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鮮魚街道七里半#2

-利根川から江戸川まで-
江戸時代から明治初期、銚子で水揚げされた魚をなるべく早く江戸まで運ぶため、利根川と江戸川を陸路で繋いだ鮮魚街道(なまみち)をめぐる旅。
2020年 千葉県我孫子市布佐−印西市浦部

 色々と考えた末、やはり鮮魚街道七里半のスタートを布佐駅から始めることにした。本当は空いている時間を利用して、家から近い道から埋めて行こうと思ったのだが、それだと街道の雰囲気や流れが掴めないのではないか。水揚げされた鮮魚はこのルートを利根川から江戸川へ、一方行へ進む。つまり、当時の人夫たちは逆方向の景色は見ない。何度か辿るであろうこの鮮魚街道の最初の道のりは、このルートをなるべく正確にトレースしよう。たとえ時間がかかってもいいじゃないか。

 2020年8月16日。嫁は前日の夜に子供を連れて実家の埼玉県鴻巣市にフォルクスワーゲンシャラーンで帰った。年老いた母親はお昼に私がショートステイのできる施設にタクシーで送り、後から私も単身電車で鴻巣に向かい、家族と合流する予定だ。このちょっとした隙間に撮影の時間が作れる。だが、布佐駅周辺の滞在時間はせいぜい2時間ぐらいだろう。初めての街をスナップ撮影するのに2時間しかない。タクシーを呼んで母親を施設に送ると、簡単な施設の説明と体調などを聞かれたので、先日トイレに立とうと転んだ時に出来たアザがあることを説明して終わった。
 母はこちらを振り返ることもなく、ロビーからに職員さんと話しながらそそくさと行ってしまった。

別れの挨拶も無しに。

 母と別れた後どっと疲れが出て、一度は面倒臭くなり直接鴻巣に行きかけたが、やはり思い直して布佐駅を目指した。その間15分ほどのロス。ダイアナロス。
 前回の松戸編では大失敗したので、今回は軽いロケハン的な撮影行でいい。なんなら我孫子駅で名物の唐揚げそばを食って帰ると思えば、例え空振りでも気にならないだろう。2時間あればかなりの距離を歩けるはずだし、1時間ほど鮮魚街道を歩いて、くるりと折り返して残り1時間で帰ってくるのもいい。いや、布佐駅前の雰囲気と鮮魚街道の起点を撮るだけでもいいじゃないか。
 新京成線、東武アーバンパークライン、常磐線、成田線を乗り継いで、11時20分、とうとうJR布佐駅まで来た。しかし、痛いほど強い真夏の日差しだ。気温は35度を超えている。初めて降りた駅なので、特に地図も見ずに、まずは駅前をぶらぶらと散策しながら、なんとなく鮮魚街道の起点である利根川と観音堂を目指した。空調の効いた電車に乗っていたので気がつかなかったが、ひとたび歩くと外は灼熱の地獄だった。

 昔(江戸時代)は栄えていたのだそうだが、現在、駅前はこれといった商業施設もなく閑散としている。

寂れ過ぎている。

 街を撮ろうにも街が無い。利根川までの1本道を見つけて何も無い通りをひたすら歩く。人を撮ろうにもこの灼熱で住民はおろか猫1匹すら歩いてない。荒涼とした砂漠の町ソドンにでも来たアムロのような気分だ。

ソドン行ったことないけど。

 利根川に出ると土手をウォーキングしているおじさんがいた。この暑さで歩いて健康のためになるのだろうか。その場で呼び止めて軽く1時間ぐらい説教したくなる。ちなみに横を悠々と流れる川面の涼しさは皆無である。逆に暑苦しくさえ見える。

 高い土手から観音堂を左手に見て、まっすぐと延びる鮮魚街道を見下ろす。この道が本当に松戸まで続いているのか。いったいどのくらいの時間がかかるのか。果たしてどんな冒険が待っているのか。七つの玉を集めて龍が出てきて願いが叶うのか。

おら、わくわくすっぞ。

 土手を降りていよいよ鮮魚街道のスタートである。少し大袈裟だが妖怪でも出てきそうな廃れた観音堂にお詣りをし旅の無事を願う。街道なので基本はまっすぐである。土手からしばらくは道端に付近の工場の機材が出しっ放しにしてあるエリアがある。いかにこの道が現在使われていないかの証しと言えよう。しかし、大きめの通りを横切ると道端も狭くなり住宅地が並ぶ。

古い民家と新築戸建てのコントラスト。

 昔からの住民と新しく宅地開発されたエリアが、特に隔てた様子も無く混在する。築年差が50年はあり、古い民家はとことん古く、トタンのペンキが剥がれ落ちたような家々で、対する新築の戸建ては、土地をたっぷりと使ったデザイン住宅である。その差があまりにも激しいので、同じ町内会としてやって行けるのか、ゴミ出しは平和に行われるのか、住民でもないのに勝手に不安になる。
 目の前に線路が現れて、突然に鮮魚街道を塞ぐ。行き止まりである。線路の向こう側には道が続いているが、踏切はないので迂回することになる。江戸時代には繋がっていた街道も、JR成田線に遮られてしまった。
 線路を越えるために左右の踏切を見ると、とんでもなく遠い。視線の先に陽炎が見えるほどだ。自分ルールに従い、一度その遠い踏切に向かい線路沿いを歩き始めるとさっきは気がつかなかったがすぐ横にバイパスがあり、線路の下をくぐったついでに束の間の日陰も堪能した。
 JR成田線を迂回して分断された向こう側の鮮魚街道に戻り、再び歩き始める。容赦なく照りつける日差しに加え、何もない直前的な道が続く。黒いTシャツは汗で首の周りやカメラバッグのストラップの辺りから森村ハニーの如く塩を吹き、今すぐにでも熱いシャワーをつま先立ちで浴びたくなる。
 遠くに関枠橋(せきわくはし)が見えてきた。手賀川を渡るといよいよ印西市に入る。ここで今日は撮影を終わりにして、布佐駅に戻ることにした。次回はこの橋を渡り、印西市からスタートしたいと思う。駅までの道を少し遠回りして写真になりそうな景色を探したが、ただただ田園が続くだけだった。青々とした稲に農業用の水道が止まることなく田んぼに注ぎ込まれている。気がつくとペットボトルの水を2本飲み干して喉はカラカラだった。

思わず農業用の水を飲みそうになった。

 鮮魚街道から離れて、12時50分駅に布佐駅に着いた。次の電車が来るのは20分後だった。どうやら30分に1本の間隔で運行しているようだ。ちゃんと調べて行動するべきだったと深く反省した。自販機で清涼飲料水を買い、スマホでゲームをやっていたら電車が来た。
 我孫子駅のホームで名物の唐揚げそばを食べた。塩っぱくて美味かった。

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