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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

AIR感想(ネタバレあり)サマポケを添えて

はじめに

CLANNADを見たので、次はAIRを見てみようと思い、見ました。Summer Pockets無印(2018年発売)(以下サマポケ)というゲームはAIRへの回帰を一つのテーマに掲げていたので、サマポケとの類似点も見ていけたらなと思います。そのため、サマポケのネタバレも入ってくるかもしれませんのでご了承ください。
今回の記事は、コミックマーケットにてサークルで出品する批評誌で書こうと考えている記事の草稿のようなものとなっております。まだまとまりのない内容となっておりますが、これから頑張って詰めていこうと思いますので、何卒。

AIRについて

まず作画について、ここはやはり京都アニメーション、素晴らしかったです。まだ春ですが、ギラギラと熱い夏を思い出されるようでした。キャラクターに関しても全然見れますし、遠野美凪が自分は一番好きになったんですが、現在のアニメキャラに並べても見劣りしないと自分は思いました。
ストーリーに関しては、CLANNADと同様に、メインヒロインである神尾観鈴を中心に据えて、サブヒロインである霧島佳乃と遠野美凪についての問題も描いていくという形式でした。話数が12話と短いため、正直物足りないというかよくわからないなと思うシーンも多かったので、そこはゲームをやってみるしかないのかなという感じでした。
個人的には6話が一番好きですね。美凪の問題が解決するお話なんですが、みちるとのお別れのシーンは結構うるっときました。自分はみちるが言っていた「人間はね、思い出がなくては生きていけない。けれど、思い出だけでも生きていけない。夢はいつか覚めないといけない。覚めない夢はいつか悲しみに変わってしまうから」というセリフがとても好きです。夢そのものであるみちる自身がこの言葉を紡ぐんですよ。凄いですよね。
あとは、やっぱりこの物語の主題である晴子と観鈴の関係性の変化。記憶を無くしてしまった観鈴ともう一度頑張って母親になろうと努力する晴子。このkey作品が描く親子愛というものが自分は好きです。それらの積み重ねを経てからの「もうゴールしてもいいよね」は心にくるものがあります。この作品は終盤になると、主人公である国崎往人がほとんど登場しないというのが結構見ていて衝撃的だったのですが、これは母子愛を描くということを12話でやり切るために行ったのかなと思いました。正直、これをやれるのは凄いなと思います。一応この作品の原作はギャルゲーであり、ギャルゲーは自分の中の定義としては基本的にボーイ・ミーツ・ガールに始まり、その女の子と付き合う事をもって物語が幕を閉じるものだと考えていたので、もう一度最初から繰り返されることを示唆するような幕引きはかなりインパクトがありました。
楽曲はやはり素晴らしかったです。毎話流れる国歌を皆が寝静まった頃、布団の中で唱和していました。

AIRとサマポケ

AIRはゲームの方はやっていないので、純粋な比較ではないのですが、母子愛、繰り返される夏が描かれているという点にまず共通点が見られると思います。
サマポケではグランドルートであるpockets√においてうみちゃんという物語の序盤からいた姪っ子が実は自分の両親である主人公としろはが向かう悲しい未来を変えるために何度も夏をループしていたことがわかります。幾度も繰り返す夏の中で徐々に自我を失っていくうみちゃんは、最後の夏、お父さんとお母さんの愛を受けます。しかし、お母さんを救うことは、未来を変えてしまう、ひいては自分の存在すらも消えてしまうということと同義です。そして、最後の時がやってくる。うみちゃんのことは忘れてしまう、忘れさせられてしまうけれど、うみちゃんと出会うはずだった未来を、その眩しさを忘れたくないとこぼします。それはずっとひとりきりだったしろはにとっても一番楽しかった夏休みだったから。
そして、主人公は再び物語の始まりを繰り返して、島にやってくる。そこで繰り返してきた夏とは違って、ずっとおばあちゃんちの蔵掃除をやり続ける。繰り返される夏休みで出会ってきた多くの人とは出会わないままに夏休みは過ぎていく。そこに何か虚しさを感じながら。
そして、島から帰る日。主人公は女の子Aとすれ違う。かつて島でうみちゃんと大切な時間を過ごしたはずの女の子。すれ違う瞬間、何かがすり抜けていく感覚があった。それも一瞬のことだった。ボーイ・ミーツ・ガールで始まった物語は、彼らが出会わないことで幕を閉じる。それでも、どこか昔履いていたズボンのポケットの中にしまってそれきり忘れてしまった宝物のような思い出を抱えて主人公と女の子Aは生きていく、その中で再び出会うことができたのならという終わり方かなと自分は解釈しています。(この終わり方が自分は結構好きなのですが、サマポケRBの方では、エンディングが変わっているそうなので、こちらも今夏やってみようと思います。)このボーイ・ミーツ・ガールで最後終わらないという点もAIRと似ている点のかなぁと思います。しかし、相違点としては、AIRでは父親という存在がほとんど描写されないのに対して、サマポケでは主人公がお父さんという役割を担っているという点が挙げられると思います。この点に関しては、CLANNADの影響があるんじゃないかと考えられます。CLANNAD(アニメ版)は、逆に主人公の母親についてあまり語られておらず、父子愛に重きを置いているのではないかと自分は考えているので、サマポケはこの2つの作品を融合したような存在なのではないかと考えられます。

終わりに

今回は、AIRの感想を語るとともに、keyのフルプライスゲーム最新作であるサマポケとの関係性を考えてみました。細かいところを見ていけばまだ色々と類似点、相違点もあると思いますし、今回はずいぶんと雑な私観になってしまいましたので、コミケに向けてもう少しまとめていけたらなと思います。


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