永川と赤松が引退する

今年もこの時期がやってきた。プロ野球の引退。広島カープから永川選手と赤松選手が引退する。一言でいうと、とても寂しい。

背番号「20」

永川勝浩、僕がカープを見始めた時、この人はクローザー、いわゆる「守護神」を務めていた。本当は佐々岡がクローザーをやっていた時からカープを見てきていたはずだが、選手の名前とかをはっきりと意識するようになった頃そこにいたのは永川だった。

よく覚えている。永川はよく叩かれていた。連日のサヨナラ負けを食らった時にマウンドにいたのは永川だった。いつしか「NG川」、「永川劇場」という言葉も生まれていた。私も実際球場で永川劇場による負けを見たことがある。球場を去る人は皆「永川が駄目なんじゃ」と口々に言っていた。負けたというのに一体感が生まれていた。

永川のピッチングスタイルは分かりやすい。150キロのストレートとフォークだけでピッチングを組み立てる。コントロールはアバウトで四球が多い。四球で自ら苦しくなっていくのは恒例だ。野球ゲームでは基本的にコントロールは最低ランク。使えるレベルの変化球も大きなフォークしか用意されておらず、大変使いづらかった。永川の実弟が「兄貴はゲームで使いづらい」といったことからスライダーを習得したという話は面白いのだが、ゲーム上では変化レベルが低く使いづらいことに変わりはなかった。

僕は永川の友達でも親戚でも何でもないが、永川の残念な話ならいくらでも出てくる。何度も「抑え永川を変えろ」という声を聞いてきた。本当に2軍落ちしてしまった年もあった。それでも、永川の印象はクローザーだ。

永川が怪我などでクローザーでなくなってから、カープは外国人選手を中心に幾人もがクローザーを務めた。シュルツ、サファテ、ミコライオ、中崎、フランスア…。それでも、永川は僕の中で最も印象的なクローザーだ。印象が多すぎる。多分僕だけではない。多くのカープファンが、永川に対していろんな思いを持っている。

永川が不調で2軍落ちした時、カープは代わりの守護神を用意できなかった。急遽先発から抑えに回った大竹もピリッとしなかった。あの時期のカープはそもそも選手層が薄すぎたのだ。代わりがいないという状況の中、散々文句を言われながら、永川はリード時9回のマウンドに立ち続けた。

2008年、永川は打たれなかった。相変わらずフォーク一辺倒のピッチングでコントロールも悪い。それでも永川は絶対に打たれなかった。セーブ失敗はシーズン終盤に巨人阿部(ラミレスだったかな?)に打たれた1回だけではなかっただろうか。あの時、遂に打たれた永川を責める気持ちは微塵も湧かなかった。

足を高々と上げたフォームはとてもカッコいい。最高推定年俸1億6千万円。父は球場で永川が打たれた後に「永川を使うけえいけんのんじゃ」と言いながらも、自身のプレイするゲームでは抑え永川を変えなかった。怪我で1軍で見なくなり、かつてのフォークも使えなくなってしまっても、スライダーピッチャーとしてスタイルを変えて復活した。チーム状況が良くない中、ホークス戦・復活のマウンドで3者連続三振を奪った感動は今も覚えている。通年で活躍はできなくても、永川は光る場所を作り出していた。

背番号「38」

赤松真人、レッドパームツリー。胃がんを乗り越え現役生活をつづけたこの人も、今シーズン限りでユニフォームを脱ぐ。FA移籍した新井の人的保証で阪神からやってきたこの選手はとても足が速く、ポップフライが多かった。

永川のピッチングフォームに負けず劣らず、赤松のバッティングフォームも特徴的だ。極端なオープンスタンスの構えから、揺れる。なぜ揺れるのかは分からないが、よく動いている。年を追うごとに足の開きと揺れは大きくなっていく。なぜそれで打てるのだろうと今でも不思議だ。

俊足の選手で盗塁やセーフティーバントはうまいのだが、細かいプレーが得意でないという印象もある。細身ながらパンチ力もあり、何度も先頭打者ホームランを打っている。一発狙いのバッティングが多く、その分ポップフライも目立つ。折角の俊足も打ち上げてしまったら活かせないというのに。父はよく「赤松はホームラン打たんでもええけえ転がせ」と言っていた。これも多分父だけでなくいろんな人が言っていた。パンチ力があるとはいえ年間30本打てるわけでもない。打率を残すためにもフライの多いプレイスタイルでいいのかということは本人も何度も言われてきているのだろう。ただ本人は、カープに来てから「俊足選手」という型にはまらずのびのびプレーできている、と語っていた。

赤松は守備がうまい。足が速くて守備範囲が広いのに加え、とてもうまい。そんな赤松の守備が一夜にして世界中で有名になったことがある。「ホームランキャッチ」である。

実はこのプレー、僕は球場で見ていた。バックスクリーンに近い席、割と目と口と鼻の先で、赤松はホームランをキャッチした。球場の盛り上がりはすごかった。普段は赤松のプレースタイルに文句を言っている父が、隣で「赤松~」と大声で叫んでいた。あの時の球場は赤松が作り出した夢の舞台だった。

2016年に胃がんが発覚、治療を経て2軍に復帰した。カムバック賞を取ることが目標と言っていたが、どうやらそれは叶いそうにない。けれど、赤松が2軍戦に復帰した、スタメン出場した、打点をあげた、ホームランを打った、いろいろな話が入ってくるし、その度に嬉しくなった。賞は取れなくても、赤松がカムバックしたことはカープファン全員が知っていた。

今日は引退試合

毎年この時期になると多くの選手が引退していく。最近は僕がカープをきちんと見始めた時期に活躍していた選手の引退も多く、寂しさがつのるばかりだ。永川も赤松も、二人ともファンという立場から色んな文句を聞いてきたし、僕も結構文句を言った。ファンってなんて勝手なんだろう、申し訳ないなと思いながら、これ以上書くと目から何かがこぼれ落ちそうなので、止めておく。最後まで勝手なファンとして、本日二人の最後の舞台を心から応援したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?