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2020年の日々へ

2020年が始まってしまった。

ここのところ年が明けるというのは、歳をとったからか、感慨も少なくなり日めくりカレンダーをめくるような感覚になってしまっているところを、なんとなく2013年位から思い始めて、それからというものどんどん加速していった。しかし、2020という数字を見るとその数字の進み方に立ち止まらざるを得ない。
2000年の終わり、小学生だったとき、2001年が来て21世紀になることに大きな夢を抱いていた。いつも暮らしている都市が、昔の雑誌やドラえもんのコミックスにあるような、高層ビルが立ち並び空中に移動用のチューブが張り巡らされる…という都市に変わること。未来予想図に描かれた2001年が来ることに胸を高鳴らせていた。
しかし、そのためには相当大規模な工事が必要なはずなのに、2000年12月になっても工事は始まらなかった。当たり前の話である。明けて2001年になってもそこには20世紀だった時間と変わらない街の姿があったのであった。

そんな失望から20年が経った。

その一方で、2013年、滝川クリステルの「お・も・て・な・し」がもてはやされたあのとき、2020年というのは遠い先だった。あの頃から見れば、国立競技場も完成するか怪しかったが、今見るとちゃんと完成している。夢に見た未来をまたこの街は迎えるわけだけれども、2020年の現実に位置するこの街は、おぼつかない約束の中にあった夢を見せてくれるだろうか。

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年が明けて、2020という数字とともに自分の年齢を意識するようになった。
今まで自分の中で「若さ」というものから逃げてきたフシがある。フレッシュというところまではいいのだけど、そこに勝手に無知とかネガティヴなイメージを付加して、それを理由に早くその向こう側にある「老成」という境地へ至りたいと思っていた。
自分の外見やふるまいがなんだか同世代というより年上の人に似ていたのも、追い風になっていたのかもしれない。同世代の中でのメインストリームに対する反発というか、一つ抜きん出たい気持ちなのかがそうさせていた。

けれども、最近風向きが変わった感じがある。
今年29になるのだが、もう30という遠くに見ていた数字が目前になってきた。いよいよ老成の境地へ至るかと思えば、全然そんなことはなくて、むしろ「若いんだから」といっていろいろな人が色々と気にかけてくださることが多くなった。それが自分を前に押し出してくれているような気もしていて、本当に感謝する次第。
と同時に、同世代の活躍も目覚ましい。自分の聴いている音楽の世界では、知っている人たちがどんどん前に出ていって、どんどん繋がり合っている姿を目にするようになった。
敬愛するバンドもひとつの転機とともに、比較的若いメンバーを登用するようになってとても嬉しいし、同世代の活躍が見れることに励まされている。
自分も今の時間に役割が与えられているとすれば…しっかりとその役割を果たしていかねばと感じさせられる。

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唐突だが年始に皆川明の展示を見に行った。会場の東京都現代美術館に行くのが10年ぶりで迷子になったことは秘密にしておいてほしい。
それはさておき、彼の服を通して人を美しくするという仕事や、それを受け取った人がそれに個々のエピソードを重ねていくというところに感銘を受ける展示であったが、その一角に印象的なフレーズがあった。

私の有限の生命を
無限の生命に変えておきたい

言葉や
絵や
形や
記憶に

それをする為の
日々

有限と無限 ミナ ペルホネン Letter)

自分は洋服や和服のデザインを作っている方に感じるところがあるとすれば、自分が着用しないものを作っているところに、自分は有限な存在ではあるが、ここでいえば服というメディアを通して無限の存在になれるという思いを感じる。彼らは服を作り、誰かに着てもらうことで、自分がなれないものに、なれるのだ。本人達はそう感じていないかもしれないが、そんなロマンチシズムも感じる。

21世紀も始まって19年が経ち、大きなうねりの中にいることを感じる。それと同時に、自分のあり方が有限であるがゆえの不自由を感じて絶望する瞬間もある。しかし、もっと色んな方法や道に目を向ければ、その有限を無限へ変えていくことができるのではないだろうか。その絶望や無意味さに希望や意味を見出していくことができるのではないだろうか。
2020年が始まって2週間、これからはそのための日々に邁進していければとこの文章をまとめながら思うが、明日は朝が早いので、とりあえずおやすみなさい。本年もよろしくお願いいたします。

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