自己決定ができる「私」:安楽死の可能性
「安楽死をしてもいい」社会は、「死んでもいい」社会につながる。社会的弱者や障害者は、いずれは「死んでもいい」という風潮の社会に繋がることを懸念する。
こういう意見の記事を最近良く見る。
私は、安楽死を「私が」したいと思う。それと同じくらい、「生きたい」と思っている「私ではない他の」方々の権利と主張を全力で支持したい、と思う。
言い換えれば、「私が安楽死をしたい」という言説は、「社会が安楽死を推奨していい」言説には絶対なりえないし、「私」ではない「他人」が、「安楽死をすれ