あやふやな言葉の汀
2023年の4月くらいにTwitterが外部APIの提供を止めてしまった。なんならXという名前に変わってしまった。
それから1ヶ月位して、noteでAI機能が使えるようになりました!ということで書いた文章があった。
Twitterがサジェストしてくるユーザーや投稿のうち本当に役立つというのは市原えつこさんが藝大で学んでいるご様子くらいであったが(キャリアのある人がアカデミアでそれを生かして学びに刺激を与えたり、さらに専門性を伸ばしていく様子はいい事だと思うし見ていて楽しい)、noteでAIがアイデアを提案する機能というのがあるので、最近の様子、というおおよそ適当すぎるテーマで投げてみた。
何個か当たり障りのないテーマが出てきたが、「COVID-19パンデミックの影響により、人々の社会的交流方法は大きく変わった。今後、この新しい生活様式が維持される可能性はあるのか?」「社会的ルートに則る必要がなくなり、自由度が増した現代社会において、若者たちはどのようなライフスタイルを望んでいるのか?最近の傾向からその背景を読み解く。」
文章はここで終わってしまっているが、アルゴリズムは僕の役に立っていただろうか。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり、というノリで、マッチングアプリを始めても、この業界のTVCMが解禁された途端にマッチングしなくなってしまったし、SNSやブラウザがおすすめするのは的はずれなニュースばかりで、知りたくなかったことの方が多く、どちらかといえばあまり役立ってない。
2023年はネット上においてコンテクストがアルゴリズムに圧倒的に負けることが鮮明になった一年であった。
ChatGPTは自然な文章を生み出す一方で、断片的な事実から無意識に嘘と呼ばれる状態を並べ、相変わらず詐欺メールは日本語の表現やフォントがどこかおかしく、Xのリプライには謎のアラビア語あるいはコピーペーストが並ぶ。ネット上の情報はプラットフォームのアルゴリズムによってみじん切りになった末に、世界中のユーザーや生成AIがアクセスすることによりコンテクスト、そしてコミュニケーションは分断する。
一方で我々の言語表現も認識的にも技術的にもくずし字になり、どこか断片的になり、ネットはあやふやな言葉の汀になった。
この言葉の汀の中でどう生きていくのか。明らかなことがあるとすれば、断片的に語られない言葉を編み、それを理解できるのは今のところ、人間のみである、という一つの可能性である。今はまだその可能性にかけておきたい、という気持ちがあるのだ。
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