フィクションへの没入

僕は、小説やアニメは(最近は頻度が減っているが)よく読む・観る。しかし、ドラマや映画はほとんど観ない。
同じフィクションなのに、なぜ観るものに偏りがあるのだろうか。自分の好みについて分析してみることにする。

そもそも、これらの創作物への関わりは大学に入るまでほとんどなかった。小説を読み、アニメを観始めたのも、大学に入ってからで、様々な教養を深めるために嗜み出した。でもあくまで自主的に始めたので、新しい趣味となった。
一方、ドラマや映画については、大学以降もほとんど触れることはなく、今もあまり観ないと言っていい。

僕が創作物に求めることは、リアルさとそれを補う想像性だと思う。リアルさは、現実でもあり得そうだなとかフィクションに没入できる度合いとする。想像性は、フィクションとして表現される行間や情景だとする。リアルさと想像性は相反するものに思えるかもしれないが、この二つが同時に表現されないものは、創作物として不気味なものになるからだ。リアルさのみを追求すれば、それはもはやノンフィクションであるし、逆に想像性のみを追求すれば、人智に理解されない産物になるに違いない。

ここで僕の考える、小説・アニメとドラマ・映画の大きな違いは、登場人物や場所が3次元として存在するか否かである。登場人物や場所が存在する世界においては、リアルさはもっぱらあるが、フィクションであるため登場人物の言動や世界観に不自然なところがあり、映像がアンバランスに感じてしまう。一方、登場人物や場所が2次元ないし文字としてしか表現されない世界においては、それが既にフィクションなんですよというディスコースマーカーになっているため、その世界の中でどのような言動があっても、フィクションだと僕の脳内で認識することができる。

だから多分、ドラマや映画を観るのが好きな人は、僕みたいな世界観に没入するのではなく、登場人物そのものに感情移入するから違和感なく鑑賞ができるのであろう。

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