2024/7/8〜2024/7/14

7/8
 選挙から一夜明けて、ようやく冷静になってきた。とはいえ落ち込みが本格化するくらいにはキツさが残っていて、あの都政がこれからもまだ続いていくという事実に絶望的な想いを感じてしまう。ただやはり、やることとしては、不条理なことに対して真っ当に怒り続けるということだけだとも思っているので、不条理なことに対しては『私は怒っているんだ』ということをちゃんと表明していきたいと思う。
 この暑さで沢山汗をかいていたので家に帰ってからすぐ風呂に入ったのだけど、そこで足を滑らせ右足の甲を風呂の入り口の縁に思いっきりぶつけてしまった。ぶつけたところはえげつないくらいの痣ができてしまい、しばらく痛みでちゃんと立ったり歩いたりすることができなかった。かなり強めにぶつけてしまったので最初の方はシャワーが当たるのも痛くどうしたものかと思ったけれど、ソープもののAVで見たシャワーのやり方を実践したら痣にシャワーの直接の勢いが行かなくなってなんとかシャワーの行程を完了させることができた。まさかAVで得た知識がこんなところに活きてくるとは。全て使い方次第なだけで、この世に無駄な知識など1つもないのかもしれない。取り敢えず、今度からソープもののAVは風呂という行程におけるケアの仕方みたいな目線で観てみようと思う。
 家事だのなんだのを諸々終わらせた後は、配信チケットを買いながらもそのままにしていた男性ブランコの「駐車場」を配信で観た。1つ1つのコントが勢いでは無くふとしたニュアンスで面白くなっていく状況が積み上がっていく感覚が、淡々としているけれどやはり凄く好みだなとなった。ラストで辿り着く場所については物足りなさを感じたりはしたものの、今後の単独公演も見逃せない存在であるということは十二分に感じる時間になった。


7/9
 暑い。ここ最近の暑さったらという感じで、そのせいで眠りも浅く本当に朝起きれない日が続いている。本当は朝ジムに行きたいけれど、今の状態では全くできなさそうなので、諦めて仕事終わりに行くことに。人も沢山いるし家に帰ってからの時間が短くなるし本当は仕事終わりには行きたくなかったのだけど、こんな状態になってしまったら致し方ない気もする。とはいえ、ジムに課金しているという事実は絶対に無くならないので、行かないという選択肢が1番無い。なので、仕事帰りにちゃんとジムへ行った。自分偉すぎる。それにしても暑すぎる。もう日傘が無いとシナぷしゅみたいになっちゃう。
 時間が遡るけれど、今日の昼ご飯は久し振りに二郎系のラーメンを食べた。無性に二郎が食べたくなったけど近くに二郎が無かったので、という半ば妥協の入った選択。まあそんな妥協の心もあったので美味しさの部分はあまり気にせずだったのだけど、それよりなにより二郎"系"にしてはちゃんと量があるところに入ってしまったので、かなりウップウップなりながら食べきった。あと、そこにプラスして次の仕事があるためその量を10分で食べきらなければいけないという条件付きでもあったので、本当に全力出す短距離走だった。とはいえ私は日々鍛錬を怠らないアスリートなので、なんとか食べきることができた。そんな感じで戦いを終えたのだけど、無料で入れられるタマネギを入れすぎたせいで少しタマネギの臭いをまき散らしてしまった。ごめんなさいという感じ。家に帰ってからはポメラをちゃんと触ってから寝た。


7/10
 久し振りにかなり長い残業をしてしまったおかげで、本当は仕事終わりにジムに行こうと思っていたり、先週の「虎に翼」を観ようとしたりといったプライベートの予定が全て無に還ってしまった。これじゃあいったいなんのために仕事をしているのか意味が分からなくなってしまう。仕事なんてあくまで自分の人生の内の添え物でしかない程度の存在なのに。とここまで書いたところで、ならば会社の人とわざわざ出掛けたりとか話したりとかそういうことがうまく出来なくたって全然良いじゃ無いか、と改めて思うに至ることができた。そうだよな、自分は会社以外の場所に自分の軸足が置いてあって、そこが中心となって色んなものが回っているのだから。嫌な気分にはなるかもしれないけれど、そこまで大きくは自分の人生に影響ないのだから。そう考えると、先週キツくてキツくて仕方なかったあのボーリング+飲み会も少しだけ落ち着いて見れるようになれた気がする。まあ、言ってしまえば自分が色んな事を背負い込みすぎないよう単に距離を取っただけなんですが。要するに、ものは言いようって事。
 家に帰ってからはセブンで新発売となっていたエリックサウス監修のビリヤニを食べた。コンビニとしてはかなり珍しく(というか見るの初めてくらい)バスマティライスをしっかり使用した一品で、香りや味もさることながら食感がとても良いビリヤニだった。味もエリックサウスが監修なだけあってしっかりめちゃくちゃ美味しいし、これがコンビニという場所から出てきたことに驚く。普段コンビニ弁当を買わなさすぎるということもあるかもしれないが。その後は、「正反対な君と僕」の最新話を読んだり、「氷の城壁」の最新刊を読んだりというスーパー阿賀沢紅茶タイムを過ごすなどした。「正反対な君と僕」は相変わらず平くんの事が好きだなって思う気持ちと、"結局あの人自分のことしか興味ないじゃんない"という部分に物凄く食らってしまう回だった。実際自分も数年前誰かの事を好きかもしれないと思ったときに、それは結局自分に向けられた優しさやケアが好きで心地よかっただけで、結局その人という人間を見ず自分だけを見ていたのではないかと自己嫌悪に陥ったことがあった。だからこそこの回でくんの考えていた事が物凄くあるものとしてストンと落ちてきたし、そこに向けられる言葉にも食らってしまった。対して「氷の城壁」の最新刊は、人との関わり合いみたいなものを考えて考えて考え尽くした上で、それが全てあっけなく1点のバグみたいな熱量に打ちのめされていくような輝きすぎて息が止まるような瞬間が今までの積み上げと共に丁寧に描かれていて、心の中で叫び続けた。コミュニケーションがちゃんと重ねられて、自己の輪郭をどんどん明確にしていくような自省や思案がある作品だからこそ、本当に大好きで大好きで大好きになってしまっている。良作すぎる。

傾け注意らしい


7/11
 仕事帰りにジムに行って、上半身(主に胸筋周囲)をオールアウトさせた。上半身に限らず最初にジムに行き始めた頃より少しではあるけれど負荷も多くかけられるようになってきて、これが筋トレをやる楽しさと健康になっていくという実感かと改めて感じた。とはいえまだ全然トレーニングしている人とは思えないようなぽっこりお腹をキープはしているし、全体的に見たら筋肉より脂肪という感じの人間なので、トレーニング人(とれーにんぐちゅ)になるにはまだまだ道は遠いのですが。それよりも、今月末にある健康診断どうなるんだろ。トレーニングをして筋肉はついてきたからある程度自分に言い訳はできるものの、とはいえ体重に不安は残る。正直に書いておくけど、今の予想は90kgです。さあ、結果はいかに。ジム後は本気のオールアウトをしていたので腕が上がらず、ほとんどの家事に手こずった。あと、疲れでめっちゃ寝れた。


7/12
 会社で同じチームにいるずっとうっすら嫌いな人が、自分が会社の他の人から1mmたりとも嫌な視線を向けられたくないからって、『みんなの迷惑も考えようよ』という自分の都合でしかない架空の"みんな"を持ち出してさも自分が100%正しくてそれに従わないあなたはおかしいからね?みたいなニュアンスで人の仕事のやり方に制限をを設けてきて、仕事が終わり会社を出てからもイライラが続いてしまった。少し前にその事でその人が他の人に迷惑をかけたのかもしれないけれど、それはその時のやり方や状況が悪かったというただそれだけなのに、何をそんなに縛り付けたいのだろう。てか、そもそもそんなしょうもないレベルのことで本題の仕事の方を縛るな。そもそものスタートラインがその人のことを嫌いというのもあるにはあるのだけど、それにしたって意味分からなすぎてキツかった。自己の判断基準が他者にしかないのは分かったから、それを他人も一緒だと思わないで欲しい。私は私の軸で生きているし、自分の判断基準を他者からの視線や他者の判断基準に委ねたくないと思って生きているんだ。最近ようやく言語化できたけど、自分が嫌いな人の特徴に『自己の輪郭が曖昧な人』っていうのが強くある。特に、それが自分と同年代以上のいい大人なら尚更。因みにその人はイスラエルとパレスチナは戦争しているからどっちも悪い、みたいなことを本気で言えてしまう人で、そういうところも絶望的すぎる。そういえば、この人がそれを真っ先に言ったとき、『いや、あれはイスラエルによる一方的な虐殺だから戦争とはいわないよ』と悔い気味に言っていたあの人が今日、雑談の流れでマックとかスタバに最近は行っていないということを言っていた。あまりにもピンポイントだったので、その時本当は『イスラエルの虐殺に加担しているからですか?』と聞きたかったのに、自分に勇気が無くて聞くことが出来ず『そもそもそんなに行ってなかったんですけど最近は輪をかけて、、』みたいなお茶の濁し方をしてしまった。もっとしっかり実世界で政治だったりの話を当たり前にしていくことこそが健全なはずなのに、まだそれを恐れてしまっている自分がいる。結局自分も社会からの視線みたいなものにまだ縛られているのか。そんなの今日イラッとさせてきたあの人と同じ土俵に立っているということじゃないか。本当に情けない。言葉は凄く悪いけれど、あんな人と同じフィールドにはいたくない。勇気が出る出ないの話じゃ無い。自分がどうありたくて、どう生きたくて、どういう人と一緒に生きていきたいか。それだけの問題じゃないか。自分に恥ずかしくない生き方をちゃんとしていこう。それだけだ。
 会社終わりにはずっと観たかった「ルックバック」を観に行った。原作漫画は持っていてめちゃくちゃ食らっていたので、期待半分不安半分で観に行った。結果、とんでもなく映画で食らってしまった。映画を観る前に抱いていた不安は、この藤本タツキという人間の寿命が注がれたような作品に対して他者の手が介することにより、その輝きやある種の脆さみたいなものが損なわれてしまうのではないかという事だった。だけどそれは本当に杞憂なことで、寧ろ藤本タツキのだけではない、エンドロールで流れてくる多くの人の魂みたいなものが重く重く乗ったような作品になっていた。



7/13
 朝9時に目覚まし時計のアラームをかけたけれど起きられず、結局12時近くに起きる。そんな時間に起きてしまったらもう家を出る時間ギリギリなので、急いで身支度をして家を出た。急ぎすぎて、寝癖すらろくに直さず出てきてしまった。そんな感じで向かったのは、東京芸術劇場。先週それが上演されるということをギリギリで知った範宙遊泳の「心の声など聞こえるか」を観に。軽く走ったりしながら着いた頃にちょうど自分の番号が呼ばれたくらいで、駅から1度も立ち止まること無く席までついた。その止まらない感じが自分の中にある効率厨的な部分を刺激されて気持ちよかった。とはいえ寝過ぎなのか眠りが浅すぎなのか分からないけれど席に着いた瞬間猛烈な眠さに襲われたので、開演まで目をつぶってうつむいた。本当はこの時間で本を読みたかったのに、なんて思うことが最近は多すぎる。「心の声など聞こえるか」は大きな場所でも小さな場所でも起き続けている対立や分断を描いた作品で、誰かの正しさと観客の正しさ、それに正しく無さが舞台装置のように回り続けていく作品で、こうやって誰かにとっての正しさと正しく無さをごちゃ混ぜにしてコミュニケーションを取ればこそ分断は無くなると行っているようで、でもその分断が無くなったところでより大きな分断に否応なしに巻き込まれると言われているような、そんな希望よりも絶望が勝る作品だった。本当はそうなって欲しいとは思っていないのに、より大きな分断と対立を生む結果になってしまっている選挙というものが先週あった東京で上演されるからこそ、ある種の現実味や切実さを持っていたような気がした。飛び抜けてくるような面白さではなかったものの、範宙遊泳の言葉遣いみたいなものに久し振りに触れられて嬉しかった。自分が好きな劇団だったり演劇という作品を観る1番根っこの部分には、こういうその劇団や作家が演劇という場だからこそ出せる言葉遣いがあるのかもしれない。三浦直之然り、細川洋平然り。

今回のポスターはちょっと魅力が薄かったなとか思ったけど、範宙遊泳のポスターって毎回そんな感じだったような気がするなとも思ったり。

 観劇後は16時だったけれどお昼を食べ、カフェへ。今日こそInstagramに投稿しようとして溜めていた諸々の感想を書ききるぞ、という強い意思を持ちながらポメラを開いた。最近家だと当たり前みたいにウマ娘をやってしまい、新しいエンタメを摂取することも、何かを書くことも完全に止めてしまっている。それはウマ娘だけしていれば何も考えなくて良いからという部分に寄りかかっているからでもあって、でもそれは嫌だなと思っている自分もいるからこうしてわざわざ休日にカフェへ入る時間を作っている。そんな感じでカフェで夢中になって感想を書いたり日記を書いたりしていたけれど、長らくちゃんと書かない生活を続けてしまっていたせいで完全に書くことに対する筋力が落ちていて、2~3時間いたのに全然思ったように進まなかった。気がついたら暗くなってきていたので、そこから何もせず帰宅。帰宅後は家事をしプロテインを夕飯みたいに摂取して寝た。


7/14
 4時くらいに悪夢をみて目が覚めてしまい、そこから1時間くらい眠ることができなかった。多分5時過ぎくらいに再び眠りにつけたけれど、次に起きたときには友人とジムに集まる時間になっており、申し訳ない...とキャンセルの連絡を入れた。その後は起きて部屋の掃除をし、一緒にジムに行く予定だった友人ともう1人の友人を迎えに駅へ。今日は引っ越してから初めてその友人達を家に招き入れる日で、前の家同様相変わらず徒歩距離が長いと言われた。家に着く前にスーパーにより、弁当やら惣菜やらをたんまりと買い込む。ポテトサラダは調子に乗って1kgのものを買ってしまった。1kgのものを買うときは毎回ノリみたいなテンションなのだけど、実際に食べてみたら全然食べきれなくて毎回買ったことを後悔してしまう。今日は3人で食べたけれど、全然減らなくてちゃんと後悔した。昼ご飯を食べた後は3人でボードゲームを嗜んだ後、解散。その後は少し仮眠して録画番組等を消化。途中、帰宅してきた妹に『人を呼ぶなら前日に言うのはやめろ』と本気で怒られた。前日まで言うのをまるで忘れていたとはいえ、次やってしまったら家を出ていくというくらい怒らせてしまったので、本気で気をつける。
 夜寝る前にTwitterを観ていたら、SHISHAMOの吉川さんがパートナーシップの宣誓をされている報告を目にしてとても嬉しい且つ支持していきたいという気持ちになった。と同時に、「僕に彼女ができたんだ」の歌詞に込められた本来の意味にようやく気がついた。少し調べてみたらクィアコミュニティでは元々この意味で受け取っていた人もみたいで(書き手云々ではなく受け取り手の受け取り方として)、それを考えもしなかったということに自らの視界の狭さみたいなものを改めて痛感した。別にそれが恥とか悲しいとかではなく、改めて自分には自分の知識や感覚のある範囲しか認知できないのだという単純な事実がそこにあるという事実ただそれだけ。それを再確認した。あと、吉川さんがパートナーシップの宣誓をしたことに関してはいちファンとして喜ぶと共に、同性婚は未だにできないという現状にちゃんと怒っていきたいなという気持ちにもなった。もっともっと、自分事として怒っていく。取り敢えず、私はSHISHAMOの「夏の恋人」がめちゃくちゃ好きです。なんなら今でこそかなり聴いてるaikoをちゃんと聴くようになった導線をくれた大切な一曲です。


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