理想の生き方

はじめに

僕は農業工学者の端くれである。同時にIBD患者でもある。小学生のころから父の影響で家庭菜園にハマり,将来は漠然と農学系に携わりたいと思って育った。同時に野球も小学生のころに始めた。最初は何となく面白いな程度だったが,気が付くと高校野球・大学野球までやってしまっていた。

大学入学後は野球ばかりしていてロクに研究はおろか授業すらギリギリしか受けていなかった。そんな生活を4年間送り気が付けば修士学生となった。もともと農学系に興味があったので修士はちゃんと勉強してみようと改心してからが農業工学の道へ進む第一歩であった。

専攻の農業工学は別に特段興味があったわけではない。元々植物や栽培が好きだったため,作物学や園芸学など別の道に行こうとしていた。しかし,野球ばかりしていたため良いスコアが取れず農業工学に落ち着いた。機械・通信・ロボティクスなどを農業活用する分野のため,PCなんてほとんど触ってこなかった当時の自分は何もかもが新鮮だった。勉強していくうちに興味が沸き面白くなっていった。

小学生から合わせて16年間くらいは野球を念頭においた生活をしてきた。特に高校・大学は週6の部活動だったためほとんどの時間を野球に費やしてきたといっても過言ではない。大学院に入り,そんな野球生活をすべて研究に費やすように研究室へ入り浸った。野球と違い努力すればするほど結果が出る。とても楽しかった。体が疲れないことをいいことに朝早起きして朝練代わりに勉強,夜は寝る直前の23時まで研究室で勉強というような生活を送っていた。朝・昼・晩と勉強/研究を繰り返し,気づけば1年過ぎたころ,論文を1つかけるほどの成果が出ていた。

しかし,そんな生活は長続きしなかった。具体的な要因は不明だが,明らかに脳のオーバーワークともいえる研究習慣と運動不足。そしておそらく,体を使わずに頭だけ使い続けた結果の睡眠不足(これは当時は気付いていなかったが)により”クローン病”という自己免疫疾患の難病にかかった。クローン病は安倍元総理が患っていたことで有名な”潰瘍性大腸炎”と並び”IBD”と呼ばれる難病であり原因はよくわかっていない。自覚のないオーバーワークにより修士2年間で知識と成果を蓄えたものの,IBDという厄介な病気が付きまとう人生となった。

修士に入って1年経たずして博士に進もうと決めていた。勉強していくうちに修士の2年間では満足できないと直感的に思ったからだ。そのころはIBD患者として博士課程を送るとは夢にも思っていなかった。人生なにが起こるかわからないものだ。博士課程も3年目となり色々とわかってきたことがある。それらをこのページにまとまりなく書き加えていこうと思う。

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