらいはあるかもしれない。

大会中止は「みんなでがっかり」しよう

同じテーマで、昨秋台風の時に「大会中止は「みんなでがっかり」しよう - 興行中止保険のコスパ論」を書いた。昨日から再び読まれて好評多く、少し改定 ↓

論点を2つに絞って要約すると(5,000字あります)

損害保険(興行中止保険)を使えば、中止時に返金する仕組みは可能。でも平均的・長期的には参加者が損をする仕組み。使うかどうかの基準は「許容できないリスク」かどうか。
コンサートやW杯ラグビーのような「観戦型のイベント」は主催者による純粋なビジネスであり、委託契約=結果にコミットしているので、値上げしてでも保険に入る事が多い。一方で、市民マラソンのような「参加型のイベント」では、愛好者同士による共同運営の文化があるので、参加者もリスク分担する=保険使わないことが多い。

と整理できるかな。つまり、同情はするんだけど(僕自身も複数くらってるし)、返金しないことの経済学的な合理性は大きいのだ。今回も同じだ。

返金されない根拠

こちらnoteがより具体的に説明してくれた形で、要するに、イベント中止保険の契約対象外だったから。

返金対象は、「積雪、大雨による増水、強風による建物等の損壊の発生、落雷や竜巻、コース周辺の建物から火災発生等によりコースが通行不能になった結果の中止の場合、関係当局より中止要請を受けた場合、日本国内における地震による中止の場合、Jアラート発令による中止の場合(戦争・テロを除く)」(東京マラソン2020大会要項)」

悪天候が、大会側の想定シナリオにあったのだろう。3月1日に冷たい雨や雪、さらに強風までくれば、大量の低体温障害が発生し、熱中症レベル(かそれ以上)に危険。その際に、返金制度を用意することで、スムーズに大会中止を決断できるようにしたいんだと僕は理解した。

この状況は、保険会社にとっても保険価格の設定が容易だ。天気の過去データから確率計算できるから。結果、保険料による上乗せ分はリーズナブルに抑えられる。しかし、いつくるかわからないパンデミックは、計算しようがない。

※追記:逆にいえば、「計算とかどうでもいい要因」=ようするに政治的パワーが発動されたらばこの限りにあらず。選挙結果を気にする偉い人の一声でひっくり返ることはありうるので、まあ、「みなさん投票に行きましょう」とでも言っておきましょうか笑

※マラソン代表決定のMGCでの興行中止保険は、掛金1000万円超えだそう。数十名のトップ選手だけの参加=返金なしで。日本陸連の畔蒜洋平さんnoteより ↓

東京マラソン収支 〜参加費は12%だけ

上記noteでは、「大会運営の透明性は大事だよね、それで納得度が変わるよね」、と書いた。この点、東京マラソンはスーパー優等生だ。

主催の一般財団法人東京マラソン財団は「経営改革プラン改訂版(2019 年度)」とのレポートを公開している。2017年度(H29)の収入は38.6億円。内訳は

・協賛金=スポンサー企業から24.8億円=64%

・出場ランナーの参加費は4.6億円=12%

・東京都は2.1億円=6%(さらにスタート時に8億円出資)

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(図は上記レポートより)

出場者(今回は当選者どまりか)の負担率はわずか12%に過ぎない。1割負担高齢者の医療費のようなレベルだ。そして、市民マラソンなんてなんの興味もない都民(=世間の多数派)も、ランナーの半分くらい=1出場者あたりざっくり8,000円を払ってくれているわけだ。

大会運営の直接経費に限れば2018年大会で約 19.7 億円、ランナーひとりあたり約 54,800 円(「東京マラソンの参加料の仕組みについて」参照)。2020年大会では1.5倍の値上げにより、ランナー負担率はいくらかは上がる。(※参加料返金保険の加入も2020年からなので、その分のコスト増はある)

2020の収支報告は後で出てくるわけで、この情報のない今、儲けすぎだとかアンフェアだとかを推測であれこれ言うのなら、それは無駄。感情の浪費だ。SNSでは目立つけど。(いや、そもそも感情と時間を浪費することを目的にSNSしてるのかな?)

まあ、いろんな見方がありうるところで、

「企業は儲かるからスポンサーしてるんだろ! 勝手に払わせとけ!」

「これだけの大イベントで自治体がたった6%出すだけなのは優秀!」

などツッコミはあるだろう。それはそれでその通り。おカネ出す人たちにはおカネを出したい(利己的な)理由があって出しているし、東京都の金額負担もインパクトに比べればそれほどでもない。

ただ僕のポイントは、

東京マラソンは、みんなでおカネ出し合うことで、実現してるよね?

というシンプルな事実。

大会は「みんなで」作っている

みんながおカネを出している=みんなで大会を作っている、ということ。この考え方をすすめると、

出場者は、部分的ではあっても「大会運営メンバー」である

と捉えられないだろうか?

だから、誰のせいでもなくうまく行かなかった時には、「みんなで一緒にがっかりしよう」というのが先のnoteの結論だ。

「がっかりする」には、精神的なものも、せっかくトレーニングしてきた成果を発揮できない肉体的なものも、そして返金など金銭的なものも、全て含まれる。

この点は興行中止保険とも関係し、「興行型・観戦型のイベント」では、がっかりを主催者ができるかぎり被る(かわりに、儲けも貰う)事が多い。その仕組を提供する(そして儲ける)のが保険会社さんだ。

これを経営的な視点からいえば、1.6万円を支払った出場者とは、

・「大会出場というサービスを提供される消費者」というよりも

・「大会の実現のために資金を提供した投資家」である

と捉えられないだろうか?

参加者は「大会への投資者」である

つまり、今回の幻の出場者のみなさんは、

将来に渡る東京マラソン成功させるために1.6万円を投資した、いわば株主である

と捉えることができる。自分さえそう決めれば、そうなることができる。

大会側がランナーをお客さん扱いするのは良いことだけど、大会側が勝手にしていること。ただ、出場者にとって、今が楽しければいいお客さんでいいのか、未来志向の投資家と位置づけるか、自分で決められることだ。

あくまでも喩えであって、リアルな株式会社のような「おカネ出した人が偉い」というわけではないので念のため。「従業員持株会の出資比率12%、経営理念では従業員が主役」的な感じかな。ようするに中の人、メンバーである、というイメージを僕は表現したい。

ここで、大会を実現させるための投資、とは、単なる慈善マインドな利他の話をしているわけではない。

大会の魅力は人それぞれだけど、たとえば、

「その大会にしかない場の力によって、はじめて自分自身の力を本当に出し切ることができる」

だとしよう。すると、自分が満足できた時には、同時に、大会側も成功しているはずだ。逆に、大会が実現しなければ、自分のアスリートとしての自己実現もできない。自分自身と大会とが共同体となっているわけだ。 

そもそも僕らはなぜ走るのか?

そもそも的に、わざわざ、こんなこと(笑)をしているのが市民アスリート。その動機の1つには、広い意味での「自分自身への投資」という要素があるのだと思う。

「投資」とは、自分の大事なリソースを、結果への保証がない状況で、無駄になるリスクも背負って、一時的にでも手放す行為
「消費」とは、おカネを払った対価として、確実に何かを得ることが保証された行為

別に強制する気はない。問いかけたいのはただ1点だけ:

どちらの自分が、より好きですか?

(東京マラソン以外の)大会運営の視点

このように考える背景: ある種の共同体感覚なくしては、参加型スポーツは維持すること自体が厳しいのではないだろうか?

2014.12ブログでは、人口8万人の天草市がトライアスロン開催に1500万円の支出+市職員の大幅動員する負担から休止した事情を書いた ↓

この点、毎年25億円ものスポンサー収入が入り続けるような東京マラソンはモンスターすぎる。トライアスロン国内最高人気の宮古島大会ですら、最重要スポンサーの東急ホテルの拠出は300万円だ(2018.04ブログ↓)

これら大会の差は、まずもって、東京一極集中の効果だと思う。東京や横浜のような恵まれた場所は例外なのだから、焦点は地方側にあてていきたいと思う。

結論

まあ、1ヶ月でもズレてたら開催できた状況だったかもしれず、不運も不運であるのだが。屋外大規模大会にはいろんなリスクがつきものだ。

そんな時に、

大会と自分自身とは運命共同体であり、一緒に成功することも、失敗することもある。参加型競技のアスリートになるとは、そういうことだ

捉える選択肢もあるよ、という話を書いた。

共感してほしいわけではない。そう考えることで、最も僕自身がスッキリしてきたからだ。あなたもそうなら採用すればいいし、それ以外の別の考え方でスッキリするのならそれは素晴らしいことだ。

ちなみに、トップ画像は残念極まりなかった2011伊良湖トライアスロン。3年後に総合優勝、それ書いたエッセイも好評で、著書『覚醒〜』にもつながった。結果的に、このときの経験は「投資」であった。もちろん目標にしていた成果は欲しかったけど、長い時間軸で何かを得ることができればいいんだと、そのときは強引に思い込むことにした。何年かたって、その時には想像もしていなかったものを手にすることになった。

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投資家の思考法を知るために、藤野英人さんの著書を紹介。

彼はオープンウオータースイミングでリオデジャネイロ五輪8位入賞の平井康翔選手へのメンタリング的支援もすばらしかった。平井さんは東京2020出場かなわず引退、早速起業準備中というのがさすがのメンティーぶり。

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<2020.11追記> 湘南国際マラソンの25kmへの短縮も発表された(結局、中止ん&返金に)

このnoteで書いたのは、大規模マラソンのようなイベントとは、ようするに現代の お 祭 り なのだから、「共同体感覚」をもってみんなで作り上げるのが大事ということ。屋外コースを走ることは、大人数でも現実の感染リスクは極めて低いと僕は思うけど、運営が複雑なのが大規模マラソン。今できることを最大限に楽しめればいいと思う。

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