見出し画像

恋愛リアリティ番組、事実と妄想のあいだ

「叩きやすい弱者を探して叩く」イジメが横行するのがインターネット空間、とくにTwitterは。「コイツやっちまったぜ!安全に叩けるぜ!」とよってたかって集まりボコりストレス解消、たのしいのかな?

でも知っておいたほうがいい、そこにある図式を:

事実 → 解釈(or 妄想) → 架空の世界観

「妄想」の力で「架空の世界観」を創り上げてから、その世界の中での絶対権力者として、批評を大展開する。

叩きやすい人物像を創ったあとで叩くのだから、「1ミリの狂いもない!」「本人ツラいけど読んだ方がいい!」てなって当然

さながら鬼舞辻無残さまパワハラ会議室。この場に入った時点で運命は決している:

スクリーンショット 2020-11-04 12.49.55

(画像出典『鬼滅の刃』第二十六話 Amazon Prime Video)

恋愛リアリティ番組もそんなターゲットになりやすい。本能的感情を刺激する分エスカレートしがちだ。そこで、このnoteをワクチンに、わるい菌への免疫力を高めよう。

「小説:高貴なる地雷女」の顛末

この状況は、2020年10月公開『バチェロレッテ』でも見られた。11月2日のたしか昼過ぎ、Twitterトレンドに「地雷女」なるワードが登場。震源地はインターネット空間noteに数十時間だけ存在した小説

それはそれは見事な「創作物」であった。無料公開でほんの1日で1,000を超える「スキ」を集め、11/7現在で1万円となり少なくとも6名以上が購入している名作だ。優れた小説であり、どれくらい優れているかというと、1万円の値段がついているくらい優れている。

優れたフィクションとは、誰もが共感するリアルを土台に、想像力でふくらませることで、架空のものもリアルだと思わせるもの。たとえば『半沢直樹』は裏に幾つかの史実を織り込むことで、表のフィクションに真実味だしていた。

その小説も、事実の中に、巧みな解釈(=妄想)を混ぜることで、リアリティある架空の人物像を創造してみせた。そしてその架空人物に対して容赦なき批評を行う。「自分が批評しやすいようにつくられた人物像」に対して。さらに富裕層への嫉妬=ルサンチマンという心理要因も活用し、事実と創作とのあいだの距離感を眩ませて、「当たってる!」「鋭い!」という反応を広範囲に引き出した。このように:

小説家としての見事なスキル。
あるいは、事実と妄想との区別を失わせる血鬼術。

ただ、術が巧すぎたがゆえに、小説ではなくリアルだと思って読んでる人が多いことが僕には気になった。

スクリーンショット 2020-10-31 19.17.52

「あの人物像、妄想で創り上げられたものってわかってる?
 有名インフルエンサーがツイートしたからって信用していいの?」

(画像出典『鬼滅の刃』第二十五話 Amazon Prime Video)

いくら小説とはいえ、実在の人物を改変して「頑迷な地雷女みたい」と評することは、創作の自由とはいえ、あんまりではないか? しかも、ほんの半年前に死すら起きているタイプの番組で? ちょっとした怒りすら感じ、午後2時過ぎに最初のツイート、夕方に当noteの第一バージョンを一気に書いた。

翌11/3夜、同noteは1万円もの値札がつけられ、有料扉の向こうへお隠れに。幻惑の血鬼術は解かれ、僕の当初の目的は達せられた。ただ後の世の平穏を願い、ふたたび人々が術に惑わされることなきよう、考察を残しておく。

「ネット時代のリテラシー」3つの区分

まず、ネット時代のリテラシーについて書く。リテラシー=情報の受け止め方。Twitterなら、ツイートを読んでから、いいね・リツイート・コメントするまでの流れがあり、その中で必要な読解と解釈のスキルだ。

情報には3つの区別がある:

A. 映されたもの
B. 映さていないもの
C. 受け手が勝手に想像しているもの

この枠は、文化人類学とビジネスをつなげている大川内直子さんツイートに沿っている:

エンターテインメントだから、A-B間の区別は番組側がおもしろおかしく切り取ってゆくのは当然。問題は、C=想像部分だ。

A=映されたものをもとに、C.「架空の人物像」を創作し、その人物に対して批評したあげく、「地雷女」と名付ける

それが今回起きたこと。

「高貴なる地雷女note」 解釈の歪み

同文章が、いかに優れたフィクションであるのか=いいかえれば、「事実」をもとに「解釈」を歪めていたのか、順に解説していこう。

まず第一ページでは、分析には踏み込まず、「杉ちゃん振っちゃうの?!」という多くの視聴者の共感を刺激し、ラポール=信頼関係を構築した。手短に文章を終えて「もっと読みたい」と思わせる文章術が見られた。

続く第二ページでは、高飛車キャラに描かれていたコウコウさんを落とすことで、共感をさらに拡大させにいった。

刮目すべきはこの後であった。文中:

❝ 安易に人を下に見て嘲ってしまう軽薄さ ❞

この表現を、筆者ご自身が自ら実践してみせたのだった。「人を見下す」とは具体的にどういうことなのかを、自ら繰り返すことにより、読み手に深く理解させているアイロニー。それはまさに、

❝ あ、ちょっとこういう大学生的なメンタリティのまま来てしまった人なのね… ❞

という事例ともなっていた。僕も東大出身者とかのアイロニカルな知性は理解してるつもりだし、そういうのカワイイと思うよ。

問題は、このアイロニーに読み手が気付いているかどうか

❝ 育ちの良い男性ならば口にするのがそもそもはばかられる類の言葉 ❞

男女同権の世、「育ちの良い女性」に置き換え可能であろう。だとして、続く第三ページでは、「育ちの良い人間ならば口にするのがそもそもばかられるような言葉」の好例を読むことができた。

人を、、具体名をあげると、、Sさんを、、ヒキガエル、と表現したのだ。

ただし有名な童話を引き合いに出しながら、すなわち自分の表現ではありませんよ、というポリティカリー・コレクトな表現として。(コウコウさんだって白雪姫の比喩だから同じだと思うんだけど、匿名小説家とは安全なところから一方的に攻撃するだけのポジションだからOK)

・・・

ここまでが助走にあたる部分だ。いったん整理しよう。

その小説には、こんな特徴がみられたのであった。

事実: 画面に映されたもの (ここは共通)
解釈: 出演者を見下した方向 (氏の独自解釈)
表現: 見下した表現

ベースとなる事実とは、みなが共有しているので、納得しやすい。そこから独自解釈を説明する、その際に、一貫して見下した表現を維持することにより、sayaka氏の世界観へと読み手をひきずりこんでゆく。

さすがは「小説書いたり劇団作ったりして東大に長いこといた人」(noteプロフ)だ。

そして最終章、第三ページへ入る。

ここにきて「事実と解釈の歪み」のリフレインは研ぎ澄まされ、うなりをあげる!  事実(TVに映されたもの)を示しながら、「出演者を見下す方向での解釈」を繰り返してゆく。さながらKing Gnu『飛行艇』で、イントロのギターリフが少しづつ姿を変えながら繰り返され盛り上げていくように。そしてバズりまくったのであった!

続けます。

そのnote:小説は、「事実」と「解釈」について論考するための、優れたテキストとなっている。引用しながら解説したい:

事実: とりわけ子供を早期にもうけることを望むのであれば、「相手を男として見られるか否か」が重要である期間はそう長くない。
解釈: 彼女はただ何重にも「家」に縛られたお嬢様で、裕福なパパと聡明なママの小さな萌子ちゃんであり、そこから抜け出すことができないのだ

(一般論として「ありえる」話ではあるよね、「ない」こともあるよね)

事実: 母は結婚前にそういうこと(婚前交渉)をしないだろうと思って
解釈: 背負っている物、縛られている物の重さ

(そういうもの? ならここはOKですが)

事実: 「父親は来られない」「知り合いのレストラン」
解釈: 父親は「バチェロレッテ」という下品な番組に家をフォーカスされることを明確に拒否した

(え?富裕層は防犯理由で家を見せたがらないの普通だよね? 職業的にも目立ちたくないケースもあるよね? 
 ※なおWIRED「シリコンヴァレーの経営者の警護には、億単位の経費が支払われている」2019.03によれば、アマゾンのジェフ・ベゾス、オラクルのラリー・エリソンは、年間警備費用がそれぞれ約1,600万ドル=約17億9,000万円、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグは1,000万ドル=約11億2,000万円。特に日本では嫉妬の対象になる行動は避けたほうがいい。沖縄のような地域性が強い地域ならなおさら)

(1点、赤ペンチェックを。このようにいろいろなケースが考えられるのに、「明確に」という形容詞を使うのは、東大入試では現代文のみならず英語・社会・数学の論述問題でも減点対象です。気をつけましょう)

そして、小説家としてのsayakaワールド全開となるのが、

❝ 実家の描写が少ないため、どうしてもふんわりとした憶測になってしまうが、お母さまはおそらく・・・ ❞

以降だ。当時の読者のみなさんは、このフィクションとの境目、気づけていただろうか? 「sayaka氏が創造した人物像」に対して書かれていることに、気づけていただろうな? 

❝ 母のような〜 父のような〜 という呪縛があんなに伸びやかな素敵な笑顔を見せる彼女を決して幸せにしていない ❞

これぞsayakaワールド。ただ見事な筆力によって、多くの読み手は、「事実」と「解釈」とのあいだの距離感が失われていたように思われたのだった。

フィクションはさらに進む。ただし、リアリティからはかけ離れて。

❝ バチェロレッテ出演前は名の通ったモデルというわけではなかった彼女が、自分の食い扶持くらいは稼げるだろうが、月に2回も海外旅行に出かけ、高級肉を2㎏食し、お洋服を取りそろえて専属スタイリストを雇い、高級リゾートに頻繁に宿泊し、機材費がばかにならないマイナースポーツを種々こなし、という生活を維持できるほど稼げるとは思えない ❞

sayaka氏は文学畑出身であったようだ。ここは銀杏並木の向かいの経済学部出身者としていわせていただきたい。仮に「萌子名義で好きにできる不動産収入がある」のなら、「経済的に自立できている」ということ。地主とはそういう社会階層であり、遺産相続というシステムにより担保されている。仮に相続した財産ならば本人のもの。それが私有財産制だ。高校の公民で習わなかったのか? いや東大入試に出ないから勉強してなかったか?

そもそも、「家にとらわれる」のは、誰だって同じじゃないのか? その人なりの環境によって、それぞれにとらわれるものじゃないか?
STORES運営するhey社CEO佐藤裕介さんのツイート:

ただ、こういうのは読者の「富裕層に対するルサンチマン」を刺激できる。

ルサンチマン:主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つこと

「相続した財産でいい暮らししやがって!」的なルサンチマン」という(多数派にとっての)共通の敵を設定する。共感され、信頼される。そして、「事実と解釈の飛躍」に気付かせない血鬼術をハメる。

そして、小説はクライマックを迎えた。

❝ 萌子、家を出たら?
  自分が稼げる範囲で生活してみたら? ❞

しかしだ、仮にだが、大地主ならば「生前相続した資産収入の範囲内で生活」できるんだぞ。それが自由経済であり私有財産制だ。相続税の負担は大きいが、それは自分で考えることだ。これを否定するのが半世紀前に流行しかけたが戻りたいのか?

みなさん、高校レベルの社会も勉強しましょうね。

いや、わかっていて、あえて読み手の感情を刺激するために書いていたのか? というか、この点に、一瞬で着火し、爆発的に延焼した理由があるかもしれない。

「親のカネで贅沢してる女へのルサンチマン」仮説

これはよくある「カネ持ち vs. 貧乏人」のバトルとはかぎらず、「おカネ持ち内部でのバトル」もあるかもしれない

「おカネ持ち」といってイメージされるのは、田端氏のようなエリートサラリーマン界の王、あるいは「港区と千代田区住まい。Bentley Bentaygaと488spiderを所有」という設定のこのアカウントのようなキラキラした人たちではなかろうか?

僕がここで取り上げるるのは、そのさらに上の階層についてだ。

社会階層を「役割 × 収入」で分類すると:

<役割>
資本家:  カネ製造マシーンの所有者
エリート: 資本家に雇われた実力者(インテリ出身が多い)
労働者:  エリートに雇われた普通の人

<収入>
ストック: 資産収入(地主の賃料・株主の配当)
フロー: 給料や投資商品売買益

階層×収入の組み合わせにより、お金持ちの中にも、さらにタイプが分かれる。

「役割」の視点では、田端氏は「エリート」階級の王様、毒舌あやたん氏は一代で資本家に入った実業家かな? ならば共通するのは、実力で獲得したポジションにいるということ。彼等の存在価値orアイデンティティとは、「フロー」=価値を自分の手で産出し続けること

あやたん氏が(設定通りに)おカネ持ちだとして、基本はまず「フロー」として獲得されたのだろう。田端氏が湾岸マンションを購入するのも、給与所得(ストックオプションも広義の給与)の転換だ。

一方で、バチェロレッテ主人公とは、所有そのものを本質とする「資本家」階級であり、「ストック」を受け継いでゆく世界だろう。それは「親のカネ」とはいえるが、相続によって「自分で稼いだカネ」ともある、それが私有財産制の本質だ。仮に2億円の優良不動産を親から受け継いだとすれば、年収1000万円近くが「自分の収入」となる。プラスして自分の稼ぎだ。アディダスのグローバル契約だけで結構行くと思うぞ。

この仕組みを否定するのはノース方面の民主主義人民共和国さんくらい。紅くて華やな人民共和国さんは超逆方向に突っ走ってる。まあ20世紀の超大国でおきたサンダース現象とかはこれ系ではあるが。(案の定もめそうだ、、南北朝時代みたいに分裂しっぱなしになるのかな、、その間に「武士の国」が力つけていくよね)

ノースな共和国さんでも否定しないのが家庭環境のパワーだ。偉大な父の子ならば同様に偉大である、という理屈。これは封建制度のようでいて、現代社会学でも「文化資本」として理論化されている。富裕層の文化資本とは、幼少期からふんだんにおカネをかけた良質な体験を蓄積できること。これは「ストック」の強みだ。結果として、富裕階級に育てば、アッパーな文化に詳しくなる。多くの人たちが憧れるキラキラ華やかな世界で、良い仕事をしやすくなるのだ。

福田萌子氏の「スポーツトラベラー」的な仕事もそれっぽい。これまでの世界旅行の経験が仕事をする上では「資産」となる。旅行は消費ではなく投資になる。この仕組み、世の中のゴージャスな仕事についてる人たちの家庭環境を調べてみれば共通するのではないだろうか。

これら、富裕階級だからこそできる仕事、ともいえる。彼女なりに普通に生活しているだけで、AdidasとかOAKLEYとかの超リッチな企業が「おカネを出してでも欲しいもの」を、その人生経験によって、トータルパッケージとして提供できるからだ。

抽象化していえば、人は育った環境からは逃れられない。良い意味でもね。

このように、おカネ持ちの間にも大きな断層があり、おカネ持ちであろうが、ルサンチマンの発動可能性はあるのだ。

ルサンチマン:主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つこと

とくに実力で這い上がってきた自負の強い、一代成り上がり系の方ほど、強いのではないだろうか? 

共通の敵がフィクションを盛り上げる

「高貴なる地雷女note」の大きな流れは、前回noteを参考にしてほしいが、重要なポイントとして、こちら11/2田端氏Facebook投稿が引用した部分が効いていると思う。(※現在非公開部分ですが、当時公開されており、著作権法に基づく引用として問題ないとの認識により引用します)

>大体が経済的にいって萌子は自立した女性と呼べるのだろうか…?アディダスのグローバルアンバサダーというのはそれなりのお給料が出るものだと適当なネット記事で目にしたのだが、それにしろバチェロレッテ出演前は名の通ったモデルというわけではなかった彼女が、自分の食い扶持くらいは稼げるだろうが、月に2回も海外旅行に出かけ、高級肉を2㎏食し、お洋服を取りそろえて専属スタイリストを雇い、高級リゾートに頻繁に宿泊し、機材費がばかにならないマイナースポーツを種々こなし、という生活を維持できるほど稼げるとは思えない。おそらく萌子名義で好きにできる不動産収入でもあるのだろう。でもそれは彼女の力で手に入れたものでは決してない。

経済的に自立できていないから、家にとらわれる。いつまでも縛られる。

「娘」として教育される期間をとっくに終えてなお、経済的に家に依存しており、そんな生活を変える気もないから、いつまでもお嬢様であり「娘」のまま。パパとママの財産だから、パパに似たタイプでないと自分の体を明け渡せないし、「男性として見られる」相手の範囲はすごく狭いし、結婚を考える時、価値観に混乱が生じて大きく取り乱している。

33歳という、女性モデルとしては遅咲きのタイミングで、彼女がおそらく家柄としては「お下品な部類の」バラエティ番組に出たり、バチェロレッテのオファーを受けたりして売り出し始めたのは、遅まきながら彼女が経済的な自立を目指したからではないかと考えてしまう。その結果「結婚できないお嬢様」として消費されてしまうとしたら、悲しい事だし、結婚を望むなら納得のいく結婚を勝ち取ってほしい。でも、妥協を悪いことと捉えるうちは、誰と結婚してもうまくはいかないし、満たされないし、そんな考え方は変わっていくといいね。

萌子、家を出たら?
っていうのは、自分が稼げる範囲で生活してみたら?それでアイデンティティが失われるならもともと大したアイデンティティじゃないんじゃない。

これらは「事実を、妄想により歪めて、新たに構築したフィクション世界線」であるのはしつこく強調しておく。

引用の太字は僕が入れた。仮に、「萌子名義で好きにできる不動産収入」があるのなら、それは「自分が稼げる範囲で生活」できていると言うべきなのは、前noteからさんざん説明してきた。

そこに反感があるとするのなら、上位階層へのルサンチマンではないか? というのが僕の仮説。あくまでも仮説だ。否定は歓迎するが、できれば別の仮説を提示いただけると嬉しい。

この心理が成立するのであれば、世のほぼ全てのネット民からみた「共通の敵」を設定することが可能だ。そこからは独自ワールドを大展開できる。

「学歴エリート階級」からみた「資本家階級」とは?

作者は設定では、「東大の文学系の大学院から専門系編集者へ、夫は研究者、両親は役人+教師」と、典型的な「エリート階層」かつ「フロー収入」の人だ。田端氏もやはり「フロー収入のエリート」だろう。今現在はしらないが、少なくともこれまでは、その立場からここまで上がってきた。社会階層的には下といえる(※あくまでも社会分析の一般論、現実の金額とは別)。

つまりルサンチマン発動条件は用意されている。図式は:

ハイスペ学歴エリート

(「親の力で…」という軽蔑&嫉妬=ルサンチマン)

ストック収入の資本家

「オレ様の住んでるタワマンはオレ様自身の才能と努力で獲得したものだ、だがオマエはどうだ?」的な軽蔑がある。

同時に、その才能努力をもってしても超えられないほどの経済力の差がある。ハイスペエリート路線で獲得できるおカネには限界があり、資産家では兆円レベルまで可能だ。(さらに増えそうになると昔のMSや今のGAFAみたいに規制される)

同時に、「経験したことのない、知らない世界」でもあり、実家の持つセキュリティー的な意味あいを理解できない。田端氏も湾岸タワマンならそんな心配はいらないから。だから空想によって世界観を構築して、批評を展開した。

知らないものはしかたない。それをインターネットを通じて世界中に大声で叫ぶかどうかはあなた次第だが。

以上まとめると、「学歴系エリート階級からみた資本家階級に対する」、あるいは、「フロー収入者からみたストック収入者に対する」ルサンチマンを、明確に言語化していたのが、あの小説だったのではなかろうか。そして田端氏は、こうした時代の気分をじつに見事にすくいあげ、一行で表現された。

彼にルサンチマンがあると言っているのではない。ネット空間の多数派と同じ環境にいる、と言っている。だから彼らへの火の付け方も知っているということだ。

このnoteで田端氏(のTwitterアカウント=当noteでは全てTwitter上に現れる仮想的存在としての氏について語っています)を例にとるのは、彼の時代の気分をすくいあげる類まれな能力に注目しているから。なぜ彼の能力が、今回、あの文章を、あのように取り上げたのか? ここを考えることで、時代の気分が見えるのではないか?

「影響力」による新たな社会階層

11/5に目に入ったこのツイート、「ネット空間での影響力」が現代の希少資源となっていることをうまく表現している。

田端氏もこの定義での現代貴族だ。「他人のリソースを利用して遊んでいる」。会社は株主のリソース、TwitterはTwitter社(とその株主)のリソース。そこで遊ぶことが許されている。凡人には許されない危険発言でも、「あなたなら、炎をつかいこなすスキルがあるから」と容認されている。

この姿に、一般人は憧れる。

この視点からは、今回の一連の「地雷女Twitterトレンド入り案件」の構図とは:

元note作者から:ルサンチマン
田端氏から:  むしろマウンティング

同時に、

田端氏本人にとって: 番組主人公へのマウンティング
彼のフォロワー層に: 主人公へのルサンチマン解消

という二重構造があるかな。「ルサンチマンの対象者に、マウンティングする強者」の姿がウケている。

僕がこのnoteを書いた(+残す)理由

いろんな意見があっていいし、「事実と認識の区別」をして楽しめるなら構わない。ただ、あまりにも無批判に広がった。

さらにはTwitterのトレンドに「地雷女」とまで出てきた。しかし

地雷女、という「見下した解釈」、それでいいのか?

最近おきてきたことから、何を学んでいるのか?

TVで切り取られたストーリーに、筋の通らない発言や行動がみられることもある。その裏には、いろいろな可能性があるもの。東大でも、大学院できちんと研究された方なら、こんな視点をもつもの:

 言論は自由だ。ただし、その扱いによって、ときに巨大な暴力すら発生するもの。しかも自分では気付かないうちに。恵まれた層へのルサンチマンを刺激しながら創作された「わかりやすいストーリー」、それでいいのか?

と最初はちょっと怒って書いたのだが、読み返して、しょせんエンタメじゃん、て気を取り直して、20時過ぎにトーン変えて修正した。しょせんエンタメではあって、「友だちと飲みながら話す内容」としてはおもしろい。

まさに、

❝ 育ちの良い男性ならば口にするのがそもそもはばかられる類の言葉 ❞

を言い合いながら飲むビールは美味い😁 こういう領域にネット内で踏む込みのは田端氏とかも巧い。それは1つの芸。

ただ、それで投げ銭とるんだなあ。匿名で安全な場所から有名人にかみついて。それで買ったおやつは美味いのかな?とも思ったけど、、

まあ、これだけ支持されたって事実もあるんだよな。それだけなにか言ってみたかった、何かを誰かにぶつけたかった、モヤモヤとしたフラストレーションが漂っているってことなのかもしれない。

恋愛リアリティ・ショーの未来

ここまで書くと、ほんと出演者さん大変だよね。特に、女性主人公バージョン「バチェロレッテ」では難しい構造的理由があるから、

だから番組側は、萌子さまが出演一発で決めれるように、最後5人レベルの出演者を1ダース揃えてあげるべきであった!

という説明を11/1のnoteでした通り:

マジでAmazon社、カネあるのに何やってんだよ!得意のアフィリエイトでカネ積んで選考通過ごとに紹介者におカネ入るとかさ!やりようあるだろ!カネあるんだろ!GAFAだろっ!怒!

それでも萌子さんが出たのは、note公式「10月特に読まれた記事」認定の最初のnoteとかで書いた通り、彼女なりの目的あってのことだろう

今回、3月に撮影終了後、当初7月公開予定が、10月に延期されている。その間にあったのは、4月の岡村コロナ風俗嬢失言と、5月のリアリティ・ショー自殺。4月の失言は7月なら忘れられるはずで、自殺のあと、番組側は編集方針の大幅見直しを迫れたのでは?との見方は可能だ。だとすれば、ちょっと中途半端な企画となったとしてもしかたない面はあるが。

今後、特にバチェロレッテ2を作るなら、Amazonマジでここちゃんと考えてほしい。

厳しさはあるが、トータルで、プラスなメッセージ性などを伝えることも可能な形態だと思うから。今回の総まとめ的レビューとして、11/3やまとなでし子さんコラム良き:

結論として、マイナスに関心を集めるのではなく、プラスの発信に集中することを、番組の意味として育てていけると良いと思う。それが恋愛リアリティ番組の未来。

炎上論:1感想と生々しい実体験のあいだ (11/14追記)

最後に1つ。一般論としての匿名批判のデメリット:

今回、このうちで、
・事実誤認をツイートしがち
・舌鋒がきつくなりがち

という点が悪作用したかと思う。

おかげで拡散はし、幾らかのお小遣いは入ったかもしれないが、後に残せる「知的資産」「評価資産」にはできなかったのでは。せっかくの文才なのに、1日で1,500もスキを獲得したのに、もったいない。結局、田端砲にふっとばされたのは、推されたはずのnote作者自身。戦艦大和が46cm砲をぶっ飛ばしたら、発射の爆風でクルーさんが消えてしまわれた的な、

<11/14追記>
とおもいきやSayaka氏再登場。評価資産消滅阻止。せっかく獲得したストックを大切にするのは本文趣旨とも合うから良いことだ。

「笑って読んでくれたりなるほどねぇ、と距離を置いて読んでくれるような読者にしか読んでほしくはない。マウンティングとかルサンチマンとか〜の概念を取り沙汰するような人とコミュニケーションを取ること自体が不毛な時間となる」

とは僕がSayaka氏でも同じことを思うね。1−1の通常の人間関係ならばね。僕だって他人からルサンチマンとか言われたくないし、そもそも僕の文章自体が「叩きやすい相手を設定してから叩いている」。僕の説明と同じロジックで攻撃できるだろう。

このnoteで問題にしたのは、ほんの数時間でTwitterトレンドになるようなSNSを介した空気についてだ。この強い邪気に対抗すべく、こちらも強い概念を持ち出して説明させていただいた。はっきりいえば、抗いたかったのはSayaka氏個人ではなくタバタ砲周辺だ。巻き添え御免m(__)m

ただ新note、かんじんの文章自体の切れ味が足りない感想。浅い感想に終わってる気がする。タバタ爆風のトラウマかな? 値段つけるなら妄想Sayakaワールドを創り上げて読者を没入させたほうがよろしいかと思った。

ご本人よりコメント(文末参照)いただき、ここ:

「精神的に家の呪縛(結婚への高い理想や性的スティグマ)から自由になるのが自分の場合経済的自立ともリンクしていたので」

このリンクこそが、あのnoteを優れた小説作品としていたんだろうと、改めた思った。黄=ハオさんに対してはそんな生々しい実体験がないから踏み込めないのかなと。おもしろい文章てそこなんだよなあ。。

※僕がこのnoteで書いたのは、「萌子さまは既に経済的に自立してる(可能性が十分にある)立場だから、家の精神的呪縛が仮にあったとしても、それは別問題であろう」という話です

結論:生々しい自分の実体験に踏み込んだ文章はおもしろい。あの地雷noteとは、自ら独自のリアリティショーを体現されていたのではなかろうか?

・・・

参考資料:バチェロレッテAmazon Prime Video

鬼滅の刃も26話までみれてわずか月500円!超オトク!😁

『バチェレロッテ』について、あえてロジカル × データ利用 × 社会目線! でドライに分析したnote集めました。恋愛感情などについての分析は他noteにおまかせ!(僕には無理!


サポートいただけた金額は、基本Amazonポイントに替え、何かおもろしろいものを購入して紹介していきたいとおもいます