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私のための2年間

ウィッス、春が過ぎてゆくなか、いかがお過ごしですか。

わたしは、どういう運命なのか、偶然にも昨秋からハンドメイド作家活動を休業中だったので、生活にあまり影響はなかった。二月に通勤のバイトも辞めていて、ステイホームしてちまちま仕事をしてる。ありがたいことに二つぐらい仕事を見つけたので、全然お金持ちではないけど、毎月の支払いぐらいは自分でできている。とはいえ収入が減ったので、好きな時に旅行行ったり、思いつきで服を買ったり、気まぐれで外食したりできないけど、今は、どっちみち全世界的にそんなことできないのだ。


自分の精神衛生を守りたいので、SNSを無意識に見てしまう時間をなくしていた。政権批判も、誰かの悲痛な叫びも、アマビエも、必要以上に頭に入れたくなかったのだ。どのみち完全に正しい情報なんてこの世に存在しないのだ。わかっているのは、今が非常時であること、行動の一つ一つが誰かの命に関わる可能性があること、そして今までの生活が変わってしまうこと、来るべき大不況の予感。歴史の教科書にデカデカと乗るような、時代の大きなターニングポイントの中にいるっていうこと。だけど、実際に目に見えるところで何が大きく起こっているわけでもなく、ぼやっとしたまま春が過ぎて行く。空が綺麗で、花が綺麗だ。月が星が綺麗だ。人の心は荒れていて、誰かが悲しんでいる声だけが聞こえる。現実味がない、悪夢みたいな日々だね。

そんな中でわたしが発信するようなことは何もない(世の中の役に立つようなことはしていないし、頭が良くないので)、必要以上に不安になって自律神経を乱れさせたくないので、毎日できるだけ淡々と本を読んで仕事して勉強してご飯食べて寝る。パートナーと深夜に散歩に行く。ベランダにトマトとかいもを植えたりする。

そんな風に暮らしている。

あー私の大好きな本屋(吉祥寺のジュンク堂)が早くオープンしないかな。絶対潰れないでくれ。

この文章は、そういうただの日記なので、役に立つことは一文も書いていませんよ。


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そんな中、何していたかっていうと、あいも変わらず、自分を見つめ続けていたよ。よく飽きないね、と我ながら思う。わたしは呆れるほど執念深い性格なのだ。

毎日、何か気持ちが浮かぶたびにノートに書き出したり、夢日記をつけているよ。

かなり自己分析が進んでいて、どうやらわたしは、数年かけて勉強をやり直したいみたい。そのために時間がたっぷり必要だから、クリエイターはお休みする必要があるみたいね。

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34歳になるまで、自分がよくわからなくて(というか分かったつもり、悟ったつもりになっていた)、自分が嫌がるようなことばかりしてきた。自分をいじめまくってしまった。苦手なことをわざとしたり、嫌いなタイプの人と付き合ってみたり、そもそも対人関係がすっごく苦手で、期日を守る、書類を書くのが苦手で、責任を感じると胃が痛くなるタイプなのに、逃げられないように退路をはたいてお店をやって、日々支払いにプルプル震え続けたあの日々は、マンモス級に私の苦手なこと、嫌いなことのフルコースで、わたしの問題点をあぶり出して、もう一歩も動けない!ってぐらいまで痛めつけてくれた。首を痛めているのに間違った筋トレを続けるようなものだ。

いや、正直、作るのは好き。本当に好きだ。お客さんとの一対一のやり取りは好きだ。純粋にそれだけだったらいいんだけど、それ以上に広げちゃったのが問題だった。

自分自身をいじめるような人が、どれほど努力したって、どれほど口先では綺麗なことを言ったって、心の底でそう思ってなきゃ、成功できるわけないんだな〜ということは非常によく分かった。

じゃー、どうして自分をいじめちゃうんだろう、ってことを掘り下げて行くと、ボロボロと原因のようなものが出てきた。

そもそも、物心がついて、世の中の善悪を学ぶような段階から私は、致命的に間違っていたなーということもわかった。誰が悪いわけじゃないけど、それでも私はこの世界が見えるようになるような年齢の頃から、自分でも気づかないうちに、この世に対して防御姿勢を取るようになってしまっているのだ。

じゃあ、私ってなんだろうか。本当は私ってどう生きたかった?誰の目も気にせず、意見が言えるなら。

そうしたら、やっぱり、勉強したい・・・!というのが一番強くて、うっとりと沈んで行くような活字の深い深い世界に潜り込んで真実を見つけてみたい!みたいな感じになった。目に見えないけれども確かにある何か、観念的な世界。そう言ったものを追求し続けたい。

こう思った時、「そんなことして何になるの(笑)食べていけないよ」とか「活字ばっかりで、暗い。人生の楽しみ知らない感じ」とか、そんな言葉が脳内に浮かんで、「人生楽しまなきゃ!大人になったんだからお金を稼いで働かなきゃ!みんなから見て、わかりやすいように成功しなきゃ!」と思ってしまう癖があったわけだ。

そして、結果として34歳になった今、好きなはずの本も中途半端なままだ。何もかも中途半端。もちろん成功もしていない。無だ。

確かに誰の役にも立たないような生き方をして、生きていけるほど甘くはないと思う、私が今やっているような勉強で、一人前になるのは本当に本当に大変だと思う、というか一生なれない可能性だって68%ぐらいある気もする。

誰もが、どこかで現実と折り合いつけて生きていかなきゃいけないとも思う。わかっている。わかっていた。

だけど、自分の人生の間で2年間ぐらいは、自分のために時間を作りたい。34年も自分自身をないがしろにしてきたんだから。34年間絶え間なく、いじめられてきた人に休暇を与えたい。

自分自身、いじめてきた自分がやりたいって思うことをやらせたい。そのあとどうなるかはわからん。なるようになるんじゃない?なるようにしかならないっていうか。



ということで2022年の春まで、勉強ばっかりして過ごすことに決めた。そして、分析したり気づいたことを、このnoteに書きたいと思うけど、あまりにプライベートなことは、有料にします。流石にプライベートな内容すぎて公衆に晒すのは抵抗がありますから。


私は、何もできない人ですが、私と同じように自分をいじめてしまう人たちが、私たちの世代でいなくなって、子供たちは、当たり前みたいに自分の好きなように生きられる時代になることを祈っています。

もしよかったら今後も応援してください。よろしく。

みんな、しんどい時に私のプライベートな話を最後まで読んでくれて、ありがとうね。バイバイ。



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