マガジンのカバー画像

割と気楽記事。

44
文章を書いていて、書きたい文章の深さにムラがあるので分類分け。明るいかはあれだけど、暗くはならない。より深いのは別マガジン。
運営しているクリエイター

#生きづらさ

世界は一つじゃない そのままどこかに行こう(絵本『ばらばら』 星野源)

私が星野源さんを知ったのは、絵本からだった。 本屋で表紙に惹かれて手に取った絵本『ばらばら』のその詩に惹かれた。 (一部引用) ”せかいは ひとつじゃない ああ そのまま ばらばらのまま  せかいは ひとつになれない そのまま どこかへいこう” 二十歳過ぎの当時、世界は一つになれるという人たちと それを素晴らしいという考えに疲れていた時だったので、 (あ、ひとつになれなくてもいいんだ)と 絵本の詩と、平野太呂さんの淡い水色の穏やかな写真が見せてくれるものに

変えるために、触れること/波風を立てること

変えるために触れることは、痛い。 私が触れることで変わる何かが、怖い。 だから それはできたら避けたい。 けれど前の記事で書いた、 私の中にある生きるために変化に触りたいという感覚。 それらの感覚をなんとなく遊ばせる中で、なるほどと一つ気づいた。 私が働く場所にとして、病院が割と性に合うのは、 触れる人たちがすでに変わる過程にある人達だから というのが、大きいのかもしれない。 私が触れることで、 ガラッと変わること・変えることを 恐れなくてもいい、ということは 私の臆

幼年期の頃の親レベルで止まったまま、子供と接する親たち

昼「年取ったら変われない。」っていうのずるいを書いた。 その続きというか、最初に書こうと思った話。 大人の親としての成長って、子の手が離れる幼年期ぐらいで止まって、更新されない親がいるよねっていう話。 * 子供が赤ちゃんのころ、両親それぞれ、母親とは、父親とはを考えて過ごすと思う。この目の前の命と、家族との生活をどう過ごせばいいか、それなりに考えるのだろう。 目の前の命は、柔らかく脆くみえる。 その命を生かすためにも家族を守るにも、親としての成長が必要だ。 また成長

大切なものは、目に見せたい

星の王子様が言う 「大切なものは目には見えないんだよ」なんて 甘ちょろすぎると常々思ってた。 前回の記事「愛を知らないこども、無償の愛を知る」 を書いてて(ど要約:仕事初めて以外に世の中無償の愛に溢れているのを知る。でも無償過ぎて気づかれない。けど愛がない世の中っていうより、あるのはいいね。) 最後読み直してて、感想でこう思った。 世の中に愛はあっても、無償の愛自体が転がってても気づかれないなら意味ないよなと…なんか物悲しい虚無を感じた。えーっと、なあ。 んで、その虚し

スクランブルエッグはそれはそれでうまい

「覆水盆に返らずって言うけど、じゃあ溢れた水はどうすればいいのか」 そんな考察を10代の時にしていた。 そして、その当時テレビでオムレツの作り方をやっていて、それにつられて何回か練習していた。何回も失敗して食すことになる。オムレツ未満なスクランブルエッグ。 その経験で、あ、こう考えれば楽になる、と一つの詩を書いた。 失敗作も私たちは美味しく食べる他ない。 * 今のあたしは オムレツを作ろうとして出来上がってしまった スクランブルエッグ 今さらどんなに頑張っても 卵の