2024/11/4〜2024/11/10
11/4
月曜まで延びている三連休ってどうしてこうも素晴らしい存在に思えるのだろう。そもそも祝日というもの自体が最高ではあるんだけど、平日を1日食うように伸びている三連休の素晴らしさったら無いと思う。そりゃ水曜にぽこっと現れる祝日もめちゃくちゃ最高だし、それと三連休のどっちが好きかと問われれば聞かれた時のタイミングによるものでしかないんだけど、とはいえ三連休は最高。そんな三連休ラストの今日は高専時代の友人と浅草の街歩き謎解き。朝一で浅草といえばの金のウンチの下に集合し、そこでペリカンの食パンにかぶりつくなどした。この世界で1番美味しい朝食は(その時の気分によって言うことは変わります)まだ少し温かい1斤以上の食パンだと思っていて、3辺が接した角の耳部分から思いっきりかぶりつく瞬間というのは洗い立ての布団への寝そべり始めと同じくらいの幸福感があると思う。パンの美味しさも自分の人生で食べてきた食パンの中でもかなり上位で、昔リリスクのフリーライブの前に乃木坂の公園でかぶりついた今はもう無きバイキングベーカリーの食パンと並ぶくらいの美味しさだった。
金のウンチの下で食パンを食べ終えたところで、今日の目的である浅草街歩き謎解きへ。謎解きはかなり真っ当に浅草を観光させながらやるものだったのだけど、途中に出てきた漫才のパートがあまりにもゲロつまらなく、友人と2人して真顔になってしまった。面白くなさ過ぎて面白くなってくる、みたいな事も無いくらい面白くなくて、SCRAPは本当に謎解き以外の要素に手を出したらダメなんだなと改めて痛感した。謎解きはいつもの街歩き謎解きくらいの時間でサクサクと終わってしまったため、なかなか時間が余ってしまった。取り敢えずまだ日も暮れていないのに解散するなんてウチらのポリシーが許さねえということで、そこからそのまま上野のコロコロ堂へ。コロコロ堂では、こんなこともあろうかと持ってきていた「DETECTIVE X #2」を遊んだ。前作を1人で遊んだ時は6時間くらい当たり前にかかってしまったけれど、2人でやったらヒントを使わず4時間くらいで結末まで観ることができた。長時間になる覚悟をもって始めた割には良い具合の時間くらいで終われてしまって驚いた。とはいえ物語の密度は前作同様とんでもなくて、いくら道夫秀介という作家が入っているとはいえ、物語が弱すぎて弱すぎていつも目が当てられないSCRAPから発売されているキットだとは本当に思えない。これは本当にめちゃくちゃ面白いシリーズなので、クウォリティを担保したまま新作を作り続けていって欲しい。友人とは夕飯に二郎系を食べ、別れるのを名残惜しみながらも明日は仕事なので良き頃合いで解散した。
11/5
今まで安く済むから昼食を会社のラウンジでとっていたのだけど、別に大きい会社なわけではないので会社のラウンジだと全然休憩した気分にならないことにようやく気がつき、最近はお金はかかるけれど弁当を持って行かず外で食べるようにしている。そうしたら、(何度も言うけれど)お金はかかるので別の何かに割り当てる分を減らさなくてはなと思ったりする。が、昼休みの時間にドラマを観れたりするので圧倒的に気分転換になって本当にちゃんと休憩した気分になれた。ラウンジの中に自分しかいなかったとしてもその場所はどうしたって会社の中なわけで、休憩したつもりでもそんな場所では休憩なんてできなかったし、それ故に溜まっていたストレスみたいなものもあったのだろうな。これからはどんどん寒くなっていってしまうので屋外で食べるみたいな選択肢がなかなか取りづらくなってしまうかもだけど、外に出ることは絶対にしていこうと思った。
今日は週明け初っ端かなめちゃくちゃ残業をしてしまい、舌打ちしそうになった。というか心の中では舌がちぎれるくらいした。こうやって当たり前みたいに定時時間後に仕事が発生して、それをやらなければならないシステムなの本当に変わってくれ。というか、そんな仕事はやりませんと自分がちゃんと言うべきなのだろうか。てかまずそんな仕事量取ってくんなや、とかも思ってしまう。それが給料に還元されれば別にいいけれど、別にそういうわけでも無いし。モチベーションのモ字も無い環境と時間の中で働いてることは本当に自分の人生の時間の浪費でしかないよな。と、そんな風にかなり後ろ向きになってしまうきぶんだったので、時間は遅かったけれどジムに行き、久し振りにバーベルを担いでのスクワットをしてからのドラマを視聴しながらのランニングを行った。重さに必死で耐えながらのトレーニングと、ドラマを観ながらの有酸素運動は本当に目の前の事以外の思考が強制的にオフされるので気持ちを切り替える良い時間にはなっている気がする。ただ、スクワットは久し振りすぎて(回数を増やしたとはいえ)60kgでかなりキツさを感じてしまったのはちょっとショックだった。特にワイドスクワットはめちゃくちゃキツくて衰えたな、、と感じた。でも、私はこれから有酸素運動筋肥大はそこまでさせないマンになる予定なので、この退化はいたしかたないし甘んじて受け入れようと思う。家に帰った頃にはもう日付が変わっており、風呂に入ったりなんだりしたら寝るのが凄く遅くなってしまった。最近そんなんばっか。
11/6
会社でじっくり嫌いになった人が性格が良い/悪いと優しい/優しくないを混同して話をしていて、なんでこんな風に会話が転がっていってしまうのだろうと思ってしまった。多分感覚の差異みたいものを普段から考えたりしないからなのだろうけれど、その感覚の違いを言ったら"細かいな~"みたいなことを言って来るのでこの人とは本当に相容れないなと思ったりした。別に考えないことが良い/悪いでも偉い/偉くないでもないけれど、それを想像することができるか否かというのは自分にとって信用できるかできないかにおいてとても大きなラインになっていて、今の会社という場所はそういう人が少ないから自分は会社の人と一定以上は必ず距離が近づかないように無意識的にしてるってことなのだろうなと思った。だから自分は業務後に飲み会とかには行かないし、社員旅行にだって行かない選択を何も迷うこと無くしているのだ。いや、てかそもそも土日に開催される社員旅行は行きたさなんてこれっぽちも無いだろ。場所がどんなに良くて高いホテルに泊まる予定だろうが、仕事以外の時間は自分の好きなもので溢れていて時間が足りないとすら思っている人間にとっては反吐以外の何物でもないのよな。なんか、全員大枠大味の感覚だと思って接せられているってことだよなと遠い目をしながら思ってしまう。とはいえ、その嫌すぎる社員旅行もパスできたので今は心が軽い。休日にちゃんと自分の好きなことをできることが1番だよ。結局さ。
アメリカの大統領がトランプに確定した。アメリカは日本とは別の国ではあるけれど、とはいえその国がまたトランプという人間の時代を選んだことにめちゃくちゃ苦しい気持ちになった。自分はリベラル的な思考を持っているからトランプが絶対に嫌だったのだけど、アメリカの人達は経済の事が第一でその他の事はあくまで"その他"としての認識なのだな。とはいえ日本も大して変わらないし、何なら自民党は経済すら衰退させているのに与党に座り続けているので、ろくでもない存在だなと自国のことだからこそ余計に感じてしまう。でも、やっぱりトランプの時代が繰り返されるということは、以前と同じく差別や暴力や分断がより助長される時代になってしまうということで、それはどう考えても嫌だ。生活が困窮していて何に助けを求めるかはという部分で政治性は分かれるだろうしそれは当たり前のことだけど、でもその助けを求めた先が他の誰かの生活や生を脅かすものであっていいのだろうか。先日の衆議院選挙で日本保守や参政が議席を増やしたのも同じ事が言えると思う。もしかしたらその実体が見えていないからということもあるのかもしれないけれど、それでもやはり世界的に時代的にこういう方向へうねりだしているというのは本当に危機感を覚える。と、ここでこんなことを言っても日本より何も変わらないけれど、とにかく陰鬱な気持ちにはなる。まずは日本で差別や不当な暴力が起こらないように。もし起こってしまったのなら、それを見過ごさずにちゃんと抵抗すること。それだけはちゃんとして自分の信じる真っ当さを真っ当に生きていける人間でありたいと改めて思った。
11/7
最近お昼に会社の外へ出るようになったお陰でドラマ視聴がめちゃくちゃ捗っているのだけど、そんな中で勢いよく今観ている「The Bear」のS3がとにかく毎話面白くて興奮してる。今はまだ4話までしか観れていないけれど、S2で変われたようにみえたけど、実際人間はそんな簡単になんて変われやしないんだということを描いたり、それでも変わろうともしなかった以前よりは形が確かに違くて、少しずつでも変わろうとしていくことは絶対に無駄なんかじゃ無いという誰かの希望にも鳴るような意思を感じた。また、"痛みが強すぎて痛みを感じない"という事をこの物語だからこそ120%の力で描けていたり、もう全ての台詞や演出がバッチバチにハマっていて、観ていてとにかく気持ちが良い。面白すぎて、今週で観終わってしまいそうな勢いがある。
#11/8
相変わらず「The Bear」が面白すぎる。現在のタイムラインとは異なるティナの話が入ってきたときには頭に"?"が浮かんだけれど、エピソードのあまりの強さにとにかく涙が出た。このドラマには常に変わったものと変わらないものと変えられなかったものと変えたいものがあって、その全てが混ざり合った今として過去の紙ナプキンを思い出し触れるあのシークエンス!もうなんて素晴らしいドラマなのだろう。自分の後ろにある過去を眺めるのと同時に、自分の未来が過去になっていくことに想いを馳せる様も本当に美しかった。こんな素晴らしいドラマを観れているという幸せがずっと続いたらいいのに。
11/9
今日は高校演劇の都大会があるというのに、何故私は仕事なんかしているのだろう。朝起きた瞬間から殺意に近い感情が湧いていたけれど、今日の仕事内容が本当に不毛of不毛なものだったので、なんで平気な顔をしてこんな場所に立っているのだろうという事にまで思考が派生してしまった。場所の関係上、普段の平日より1時間半も起きる時間が早くなるにも関わらず、それに対しての手当みたいなものが出ないことにも腹が立つ。通勤って本当に有害なシステムだと思う。電車代を払うなんてのはそもそもだけど、そこに手当とか普通付けるべきでしょ。通勤に1時間とか時間がかかる人は毎日2時間も仕事の為の予備時間としてその時間を使っているのだから。会社という組織にそういう部分を考える発想や感覚がすべからず無いというこの国の社会の空気に辟易する。自分はその時間でラジオを聴いたりドラマを観たりしてなんとか誤魔化そうとしてるけど、結局その時間=疲れになることは変わらないんだよ。あー、本当に働きたくない。多分自分は在宅で1人黙々とやる仕事の方が向いているよなとかいうことを思うと、本当に社会に出る際の初手から、なんならその前の学校選びから間違えてたなと後悔してしまう。別にあの学校に行っていた事自体に後悔は無いけれど、"働く"という側面から繋がる脈に関しては後悔しているという意味。と同時に、過去の自分が如何に自己認識が不明確であったかを今身を持って痛感している。学生の時期に自己認識をちゃんとできている人なんてほとんどいないことは分かっているけれど、それでも高校演劇とかを観ているとそれができている高校に出会うことも少なくないので、そういうのに出会う度に興奮しつつも少しだけ劣等感を感じている自分がいるのも事実だったりする。でも、だからこそ自分の視界に入ってくるその姿はとても眩しいし、それを観ることで未来には希望があるのだと自分に言い聞かせているのだと思う。故に、今日そんな高校演劇の都大会を蹴ってまで不毛な仕事という全く未来の無い事に費やしてしまった事に全身をかきむしりたくなるような衝動に襲われた。実際、理由は分からないけれどふくらはぎの裏が信じられないくらい怒りと共に痒くなった。多分関係ないか。まだ辞めたいゲージのコップ容量は全然余っているけれど、少しずつ少しずつ着実に溜まってはきているので良くない兆候だなとかも思ったり。そこには勿論、このコミュニティの中でこのまま何十年もやっていくのか?という静かなる心労も含まれている。上っ面だけの"色んな人がいて色んな考え方があるよね"とかを言う人では無く、自分の感覚と他人の感覚は違うということを想像できてバウンダリーが存在していると言うことをちゃんと認識できる人と仕事したい。身体も心も重い。
11/10
今日は都大会を観るために練馬へ。早めに着いてカフェでポメラを叩いていたら、放置自転車の撤去作業者が黙々と自転車を撤去している現場に遭遇した。その中の1個がすぐ直前に銀行へお金をおろしに来たであろう青年のもので、持って行かれそうになる寸前に青年が回収できていて少し安心した。流石に2分くらいで持って行かれたら溜まらないよね。あと、放置自転車の回収業者が日曜に働いている人達という事とか、ドライバーの1人以外は車に乗らずに歩いて移動していることとか、そういう部分にやや引っかかってしまった。その仕事、本当に日曜じゃなきゃいけないんですかね、っていう仕事がこの社会には山ほどあると思う。いや、もしかしたらその人達は平日に休んでいるのかもしれないけどさ、とはいえ気になってしまったら止まらないよね。そんな事を考えていたら、自転車を持って行かれたのであろう親子が戻ってきて、そこに立ち尽くしていた。いたたまれんかった。そんなドラマが目の前で繰り広げられていたせいで、結局ポメラは全然進まなかった。森美術館の感想を全く書けておらず、先週立てた目標を早くも破りそう。ダメすぎるでしょ。
都大会は過去2年観てきた中でも最もクウォリティが高いと感じる濃密さで、地区大会の時に感じたままならなさみたいなものは一切感じないレベルの高い1日だった。特に楽しみにしていた日大二高の上演は、俳優のパワーだけでここまで物語を追い越しながらリードしていけるのかと感嘆しながら観ていた。高校演劇というフィールドだからより目立っていたというのはあると思うけど、それ以上にそもそもの俳優としての魅力みたいなものが別格だった。演劇という表現の中には間違いなく"魅せられる人"がいるということを改めて体感した。全公演を観終わって審査員講評に入ったときには、前回城東地区の場で初めて会った高校演劇を観る界隈の人と会うと共に、SNSでは存在を知っていた人と会合することができた。とはいえ、自分はこの人があの人かな?と思っていた人がちゃんとその人だったので、確認みたいな感じだったので、あまり驚きは無かったのだけど。それにしても、高校演劇を観る人の界隈は、1人と繋がるとすぐ色んな人と繋がるのな。まあ、そこには1発目のコミュニケーションを取るフットワークが激軽な人がいるからこそみたいなのは勿論あるんだけどね。何にせよ、高校演劇を観に行って喋っても喋らなくてもいい人が沢山いるというのは今のところちょっとだけ嬉しい。2年くらい一言も発さずに何日間かの旅行をするということがまああったので。そんなわけなので、結果発表まで聴いた後は3人でご飯へ。話が行ったり来たりしてしまうけれど、審査員講評の最後に審査員の田中さんが言っていた、『作品で重い話題を扱う事と、現実世界の自分は切り離していい(現実世界で背負いすぎなくていい)』という言葉は、日々作品を作り続けた結果今審査員という場所に立っている大人達からの本当に優しくて想いのこもったメッセージだと感じた。こういう事を言ってくれる大人がいる大会っていうのが高校演劇だということを知れて、改めて高校演劇の事が好きになった。まあ、審査員はこの前のぎふ総文の越光さんみたいなあり得ないくらい酷い人もいるわけなので肯定だけするわにもいかない訳ですが。余談だけど、自分は越光さんのことを悪い意味で一生忘れてやらねえからなとは思っています。だから、一生言い続けていく。話は戻って、2人と折角練馬に来たのでということで南インド料理の「ケララバワン」へ。こういう時、当たり前みたいに年下ムーブで動けるのは普段自分の遊ぶ友人に年上が多いからだろうなと薄ら思ったりした。因みにだけど、2人の年齢は自分より上でした。なんとなく知ってはいたけどね。ケララバワンは有名なお店なだけあって、当たり前のようにめちゃくちゃ美味しかった。あと、眼鏡をかけた店員さんが超絶良い具合のフランクさで、サンバルのお替わりを無料で貰うなどしてしまった。かなり嬉しかったので、お店を出るときにお兄さんにめちゃくちゃ美味しかった事を伝えた。そうしたら向こうが嬉しそうに笑ってくれたので、こっちもまた嬉しくなった。嬉しさの永久機関だこれ、なんてことを薄ら思ったりした。ご飯を食べながらは今日観た高校演劇作品の感想だったり、地区大会からの感想だったり、高校演劇をやっていた頃の話だったり、高校演劇を取り巻く色んな話をした。今までこんな話をする相手はいなかったので、楽しかったなと純粋に感じることができた。だからといって、1人喋りで高校演劇の事を話したい欲が減るかと言われればそういうわけではないのだけれど。2人とは帰り道が綺麗に別々だった為、また福生で!という感じで別れた。