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連載43 真我に見守られた体験

雨がしとしと降って肌寒い日曜の朝を迎えています。本格的な秋冬へ向かっていますね。畑にお正月時期の葉物野菜の種を撒きました。この雨で発芽が進むでしょう。

今日は、日常体験で、ヨガの考え方に助けられたことを少し書いてみます。

ちょっとしたボタンの掛け違いから、ある人の逆鱗に触れてしまい、鼻息荒く、叱責を受けました。その方の、怒りの圧は強烈、苛烈で、圧倒されるばかり。
私は悪くない!と、反論、正当化、主張するべきという、自己防衛の考えが巡っていました。これまでの自分であれば、逆ギレの態度をとったり、誰かに愚痴をこぼしたりしていたかもしれません。

そんな追い詰められたその状況で、「揺れ動く心」「自我」を、観察する視点がありました。少し離れたところに置かれたカメラのレンズを通して、じっと自分を観察している視点があったのです。映画かドラマを観ているような不思議な感覚でした。

自分の心は、理不尽な圧力に対して、怒りと恐怖と憤りが湧き上がっているのだなと察知して、それをじーっと見つめていたのです。

ヨガの考えのなかで、このコラムでもよく登場する、プルシャ(魂、精神原理)とプラクリティ(心、物質原理)が、対比している瞬間でした。

じっと見つめていたのは「真我、プルシャ、アートマン、本当の自分、魂、純粋な意識」にあたる側。

見つめられていたのは、「自我、プラクリティー、エゴ、無常、変化する」心の側。


さて、自分を客観的に見つめる作業を、日常の暮らしや、ヨガの練習のときに取り入れたい「ムードラ」があります。

ムードラは、形、ジェスチャー、仕草、態度などと呼ばれ、手を使うムードラは「手印」と言われています。ムードラは、何十種類もあり、一つ一つの意味も、なるほどなーと思わせてくれ、意識づけをするのにとても効果の高い、そして簡単にできる方法だと思います。「指ヨガ」と表現されたりしています。すごくわかりやすい命名!

よく、電車やバスの運転手さんや駅のホームの係員が、「指差し」確認をしていますが、意識づけには、効果が高いことから昔から使われているのでしょう。

瞑想するときなどに人差し指と親指で輪を作る、お馴染みのチンムードラ(智慧の輪)

親指:ブラフマン(梵・大宇宙)
人差し指:アートマン(真我・小宇宙) 

人差し指は、他人に向けるために使わず、大宇宙側に結びつける意識を形で表します。

残りの3本の指の意味は、諸説あります。
中指:サットバ (調和・穏やか・純質)
薬指:ラジャス (活動的・激しい・激質)
小指:タマス (動きのない・重い・鈍質)
※3つのグナのバランスのなかで、一番長い中指に相当するサットバを多くしていきたいという意識にもつながりますね。

また、3本の指は、手放すべきものを象徴しているという説では、
中指:エゴ
薬指:迷い・妄想
小指:カルマ
※3本の指を揃えて、輪っかとなるべく離して形を作ることで意識で、執着やこだわりを手離す意識を持つことができるという解釈です。

もう一つ有名な手印に、アンジャリームードラ「合掌」があります。
アンジャリーは、手のひらを意味します。左と右を合わせるので「調和」の意味があります。合掌をすると、自然と安定感が増し、謙虚な気持ち、感謝の気持ちが湧き上がってきますが、これは人間のDNAに組み込まれている気がします。

ムードラの意味は、とても奥深いですね。仏教でも同じような考えが広まっている日本では、とても馴染みやすいコンセプトですね。意識の向け方、保ち方に有効ですので、ぜひ取り入れてみてくださいね。

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