生きざまを肯定してくれるから、九月劇場を追いかけているのかもしれない

こんにちは。

好きなコント芸人さんの作品が、どこかの誰かに届いたら嬉しいなと思い、noteを書いています。

◆公式解説記事...! 

前回、コントの中の方言の使い分けについて、むやみに意図を考えてしまった話を書いたら、九月さんご本人が読んでくださったようで、解説記事がnoteに上がっていました!懇切丁寧で明快な説明、ありがとうございます、面白かったです...!

ご本人に届いてレスポンスをいただけるの、びっくりです。すごい時代だ。

そもそも関西弁って多彩なんだと学べたし、キメラな学生街・楽屋 "弁"の存在も知れたし、方言を100%話せるとはどういう状態...?と考える契機にもなりました。そして何より、『大学を出てから先生になっていたらこんな感じかも』と想像を巡らせ、関西弁で演じているコントがあるというお話が、すとんと腑に落ちました。


◆きっかけのお話

さて、私自身が九月さんのコント作品をこれだけ観ることになったきっかけについて書いていなかったので、ハマったきっかけのコントを紹介しがてら少し感想を綴ってみます。

そもそも九月さんを知ったのは、「これ好きかもよ」とコント『裏返しの1日』を勧められたからでした。(なんとも良い友人を持ったものです...感謝。)

これを見た私は、「赤瀬川原平の宇宙の罐詰じゃん...!!」と思いました。

(こういう作品です↑)

そこから「九月っていう芸人さん、動画メディア時代の赤瀬川原平なのかもしれない...」とその思考回路の行く末が気になって動画を見るうちに別の温かさに浸ってふやけて、今に至ります。きっかけはこのように発想や着眼点の面白さに惹かれたからですが、それからコントを拝見し続け、ピュアさとピュアゆえの闇落ち具合に元気をもらっているので、こうやって誰かにおすすめしたいと思うまでになったわけです。

ちなみに少し前になりますが、ライブも観覧したことがあります。ライブは、小さい箱だからこその "共犯関係" 感覚を味わえていいですね。


◆お笑いに馴染みがなかったのにハマった理由

九月さんのコントは、世界の見方を揺さぶられるのと同時に、決して人をバカにしないのが好きなんですよね。"好き嫌い" を明確に表現することはあっても、嫌い=貶めることには繋げない姿勢が良いです。実際、Youtube九月劇場でよく見返すコント作品を並べてみると、そこには「生きざまをまるごと肯定する」ようなメッセージを感じることが多いです。

たいがいの九月劇場コントの登場人物は、変人。変であることを自覚しないくらいになにかに夢中な人、変さを自覚して「ごめんなさい」を繰り返す人、開き直っている人、と様々です。自意識か、好奇心か、夢想癖か、受け入れられたさか、なにかが振り切れています。

個人的にはそういう常識の外にあるふるまいや表現が大好きなのですが、突飛さとか理解出来なさって恐怖にも感じられるものです。九月さんのコントではその変さをむやみに擁護するわけでも嘲笑するわけでもなく、まっすぐプレーンな受け止め方をしているのが、「自分ってちょっとズレてるのかな」「どうも期待された通りにふるまえなくって、私ってダメだな...」と思ってしまう人にとって、ライナスの毛布みたいにはたらくんですかね。

それと同時に、逸脱した相手に戸惑いながらもなんとか寄り添おうと苦心するキャラクターも頻繁に描かれています。自分の普通の感覚を疑うくらいに相手の変さを浴びてついついツッコミを入れながら、自分もまたズレてゆく愛おしき登場人物たち...。それを愉快なフィクションとして楽しめるって、私の世界の中にこれまでなかったタイプの娯楽でした。むしろ『お笑い=他者を笑う=馬鹿にする』みたいに思って育ってきたので、新鮮でした。

自分が自分の志向に基づいて動くと奇異の目で見られてしまう。ヘタしたら大事に思っている人が離れていってしまう。そんな経験をするのは怖いです。目の前の相手が引き笑いしたりその場をやり過ごしたいがゆえの虚飾の言葉を並べているのをみると、真綿で首を絞められるように感じます。それはとても悲しく苦しいことなので、一様な価値基準にすがり付き安心感を得るようなふるまいをして、私も生きてきました。だから、変人が跋扈する素晴らしき世界と、「いや、それ変だろ!」というツッコミをいれながらも、その根底には関係性を紡ぎあいたい・わかり合いたいという動機がある人しかでてこない九月さんのコントは癒しになります。

また、抽象的にまとめた考えにあらためて文脈とキャラを肉付けすることで成立しているようなコントが多いのも、これまでお笑いや演劇に深く立ち入らなかった私でも心地よく観続けることができている理由だと思っています。

気持ちよく大笑いしてしまうくらいに誇大なフィクション世界の中には、私自身のものごとへの着眼点や問題意識に近い部分が確かに存在していました。だから自分の経験からは遠い出来事が描かれていても、完璧なフィクションや演技というよりは「並行世界の中の、自分あるいは友人の日常」を垣間見ている感覚で、親近感をもって見られます。


ヘビロテコントを紹介します

最後に、生きざま肯定系のコントで私が特に好きなものを紹介して終わります。どれか一つが好きというわけではないので、ナンバリング順に並べておきます。これらがお好きという方は、再生リスト「だれかへ」を連続視聴するのもおすすめです〜!

自己紹介

私自身、自己紹介が下手なので、とても共感しながら見てしまいました。同じようにチェックシャツとリトマス紙も好きです。

なおとくんと神宮寺岳

一人遊びに夢中になっているのを認めてくれる環境、尊い!まわりも目に入らない没頭と、最初は変さを取り除こうとするも最後に「そういう子だ!」と焦りながら理解する大人の存在がとても心地よかったです。没頭っていいですよね...。同じような意味で子守り芯のある不良も好き。

これは、九月さんのコントにハマって網羅的に観るようになったきっかけの一本でもあります。

パンチラと実存

こちらは以前にも紹介したコントですが、あらためて。

最高に変態で最高に切実なコント、大好きです。もうパンチラ&実存という言葉の組み合わせだけで面白い...。

クリスティ加藤の思い

最初は何が言いたいかわからないのに、チャネル(伝え方)が切り替わった途端に真っ向から突き刺さってくる重いメッセージ、ひたむきさに、愛おしさを感じます。そこから、この人がナイン反町に闇落ちすると思うと、さらに渋い良さを感じますね...。なんと言ったらいいんだろう...演歌味?

裸のおじさんとスーツのおじさん

これが一番見返しているコントかもしれません。再生回数のうち20〜30回ほどは私だと思います。私は、ものごとに確信というものをを持ったことがないのですが、本気で苦悶し地団駄をふみながら「ぼくはどうしたらよかったんだ!」と言って終わっているコントを見て、まるで自分を見ているようでちょっと恥ずかしかったと同時にカタルシスを感じました。

人生は、生きる場所を獲得するための格闘の連続ですね。

ワンデイ・ダンディ

親が変(といっても可愛げのある変さでほっこりしますが)になるの、きつそう...。一度は目を背けても、理解しようとする姿勢を取り戻すのがえらいよ主人公...。お父さんも、きっと急に変貌したように見えるけど長い間なりたい姿を模索したり自意識と闘った末の覚悟あるダンディなんじゃないかしら...。理解できないものを受け入れようとする試みをやめないで生きるのって大変なので、笑いながら勇気ゲージを充電できました。


今月はこんな感じです。 みなさま、よい秋をお過ごしくださいね。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?