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新宿ゴールデン街で若い女性の働くお店に行くことが多い理由と、新婚夫婦に惹かれる理由

38歳とはいえ各所に行けば若手扱いされることもある。だから、おじさんなんて言われる年じゃないさ。

などと唱えたところでゴールデン街では立派なおじさんである。

年は軽やかに取っていくべきで、不必要にあらがうべきではない。おばさんと言われて怒るのはデリカシーが欠如した男が前にいるせいなので仕方がないと思うが、おじさんと言われて怒るのは、その男が実りの小さな人生を歩んできた証拠だ。

おじさんだろうが、じいさんだろうがいいのだ。細胞分裂の回数には限界があり、人間を作るすべてのパーツは経年劣化していく。そのため、重ねた年齢は容姿に現れるのだ。

それを恥とするのではなく勲章とするべきなのである。そういう意味では女性も一緒で、やはり女性は30歳からと思っている。もちろん若い女性が持つ神聖なまでのフレッシュな感性に接する喜びはある。しかし、30歳からが本番なのである。

にもかかわらず、ぼくは20代の女性が店番をしているお店に行くことが多い。意図せずとも行動原理がそうなっているようなのだ。何故そういう行動になるのかを考えるのが最近の楽しみになっている。

10代までの女性はほとんどの人が同じような人生を歩んでいる。もちろん、顕微鏡的に見れば差はあるのだが、小学校に行き、中学に行き、高校に行く。その後は人それぞれなのだが、10代の期間は2年弱である。

中には不登校や、家庭的な問題などで一般的な人生を歩まない人もいる。だからそういう人は20歳の時には強烈な個性を発揮して台頭しやすい。その結果、年並外れた大人になるのか、芸術家になるのか、魔性の女になるのか、職場クラッシャーになるのかはその人次第。若くて変わった子は、どんな育ち方をしてみれば大抵謎が解けるのだ。

そして20代を迎える。

20代の女性は、それぞれがまったく違う道を歩んでいき、まったく違う経験を重ねていく。ある程度美しく育ったことからチヤホヤされる場所だけを求める人もいる。その結果、他人に頼ることしか出来ないすっからかんの30代になった人も知っている。

一方で、その人にしか出来ない濃厚な経験を経て、成熟した女性、というよりも人間として成立していく人もいる。

年を取ると、顔を見るだけでどんな人生を歩んできたかある程度想像することが出来る。もちろん大外れすることもあるのだが、それはそれで嬉しい話なのである。

森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』という小説がこの変の感覚をうまく表現してくれている。とても素敵な作品なのだが、これをそのままゴールデン街で働く女性達の人生にすり替えることも出来る。

作品における短い夜とは文字通り短い夜なのだが、女性の20代も短い夜のようなものなのかもしれない。

20代で一通りの嫌な経験をして、楽しい経験もしていく中で、30歳から女性は成熟していく。

外見的な美しさのピークは30歳くらいなのではないかと思うのだが、精神的な美しさのピークは50代なのだろうとぼくは思っている。昔、熟女の良さが全然わからずに、師匠筋の人に散々質問したことがあったのだが、今ならとてもよくわかる。精神的な成熟より尊いものはないのである。

どんな人生を歩んできたかが露骨に外に出てしまうのだ。それは誤魔化すことも出来ないし、やり直すことも出来ない。残酷なほど絶対的なものなのだ。

さておき、20代の女性のいる店に行ってしまうという話に戻ろう。

ゴールデン街の店番をしている人は、男女問わず20代が多いのである。中には30代の人もいるし、40代以上のママさんやマスターもいるのだが、やはり目立つのは20代である。

20代の女性は、30代で生まれ変わる。そこから差が付いていくのだ。

一方で男性の場合は30歳くらいではあまり差が付かない。男性は40歳からなのではないかとぼくは思っている。20代の面白い男など存在しないし、30代でも稀なのだ。

逆に40歳以降は、面白い男と面白くない男に露骨に分かれる。他人を見下してマウントを取るだけの人生を歩んできた、プライドが高いだけのつまらないおじさんもいる。そういう人は社会的なステータスが高い人の中にもいて、どこかの大学の教授は、近くにいる人の欠点を指摘することばかりしていた。もちろんストレスも溜まっていたのだろうが、それはもはや習性不能な人格的不愉快さとして定着してしまっている。今はとても出世しているようだが、ぼくはそんな人生はごめんだ。

その反動もあって、ぼくは相対する人の良いところを探そうと思っているし見つけたら口に出すことにしている。口に出すことで嫌がられることもないわけではないが、「そんなこと初めて言われた」と返されることもある。大抵の場合は喜ばれる。

そういう姿勢で生きている、あるいは酒場を彷徨っていると、やはり20代の男性には面白いところが少ないなと思う。もちろん同性だから辛めの評価をしているというところもあるかもしれないが、どこかぼんやりしている人が多いのだ。

それも仕方がないことだ。男性は同じような20代を過ごした後、30代で人と違う経験を積み重ねて40代以降に成熟していくのだ。

10代の頃世界一周旅行をしたと自慢する20代の男性は、例外なく面白くない。一方で、モーリタニアでタコの資源管理をするために、現地の人と折衝する仕事をしていた人の話は面白かった。

男子は、仕事を通じて成長していく。そして、本格的な仕事をするのは30歳から。そういうことなのかもしれない。

20代の女性は、ゴールデン街でパートタイムジョブをしている自分の将来を憂うことがある。20代の男性は、先は考えずにぼんやりしている。これがぼくの印象で、どちらと飲むのが楽しいのかというとぼくは後者なのだ。

これをもう少し抽象化すると「目的意識」がある人のほうが接していて刺激があり面白いということになる。

世界で最も醜い男性は風俗店で満足した後に女性に説教する者である。

「君はこんなところで働くべきではない!!親が知ったら悲しむぞ!」

全裸で説教する男性の醜悪さは言うべくもないが、読み解いてみると、性欲が満ち足りた彼は「目的意識」がある人との会話を求め始めたともいえる。その結果、それまで魅力的に見えていた女性が、つまらなく感じたのであろう。もちろんそんな男性のことは一切肯定していないが、そういうシステムなのだろうと思う。

ここらで話をまとめよう。ゴールデン街で飲んでいると20代の女性は「目的」を求めている人が多くて面白いが、実際に「目的」を見つけている人はあまり見つけられない。だからこそ、こちらとしても刺激してあげたいという欲望が出来てくる。もちろん、彼女たちのこれまでの取り組みや未来について一切否定をしないように、刺激をしすぎないように、無茶な提案などをしないように気をつけながら。楽しい飲み会である。

一方で男性の場合にはそういう飲み方はあまり出来ていない。書いてみて思ったが、それはぼくの対人スキルの低さであり、弱点なのかもしれない。あるいは、文章家としての癖なのかもしれない。文章という表現においては、男性よりも女性のほうが、圧倒的に才能があるのだ。

芥川賞を受賞するのは女性か、女性っぽい男性なのである。

最後に最も魅力を感じている夫婦の話をしたい。

ゴールデン街には有名な新婚夫婦がいて、それぞれが別のお店で働いている。まだ馴染みというほどではなくて、奥様のほうに2,3回会ったことがある程度なのだが、旦那さんのほうにも是非会いに行きたいと思っている。

何故なら、その二人には共通した目的意識があり、その上でゴールデン街で働いているからだ。そうなると俄然応援したくなるし、無理のない範囲でその目的に協力したくなる。もちろん、手を出すのではなく、将来の客として。

ゴールデン街で育んだ夢に一枚嚙めることほど幸せなことはないではないか。

旦那さんは近々会いに行こうと思うのだが、どんな人なのだろうかと胸がときめいている自分がいる。やはりぼくは「目的意識」に惹かれているのだろう。

自らに転じると、やはり自分は「目的意識」を強く持つべきで、それを表現していくべきだ。

この記事では男女の差について言及してきたが、それは本質ではない。

本当に大切なのは、男女ともに、魅力的な人間というものは「目的意識」を持っているのではないか、ということである。


時には酒場に沈没するのも楽しいものだ。

そんな時でも夢を語れるようなおじさんになっていきたいと思う。



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作家・Youtuber。偏差値30からの大学受験を経て東京大学文科Ⅱ類(経済系)→文学部に進学(宮沢賢治の生命観)→大学院は理転して農学系(アワビ類の行動生態および繁殖生態の比較)→自主退学しスポーツ系の物書きに。著書『サポーターをめぐる冒険』がサッカー本大賞2015を受賞。
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