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手放すこと

先日のこと、ある方の動画から、「バーストラウマ」というものを学びました。

バーストラウマとは、産まれる前のお腹の中にいる状態が100点満点として、産まれた瞬間に、最高の環境から突然外に出されることで、喪失感や捨てられたという感情を抱いてしまうというものだそうです。

この感情が引き金となり、地位や名誉を欲したり、見栄えを良くしたいなどの向上心を引き起こすという点でプラスに働くこともあるそうなのですが、この感情をもとに不必要な見栄や欲求などという形になってしまうことがあるそうなんです。

そもそもが産まれる時に捨てられたわけではないので、勘違いが元になっている見栄や欲求があったとして、その中に、自分にとってプラスに働かない見栄や欲求であったとしたら、そこにエネルギーを使うことってマイナスなのではないかと考え、自分について振り返ってみました。

大好きな車ですが、
自分の生活に必要な性能以上のものを求めていないか?
マニュアル車へのこだわりはなぜ?
マニュアルが好きで運転が楽しい。
他の人と違うことで目立ちたいような気持ちもある。
目立ってどうする?そもそも目立つのか?
と思ったら、運転の楽しみは減るけど、そこまでこだわる必要はないように感じてきました。

アーチェリーでも、カッコいい弓が欲しい!
という理由で買い替えたくなることが時々あります。
今ある弓でも十分なのに?
新しい弓になることで何が得られるの?
カッコいい弓を使うことで、何が変わるの?
点数に反映されるわけでもなく、ただただ自己満足であり、こちらも必要のない欲求と思われ、そもそもカッコいい弓を使いたいというのは、他者からの見られかただと思うんです。

そうなると、自分は他者からよく見られたいという欲求が強いように感じられました。
でもこれって、本当に必要なものなのか?
そもそも、自分がかっこいいと思っているものを身につけることで、他者からよく見られるかどうかは全く別の話ですよね笑

と考えてみたら、多くの欲求を手放すことができました。
それでも欲しいと思って、必要性があったり、自分や家族にとってプラスに働くものはちゃんと手に入れています。
そうしないと、ただただ、全てを捨てるだけになってしまいますので。

また、同じ時期に、お金について、「感謝のエネルギー」というお話を伺いました。

これは、お金というものは善悪はなく、感謝を伝える手段であり、エネルギーですよ。というもの。
また、自分自身を山に例えて、お金を山から出る川に例えて、循環させることの大切さについても
お話しされてました。
川の水を循環させるためには、山から流れた水を使って、麓で農業をして、良い作物を育てていくなど、流れた水の先も大切になるということでした。

つまり、お金を払うということは、感謝を伝えることであると同時に、お金を払う相手も感謝を伝えていける相手であることが大切ということになります。

このことを前述のバーストラウマの話と組み合わせていくと、物が欲しいと思ったときに、何らかの結果に繋がる買い物って感謝のエネルギーが乗ってくると思うのですが、自己満足だけで終わる買い物って、感謝のエネルギーが乗らない気がするんです。

そんなことを考えながら身の回りのもの、買いたいものについて考えてみたら、今までお金を大切に使っていなかったこと、欲しいと思ったものが本当に必要なものなのか、40も過ぎて今更ながらに考え、気付くことができました。

感謝を伝えられるようなお金の使い方をして、感謝に溢れた生活をしていきたいと思う今日この頃です。

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