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9月11日。東京にて19年前のアメリカ同時多発テロが起きた朝を思う

犠牲者は2,977人。ニューヨーク マンハッタンの世界貿易センタービルとワシントンD.Cの国防総省、そしてペンシルバニア州郊外で亡くなられたすべての方に哀悼の意を表します。

爽やかな火曜日だった。マンハッタンの私のアパートの窓からは雲ひとつない、ひたすら青く広がる空が見えていた。当時、アメリカのプロゴルフツアー、PGAの中継を担当していた私はその週に予定されていた大会のために午前中の便でミズーリ州セントルイスに向かうはずだった。荷造りのためにバタバタと部屋を行き来しているとき、低空飛行をしているような飛行機のエンジン音が意外なほど近くで聞こえた。とっさに「これから飛行機に乗るのにイヤな感じ」と思ったのを覚えている。大会への期待と秋晴れの好天気で高揚している心にポタッと暗いインクを落とされたような気がした。あのエンジン音がハイジャックされた旅客機のものかは分からない。それでもあのブーンという音は、あんなに爽やかな朝だったのに、とても不吉なものに聞こえた。

出発の準備に追われていた私は東京に住む母が電話をかけてくるまで事件に気付かなかった。「なんか大きなビルが燃えているけど、あなたの近くじゃないの?」母にそう言われてミュートになっていたテレビ画面の前に行くとNBCのモーニングニュースTodayは煙が上がるノースタワーを映していた。すぐには事態を理解できなかった。                  キャスターのアナウンスに息を呑んでいると、ライブ映像でサウスタワーが崩れた。母の電話から1時間も経っていなかった。そしてノースタワーも姿を消した。あのときのショックは言葉にできない。今もあのときのことを思うと心が震える。空港は閉鎖され、マンハッタンは大混乱となった。

事件直後しばらくはニューヨークの様子をプライベートで写真に撮ったり、記事を集めたりしていたが結局、冷静にまとめることはできなかった。ダウンタウンのオフィスから命からがら逃げた親しい友人の話は自分のことのように怖くて、彼女が生きているということが心から嬉しかった。近くのスーパーマーケットでよく顔を合わせていた地元の消防士たちが犠牲になったことを知ったときは感情的になって泣いた。現場から流れてくる煙や匂い、増え続ける公園に貼られた行方不明の人々の写真の中の笑顔を見ると悲しさと悔しさに押しつぶされた。そして世界が戦争へ動き出す不安もあった。そうした感情が澱のように少しづつ体に溜まっていくような感覚に襲われて、撮りためた写真などをある日すべて捨てた。それらは身近で辛い思い出につながっていて、たとえ持っていたとしても見返すことはなかったと思う。ニューヨークに移住して10年目にやってきたあの火曜日は私の価値観を変え、文字や映像だけで世界を知っている気になっていた自分にとっては非常に厳しい wake-up callとなった。

日本に戻ろうとかほかの街に移ろうとは考えなかった。恐ろしい体験だったけれどあれが終わりではないし、これから街が世界がどうなるのかニューヨークで生活を続けながら見ていく気持ちが強かった。戦争が始まり、世界中でテロが増え、アメリカではイスラム教徒への差別やヘイトクライムが増加した。どこで9月11日を迎えようとも毎年この日は私自身にとって自分の向かう方向や考えを確認する時になっている。

今年はコロナ禍での9月11日だ。

毎年、貿易センタービルの跡地「グラウンド・ゼロ」で行われている追悼式はコロナの影響で今年は大きな変更を余儀なくされている。犠牲者を偲んで、サウスタワーとノースタワー、2本のツインタワーを模した光のインスタレーションは設置に人手がかかることから感染リスクを考慮して今年は中止され、式典では例年のように犠牲者の名前を生の声で読み上げることはせず、事前に録音されたものを流す予定だという。

あと2時間ほどでニューヨークで追悼式が始まる。



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