2024/6/3〜2024/6/9

6/3
 朝起きた瞬間に風邪であることを確信する。とにかく喉が痛い。だけどどうにもできない仕事があるので、会社には行かなければいけない。ので、ツラいなと思いながらも会社へ。来週くらいまではどうしたって会社を休めない日が続いているので、ツラい。
 この日記は月曜には書けていないしこれは日曜の事なのでここに書くことなのかどうなのか分からないけれど、自分の中で書いておくべきだという声がしているので書く。先週の日曜日、Instagramのストーリーで2組の結婚式の様子が流れてきた。1組は学生時代も今もほとんど関わりの無かった中学の同級生。もう1組は今でもたまに会う小学校の同級生のそれだった。中学の同級生に関してはほとんど関わりが無かったのでそうなんだ~くらいにしか思わなかったけれど、小学校の同級生のそれには少しだけ色んな感情が湧いた。ただその感情は『おめでとう』や『羨ましい』などではなく(そもそも私は非婚主義なので羨ましいとは1mmも思わなかったたちなのですが、それはまた別の話)、『自分はここに呼ばれない側の人間だったんだな』ということだった。そこに呼ばれているような自分と同じ小学校の同級生たちは確かに今でも彼女とかなり会っている人達だったし、そこに対して異論も何もあったわけでは無いけれど、それでも自分は『呼ばない側』という位置にいて、呼ばれた人と自分の前には大きな隔たりがあるのだなということをあまりにも感じてしまった。かといって自分がめんどくさいのは、その場に本当に自分が行きたかったのかといえばそういうわけでは無かったし(お祝いの気持ちは勿論ありますが)、自分も自分とてそういう線引きを行っていたという部分にあると思う。そもそも結婚式を挙げる/挙げないという選択を越えた先にあることであるし、そこから更に会場キャパによって選別されるという圧倒的な事実があるのは分かっているが、自分が今後の人生で誰かの結婚式に呼ばれることはあるのだろうかなどと薄ら思ってしまった。どうせこのことは時間が経てば忘れてしまうのだろうけれど、なんとなく忘れたくない気もしている。


6/4
 まだまだ風邪。なんなら昨日よりツラいまである。仕事で荻窪に行ったので、二郎を食べてエネルギー補給。写真を撮ろうとしたらカメラの調子が悪く撮れなくショックだった。初めて食べた荻窪の二郎は非乳化且つ麺が柔らかめのそれで、ライトに二郎を食べたいときに持って来いのお店だなと感じた。ということは、今後年齢的にもし二郎が食べられなくなってきたときでも行けるお店だという事なので、大事なお店にしていきたいと思った。
 家に帰ってからは何も食べる気が起きなかったけれど、千切りキャベツだけはなんとか食べた。その後は布団に入りながら最近これしかやっていないことウマ娘のゲーム。今日は遂にスイープトウショウの育成に乗り出すなどしてしまった。スイープのキャラはカワカミプリンセスのシナリオでも出てきていたのでなんとなく知っていたけれど、それでもトレーナーになるまでの最初のストーリーだけで正直ちょっとグッとくるものがあった。あと最初のストーリーに関しても、他のウマ娘より裂かれていた時間が多かった気がした。気のせいだろうか。1日でやりきれるほどの体力は残っていなかったので、今日は安田記念の前までで終わり。個人的には安田記念~宝塚記念の後にもう一度エリザベス女王杯が目標として鎮座しているのがずっと気になっている。さあ、スイーピーは偉大な魔法使いになれるのかどうか。見物です。


6/5
 朝起きて、大量の黄色い鼻水と痰を吐き出す。これが来たということはそろそろ風邪も快方に向かっているのか?とも思ったけれど、正直まだまだツラい。これは今週いっぱいかけて回復させていくやつなんだろうなと思いながら咳と鼻かみをした。今日は朝からお客さんのところに行く予定があったので(風邪をひいているやつがそんな場所に行くな、とは分かってはいるんですけどね、、、)、少し早めに家を出てカフェに入り今まで書けていなかった日記を書く時間を取った。結局仕事もしてしまったからInstagramの感想を書き始めるまでには到達できなかったけれど、ここまでの日記を書けたので及第点。最近は日記とかInstagramの投稿とかを全く書けない日が続いているので、そろそろ生活のペースを戻していきたいなと思ったり。そのためにもまず、体調を治さなきゃね。
 仕事終わりに飲み会に誘われたけれど、今日はちゃんと風邪なのでちゃんと断る。ただ風邪かどうかに関わらず普段から飲み会というものを断っている人間なので、『そんなんだから皆と仲良くなりきれないんだよ』みたいなことを言われてキレそうになった。飲み会に行くことでしか仲良くなれないような関係性の構築なんてクソ食らえだ。飲みニケーションはコミュニケーションではない。あと、"ドラマや映画を最後まで観切れたことが無い"とか言っている人が参加している飲み会の会話が楽しいわけないだろうが。そんな全ての上辺だけをなぞり続けるような会話を永遠にし続けて何が楽しいんだ。あの場でこういう事を言わずに受け流した自分、めちゃくちゃ偉い。私は人間関係を構築したいと想った人とだけちゃんと構築しようとするので、そこに関係構築をしたくない人がやいのやいの言わないで欲しい。ほんと、不快だから。ここまで書いたら少し怒りが落ち着いた。
 家に帰ってからは相変わらず食欲が無かったので、千切りキャベツだけを食べた。リケンの青じそノンオイルドレッシングがやけに美味しく感じられた。自分の調子が良くないときであっても、食べ物が美味しいというのは嬉しいものだ。飯をゆっくり食べた後は、相変わらず布団に潜ってウマ娘のアプリ。この日は昨日から進めていたスイープトウショウのシナリオをグッドエンディングまで全て観ることができた。スイープトウショウはいつでも一貫して自分のやりたくないことや他人から指図されることに駄々を捏ねていたキャラクターだったけど、そうであったからこそ他の何にも影響されない歴史の象徴に辿り着けたのだという強さ溢れるストーリーで本当に大好きになった。また、スイープが口にする『魔法』という言葉は誰かに誰かの想いが伝わり、波及し、世界が変わっていく事を指していて、それも自分の大好きな『魔法』という概念に一致していて最高だった。ウマ娘はその作品の特性上誰かに想いを託すという行為が描かれがちだけど、スイープはそこを越えた先にある"誰かが受け取る"という行為にフォーカスが当てられていたのが他のウマ娘との差別化にもなっていて良かったし、ラストの方ではボロボロに泣いてしまった。気性難でレースの出走を毎回出遅れるという補助効果付きの育成だったけど、それすらもはや愛おしい。スイープが気性難だった事にはスイープなりのちゃんとした理由があって、それをトレーナーが並列な場所で並んだからこそ見えてきた。ゲームの中でここまでコミュニケーションについて想いを巡らせることになるとは思わなかった。カワカミプリンセスに続き、大好きなウマ娘がまた1人増えました。次は誰を育成しようかな。

人と人とのコミュニケーションは、何を持ってもまずここから始まるのだという絶対的な強さを感じる。そして、あなたはスイープの言葉を最初からそう聞けていましたか?という問いとともに。
こういうところは、カワカミプリンセスを救った時同様しっかり芯が通っている。というか、スイープトウショウのシナリオでスイープトウショウの芯がブレた時なんぞ1度もなかった。それくらい芯が堅固なウマ娘だからこそ、こういう言葉を一寸の迷いも無く言えるのだ。


6/6
 朝起きて風邪が少し治っていることを期待したけれど、全然治ってなくて最悪の気分。なんならただ治っていないどころか、悪寒はするし節々は痛いしでかなり最悪な状況。ただ、そんな中でも外すことのできない仕事が詰まっていたので会社へ。昨日の飲み会に対する怒りも相まって本当に行きたくなかった。会社に向かいながら、この風邪の原因絶対睡眠不足が所以だよなと考えたりした。あと、人間は本当に調子が悪いときにはスマホゲームしかできなくなるのだなという事を実感している。ただ、それは今までみたいな後ろ向きな想いではなく、"不調であっても触れられるエンターテインメント"という枕詞が付くようになった。この考え方の変わり方をもたらしてくれただけでも、ウマ娘のアプリをインストールした意味が大いにあった。
 昼頃になると節々の痛みと悪寒が更に強くなってきて、脳内思考の9割を"帰りたい"が占めた。更には悪寒もし始めて、もう終わりという感じ。仕事に身は入らなかったけれど、やらねば終わらないので息も絶え絶えな感じでなんとか終わらせた。家に帰ってからはトランセンドの育成シナリオをやり始めて寝た。トランセンドの育成前にある序盤シナリオ、行動よりもお互いの思考がグルグルする部分に重きが置かれていて凄く良かった。やっぱり自分は全部声に出してしまうキャラクターよりも、グルグルグルグルずっと自分とその周りの事を考え続けるキャラクターの方が好きだなと感じた。あと、これは恋愛的な意味は全く含まない上でラブストーリー過ぎた。本当に美しい。


6/7
 風邪はようやく治りかけの気配をみせてきた。とはいえ、まだまだ痰や鼻水を吐き出さねばならぬ期間は続きそう。そんな今日は、何年ぶりか分からないくらいかなり久し振りにネクタイを締めて会社へ行った。正直マナーというものが(他者を不快にさせるような行動とかそういうのは別にして)大嫌いで害悪なものだと思っているので、その気運の中で醸成されたスーツもネクタイも正直嫌いな節がある。残った風邪のダルさもあるけれど、正直その格好だけで億劫さが飛び抜ける。とはいえ、社会人マナーに関しては女性に向けられた差別的なマナーの強制に比べれば男性のマナーなんてしょうもく簡単なものばかりなので文句を言うのも正直あれかもしれないんだけど。ただ、やはりマナーというそれに触れる度に、マナーによって醸成されてきた差別的な視線を考えるとやっぱり嫌いだし駆逐したいという想いに駆り立てられる。100歩譲ったとしても、そういうマナーを女性に押しつけるならメイクとか男性のスーツには無い服とか、そういう部分の費用を個人じゃ無い別の誰かが出すべきだろ。考え始めたら本当に怒りしか沸いてこない。本当に嫌い。
 今日は昨日に引き続きトランセンドの育成シナリオを進め、ラストまでやりきった。途中それが起こることは事前に知っていたのに、3月の前半に東日本大震災が起こったときには思わず周りの音が聞こえなくなった。それまで退屈な日常から逃れようと楽しいことや好きなことだけに全力で触れていたり、自らが"エンターテインメント"と呼ばれるフィールドで走っているという状況があったからこそ、唐突に起こった天災によってその土台が修復不可能なほどに崩れてしまう。そこまでが本当に"楽しさ"だけでできていたシナリオだったからこそ、震災がもたらしたもう1つの大きな被害をとても鮮明に描き出していた。勿論トランセンドが感じていたようなことはトランセンド自身が言うとおり被害を受けた地域に比べれば全然軽いものだ。だけど、その被害は少なくとも彼女の生活や価値観や"好き"に対する気持ちを一変させてしまった。だから、私はそれを"小さい"と思うことなど絶対にできなかった。これを書いている自分もそうであったように、被害地域から離れた場所に住んでいる人間は時が経つ毎に少しずつそのことを忘れていく。そうであってしまうことへの葛藤。被害地域の人達がまだまだ大変な中で自らが"エンターテインメント"の中へ身を投じることの意味。その全てを悩み、藻掻き、逡巡し、苦しみ、それでもその先に"エンターテインメント"であることを選び、その背中を押す1人1人の姿が見えて勇気の連鎖が生まれていく様には、本当に前が見えなくなるほどの涙を流しながら観てしまった。このシナリオが3月11日に実装されたことも含め、東日本大震災の記憶を忘れないようにすると共に、その時トランセンドという馬が誰かのことを確実に勇気づけていたのだという絶対的な事実を突きつけられたような気がした。どれだけ時間が経ったとしても、東日本大震災というものが起こった事実は消えない。そして、東日本大震災を経た上に存在するのが今なのだ。勿論、この線の中にはその後に起きたコロナの大流行や、能登半島地震もある。それらを全て飲み込んだ上で、日々は進んでいく。だからこそ、私には、私たちには、こういう物語が必要なのだ。本当に素晴らしいシナリオだった。

今、ガザで起こっているイスラエルによる虐殺も、そしてそれに間接的であれ日本が加担していることも、声を上げる人は増えてきたものの、まだまだ"無関心"な層のほうが圧倒的に多い。その理由の1つにはきっとこれがあると思っている。伝わったり受け取る事を拒否している人も一定数いるとは思うが。
あなたの人生はあなたがあなたらしく生きていく為に存在している。そんなことを言われたような気がして、何かを自傷的にぐるぐると考えてどうしょうもなくなってしまったことが多々ある自分にも、トランセンドと同じく深いところに言葉が落ちてきた。誰かより幸福な現状であることを原罪の様に背負って生きたとしても、それはその誰かの幸福を生み出すことにはならないのだ。
このシナリオをやり終わって何日か経っているけれど、それでも泣いてしまう。まだまだ足りていないこともある日々だし、そこに対して自分の力ではどうしようもないことだってある。それでも、こうやって一歩ずつ一歩ずつ、そしていずれは誰かにとっての掛け替えのない誰かになれるように。そういう日が来たなら、私はきっとこの台詞を本当の意味で声に出して言える。そんな気がする。


6/8
 まだ少しはハナデルレイだったけど風邪はもう完全に治ったので、朝から超久し振りの映画を観に行った。観に行った映画は「フュリオサ」で、高まっていた期待通り凄く面白いフェミニズム映画だった。「マッドマックス 怒りのデスロード」を観たときは18歳くらいでまだそれがフェミニズム映画だと気がつけなかったけれど、8年経ってようやくこの映画を最初から本来の意味で受け取れたくらいには成長できたことに嬉しさを覚えた。勿論後から新たな視点を身につけて映画の意味を知る体験も良かったけれど、その時代に作られた映画の意味をその時代に受け取れるという事には他に代えがたい喜びの大きさがあると思う。最近は全然本を読んだり勉強できたりできていないのでそろそろ危機感を持っているのだけど、学び続けようとすることをやめてはいけないなと改めて感じるきっかけになった。
 映画を観た後は友人と北千住の「ここのつ」へ昔よく行っていたレバニラ定食を久し振りに食べたのだけど、相変わらずの美味しさにもだえた。ここのお店で初めてレバニラ定食を食べて以降、ここを越えるレバニラを食べたことは1度も無い。その後は近くの集会所でマーダーミステリー。6人で集まり、この前のゲームマーケットで買ったグループSNEの「」を遊んだ。
「」は3つの時代に起こった事件とそこに居合わせた人達が織りなす重厚なドラマがあった作品で、設定に少しだけ強引な部分はあったものの、初めてマーダーミステリーをやったときと同じくらいの感動を覚えた。純粋に2時間×3本というシナリオの物理的拘束時間というのも関係しているだろうし、そこによって積み重ねられたキャラクターへの記憶というのが大きいのだと思う。6時間というコンテンツは世の中にあまりないからこそ、他の場所ではあまり体験できない感動があった。そういえば、ウマ娘の育成シナリオも4~5時間くらいのボリュームなので、他ではあまり観られない作りとそこから発声する感情が得られているのだなと気がついた。取り敢えず、このマーダーミステリーに関しては色んな人にやってみて欲しいので、ネタバレになるようなことは一切ここに残さないようにしようと思う。マーダーミステリー後も一頻りゲームを遊び、軽く夕飯を食べて解散した。

普通のレバニラは豚レバーを使うけど、ここのレバニラは鶏レバーを使ってプリトロに仕上げています。ニラもシャキシャキ系のやつでとにかく美味しい。


6/9
 朝、知り合いの女性と性行為をする夢をみた。起きた後、頭の中にこびりつくようなその記憶とそんな夢をみてしまった自分自身に嫌悪感を覚える。自分に性欲が無いわけではないし、AVも観れば自慰行為だってするけれど、それでも今の生活の中で性愛的な関係は全く必要無いくらい満たされていると感じている中でのそれには、自分の頭と本能との乖離みたいなものを見せつけられたようで凄くキツかった。別にこんな事はここに書かなければ良いだけの話なのかもしれないけれど、こういう夢に限って頭の中にこびりついて離れないので、ここに書くことで少しでもこのやるせなさを吐き出したかった。誰かにとっては性行為の夢なんて最高なのかもしれないけれど、少なくとも自分にとっては凄く嫌だった。それは知り合いの女性ということもあったし、近づいた時のその女性の目が人形の目のような光の失った黒だまりだった。夢の中でそういう文脈で性行為に至っていたわけでは無かったけれど、その光景はまるで性暴力なのではないか、という感覚が何度拭っても消えなかった。自分と比べたらほぼ全ての女性がそうなのだろうけど、支えようとした腕の細さとかそこに宿る力の無さとか、そういうのも関係していたかもしれない。普段はちんこであることや暴力的であることを拒否しているつもりでも、結局自分はちんこで動いてしまう可能性があるし、暴力性にのまれてしまう可能性がある人間なんだという事実が目の前に横たわってきて、それが本当にキツかった。次その人に会うとき、勝手に申し訳ない気持ちになるのだろうなという未来も本当に嫌だ。ちんこで動くような人間になりたくない。
 記憶を消したかったので少し2度寝をしたけれど結局記憶は消えず、そのまま友人との約束していたジムでのトレーニングに向かった。ジムに行って全力でトレーニングすればその記憶から少しは目を背けて忘れられるかなとか思っていたけれど、有酸素運動をしている30分間ずっと上述してきたようなことばかり考えてしまって全然拭い去ることができなかった。こういうものこそ、時間が解決してくれることを本当に願っている。
 ジムに行った後は友人とそのままご飯を食べ、別れてから最近全然叩けていなかったポメラに集中するためにカフェへ。カフェで隣に座った60歳を越えた世代の男女が貰っていた年金の額の話をしていたのだけど、女性が『私は出産育児等で10年のブランクはあったけど定年まで働いて今13万なのよ』と言ったのに対し、男性が『え?俺も働いてなかったりしたけど15万貰ってるよ?』と言っていた。その時点でこの国の嫌な部分を感じたのだけど、更にそこへ追い打ちをかけるように男性が、『月に13万も貰ってれば全然大丈夫でしょ』みたいなことを言い始めたのでどうしようもないキツさを感じた。話を聞いているとその男性は家計というものを一切知らないみたいな話しぶりで(60歳越えても自分の生活にどんな費用がいくらくらいかかっているかも分からないなんてクソすぎないですか?)、そこに対していちいち他の女性たちが何にどれくらいかかっているかを必死に伝えていた。なのに男性は『うーん、でも全然大丈夫じゃない?』みたいなことを言い始めて、横で聞いている自分はお終い過ぎるなと思った。女性たちもそう感じたのか、その話をスパッと終わらせ、2人で別の会話を始めた。本当にしたかった話をできない状況にどうしたって追いやられてしまうあたり、今でもまだこんななのかと思うと本当に不憫すぎるし怒りしか沸いてこない。自分達の世代が年寄りになるときには、自分の周りだけでもこういう人間が出てこないように今から草の根運動をしていかねばなと強く感じた。
 日記を一通り書き切ったのでカフェを出て家に帰る。今週は風邪だったのでほとんど日記が書けておらず大変なことになるなと思っていたけれど、風邪が故に書きたくなるような事がそれこそウマ娘くらいしか無く、逆に助かったという変な感覚になった。ソシャゲ以外の媒体で物語や知識に触れられるのは元気なときだけだし、こんな風に文字を打てるのも元気があるときだけだから、今までの普段の自分は相当元気だったんだなと実感することもできた。取り敢えず、Instagramに残す感想や月の人さんとの「ポップカルチャー定期健診」の準備もしなきゃなので、ここから書くことに割く時間がかなり増えそうな予感。家では昼寝をして、録画していた番組を少し消化して、夕飯を食べて寝た。4話分録画を貯めていた「光る君へ」は相変わらずめちゃくちゃに面白く、まさか枕草子でボロボロに泣いてしまう未来が自分に訪れるとは思いもしなかった。だけど、きっとこういうことこそが歴史の面白さだろうなと思うと共に、清少納言や紫式部や百人一首のようなその時代のエンターテインメントが今の時代まで語り継がれ残ってきた意味で、今この時代に紫式部を改めて語り治す意味なのだろうなと感じた。改めて、凄い作品だ。

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