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【一部始終】第十二話 ~失~

 美華子は口を挟むことなく、僕の話を聞いていた。
 まどかの名前が出たとき、少し寂しそうな顔をして、自分の名前が出たとき、大きく目を見開いた。坂本直の名前が出たとき、下唇を噛んだ。
 今更隠し事をするつもりはなく、起こったことをありのままに話した。占い師のことも、水晶に映る映像のことも、すべてだ。
 僕はずっと誰かに話をしたかったのかもしれない、と思った。
 それまで僕の中にだけ存在していた占い師が、黒猫が、ハーブティーが、現実の存在として質量を得た気がした。あれは夢ではない。ようやくそれを、僕の中できちんと認めることが出来た。
 美華子は僕が話し終えても、しばらく口を開かなかった。
 一分ほど沈黙したのち、「今の話を、信じろっていうの?」と静かに言った。
「信じてもらえないなら、それでもいい」
 嘘だ。
 本当は信じて欲しかった。信じて、許して、受け入れて欲しかった。
 異質な占い師の存在を。
 そして、それにすがった愚かな僕を。
 美華子は僕を睨んだ。
「正直に言ってよ。その、坂本ってと浮気してるんでしょ?」
 何を言っているのか、理解が出来なかった。
「浮気?」
「そんな嘘までついて、ごまかすなんて最低よ!」
 美華子は血走った眼で僕を見つめている。視線で刺し殺そうとしているかのような、鋭い視線だった。
「嘘じゃない」
 僕の否定は逆効果だったらしい。
 美華子は僕の胸を拳で殴り、近くにあったエアコンのリモコンを僕に向かって投げた。次は枕、その次は本が、僕めがけて飛んできた。
「どうしてよ! 浮気したならしたって、どうして素直に謝れないの? 本当は知ってるんでしょ? 坂本ってのこと。若いからって調子に乗って、プロット見せたんでしょ!」
「僕は坂本さんと会ったこともないってば」
「なんで認めないの! どうしてそこまでしてそののこと庇うの? 私より、そのの方が大事なの?」
 美華子は僕の話を信じていないどころか、間違った解釈をしているようだった。
「ちょっと、違うって。落ち着いて」
 ぶん、と、音を立てて飛んできた本を避けた。よりにもよって美華子の本だった。
「どうして、どうして嘘ばっかりつくの!」
 美華子がキッチンへ向かい、皿を手にして戻って来た。両手に持った皿を、僕に向かって投げた。
 僕は避けた。皿は書棚の上のガラスケースにぶつかった。甲高い音がした。割れた皿が宙に舞い、ガラスのケースにひびが入り、中のトロフィーが衝撃で倒れた。
「仮にそれが本当だったとして」
 美華子は物を投げるのをやめ、僕を睨んだ。その目尻には、涙が光っている。
「私はどんな反応を返せばいいわけ? あなたが私のネタを使って書いた作品は売れてるわね。私はあれ以来、小説が思うように書けないの。スランプなのよ。だけどそんなこと、誰にも言えなかった」
 美華子は肩を震わせ、目からぼろぼろと涙をこぼした。
「あなたに会う前、私は嫉妬してた。同じタイミングで同じ話を思い付いた人に会ってみようと思って、金井さんにお願いしたわ。嫌味のひとつも言ってやろうと思ったのよ。そうしたら、冴えないただの男の子だった……」
 そんな話を聞くのは初めてだった。美華子は僕の書いた話が面白かったから、会ってみたくなったと言っていた。ならば美華子だって、僕に嘘をついていたことになる。でも、もちろんそんなことは口には出さない。
「意地悪なことを考えた自分が恥ずかしかった。あなたはキラキラしてて、でも、あぶなっかしくて、放っておけなくて……。あなたを見てると、私も頑張ろうと思えたのよ。だから一緒にいたのに……」
 美華子は「でも」と口調を強くした。
「あなたにとって私は、都合のいい、どうでもいい女だったってことよね。本当のことを話す価値もないくらい」
「それは違う。だから」
 美華子は僕の頬に、ぱちんと平手打ちをした。僕は突然のことに反応できず、動きを止めた。
「さよなら」
 部屋から出ていく美華子の後姿を、熱を持ち始めた頬を抑えて見送った。
 もう、どうにもならないと分かっていた。
 散らかった部屋を眺め、ベッドに腰掛けた。深いため息が出た。
 本当のことなど話すべきではなかったのかもしれない。美華子はただ傷付いて、僕を信じられずに去ってしまった。
 でも、隠す気にもなれなかった。事実は事実だ。僕はそれを素直に吐き出しただけだ。
 スマートフォンが光っている。
 誰かから何かのメッセージが来ているらしいことは分かった。不在着信も入っているようだった。
 でも、もうその全てがどうでもよかった。
 どうせみんな、僕のことなんて分かってくれない。最初は優しくしてくれたとしても、呆れた顔をして、最後は悲しい顔をして、僕を非難して、そして去っていく。
 こんなに辛いときでも、僕のそばには誰もいてくれない。この世の誰も、僕の悲しみや苦しみになんて興味がない。みんな、僕のことなんて、どうでもいいのだ。
 田舎の家族の顔が浮かんだ。
 今僕が帰ると言ったら、家族は受け入れてくれるだろうか。
 いや、きっと「甘えるな」と怒られるに違いない。「なんてことをしてくれたんだ」となじられるに違いない。
 僕の居場所なんて、どこにもないのだ。
 僕は、未読メッセージも不在着信も確認することなく、スマートフォンの電源を切った。玄関に鍵をかけ、インターフォンの電源も切った。
 頭から毛布を被り、ベッドの上で丸くなった。いっそこのまま、消えてなくなりたいと思った。

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