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専業ハンドメイド作家を始めて、やめるまで

クリスマスの夜に前日に半額で買ったチキンを食べていたら、猛烈に眠くなって、気づいたら眠っていた。何かの夢を見ていたようだが、うまく思い出せない。目が覚めたのは午前3時過ぎで、一時間ほど暗闇でぼうっとした挙句、私は猛烈に文章が書きたくなって、今パソコンに向かっている。クリスマスの翌日の、朝の4時半である。

私は、ハンドメイド作家をしていた。正確には、完全にやめたわけではないが、現在は実質休業中だ。その前は、2009年から10年間。2012年からは専業作家として、物を作って販売する、またそれに付随する様々な業務を持って、生計を立てていた。税金を払ったり、携帯電話の料金を払ったり、ご飯を食べたり、旅行に行ったりしてきた。

昨今は落ち着いてきたのかもしれないけど、ここ何年か、ハンドメイド作家ブームが凄まじい勢いで伸びていたようだ。ハンドメイド作家は仕事の一つとして徐々に認知されてきているようだ。ノウハウもたくさん販売されており、キラキラとした人気作家の美しい写真がSNSを彩る。私がこの世界でプロになったのは、都合よくそんな大ブームの少し前だったため、うまくブームに乗ったのか乗ってないのか、と言うような位置でいろんな仕事をさせてもらった。

高円寺にお店も持ったし、本も出たし、講師もしたし、有名なデパートの催事にも出た。企業さんの仕事もした。ハンドメイドでできる仕事は結構した方だと思うし、安定して活動してきていたとも思う。

きっと、そう言う風に、ハンドメイドを仕事としてやってみたいと思う方もいると思う。

ハンドメイドは、仕事になる、と私は断言もできる。うまくいけば、本当にフルタイムで働く年収ぐらいはいく。

だけど、私は専業のハンドメイド作家をやめることにした。始めてから、やめるまで、私は小さなミスを犯していた。それがどんどん大きくなったから、私は専業をやめることにしたのだ。

私のおかした、小さなミスは、過ちは、もしかしたら教訓として、誰かの役にも立つかもしれない。

何より、自分のためにこれは書いておきたいと思う。


ハンドメイド、人気稼業、雇われないで生きる。好きなことを仕事にする。フリーランス。

そう言う仕事でお金を稼いで生活したいすべての人へ

「まずは、自分の声を正確に聞け。絶対にそれを無視するな」

と言う金言をお伝えする。これは、文字どおり私が数千万円以上のお金と10年近い年月をすべて注ぎ込んで溶かして手に入れた金の言葉だ。

私の失敗の話を語ろうと思う。

***

専業作家になる少し前の2011年に結婚をしたので、配偶者に養われながら好きなことをしていると思われることも多々あったけれど、実は私はずっと私だけの十分な収入を得ていた。

それは、最初に私がそうすると決めたからだった。

ハンドメイド作家になる前、私が決めたことはこんな風だ。

「雇われないで、世間で働くOLさんと同じぐらいの収入を得る。そう、ボーナスが支給されるOLさんぐらいにね」

それは、個人的な戦いであり、私はいつも戦っていた。今でこそ、私はADHDなんだなぁ、幾らかのことは努力で改善するけど、いくつかのことは仕方ないなぁ、とわかるけれど、その頃は、ただ自分がだらしなくて、努力が足りず、性格が悪いから、物事がうまくいかないと思っていた。努力をすれば、「幸せ」になると思っていた。自分は最低だ。すごくなって、「世間にみとめて」もらわないといけない。そう思っていた。

美術の学校を出たわけでもない素人の作品を売るためには、文字どおり寝るまもなく働く必要があった。また、絶え間なくSNSを更新し続けた。ちっとも売れなくて、先が遠くて悔しいこともあった。

でもその悔しいという中に、私なりの「戦う意味」があったので、辛くなかった。今から思えば、その、最初の、あんまり売れなくて、先が遠くて悔しい頃が一番楽しかった。売れれば、嬉しい。頑張ろう、次はどうしよう。こうしよう。そういう風に一つ一つの成長を感じることができた。月に10万円ぐらい売れる、それぐらいが一番、幸せな時期だったと思う。

2013年にちょっとしたブレイクポイントがあって、そこから私の「OLさんぐらいの収入を得る。そう、ボーナスが支給されるOLさんぐらいにね」という目標は軽く到達してしまった。

私は有頂天になったが、それを続けるには、地獄のような労働が必要だった。販売したら、即、売り切れる。作っても、作っても、求めてもらえる。人生でそんなことがなかったので、私は体と心を壊してしてまで、やめることができず、そしてついに壊してしまった。がんになりかけていると言われてしまった。29歳の時だ。

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