2024/9/9〜2024/9/15
9/9
これは本当に僅かな抵抗でしか無いし、結局まだまだ全然使ってしまっているから結局無意味なのだけど、自分が定期的に絶対発しているこの日記というものの更新を、Twitterに流すのをやめた。本当にだからなんなんだという話なんだけど、今のTwitterで何か発言をすることの(自らで選んだわけではない悪い意味での)不毛さ。投稿するという行為をした瞬間に見てしまうTLとそこに混ざる広告。そして何より、これからTwitterから徐々に離れていっていつか完全に抜け出すのだという未来に向けての小さくて大きな1歩。それがこの行動の意味として込められている。結局、自分が何かを書いたり発信したりの1番の軸足且つパーソナルな部分は紛れもなく日記にあるので。
今日は仕事で同じチームの嫌いな人と面倒なことになった。そうなった原因は自分にあってそれは自分が完全に悪かったので、本当に反省しなければならない。と共に、同じチームだからって嫌いな人と話そうとすると、結局"嫌いな人"というバイアスがかかっているせいでそういう方向に発言が向かってしまうという事にもっと自覚的になった方がいいなと感じた。結局のところ、嫌いな人とは取り戻すように仲良くしようとなんてしなくていいし、自分がただただ有害な言葉や行動をしてしまう予感があるなら永遠に黙ってろという事に尽きるのだ。申し訳ないなと思いつつやっぱり嫌いなままだからこそ、本当に学びになった。
9/10
最近は朝本当に起きれないなとか思っていたのだけれど、今月から裁量型労働制に切り替わった結果朝いくら寝ても大丈夫になった。そのおかげで何時までに起きなければいけないという朝のプレッシャーが無くなったせいか、朝からズルズルと引き摺ってしまう眠さも若干柔くなった気がする。とはいえ普通に起きて普通に会社に着くのは今までより電車が2本遅いだけの時間の違いでしか無いので、ほとんど変わらないのだけど。結局何かに追われているか否かの気持ちの問題。あと、朝の出勤に関しては異様に時間に厳しいくせに、夜の退勤に関しては馬鹿みたいに時間にルーズな日本企業の感覚に対するストレスもあるのかもしれない。因みに、最近私はそれを見せつける様に9時5分とかに出勤しています。たった5分ちょっとだけど、この5分が自分の中で大きなストレス因子であったことを改めて気づかされた。
仕事終わりはジムへ。今日は上半身をかなり追い込んだ。そんなことをしながらもようやくaikoの新譜を聴けたのだけど、あまりにも良く途中完全にトレーニングの手が止まった時間が生まれてしまった。特にアルバムバージョンにアレンジされた「いつ逢えたら」は、2番のBメロに追加されたピアノのメロディが流れ星のようで、「君は放課後インソムニア」の空気をより引っ張るような音になっていた。いつか消えてしまうことが必然の様に鳴らされる煌めきの音。なぜアルバムでこのアレンジが追加されたのかはこれから考えてみようかなと思った。そして可能なら、去年書いた記事を少しだけアップデートしたいと思う。頑張ろう。家に帰ってからは6週分と溜まりに溜まっていた「爆上戦隊ブンブンジャー」の録画を全て消化した。面白い回と面白くない回に分かれてはいるものの、去年までの仮面ライダーとかと比べたら全然楽しく観れた。
9/11
またポメラが変な挙動をし始めた。今回もまた『m』を連打してしまう事象。岐阜の時に比べたら全然マシな許容範囲レベルのそれなのだけど、とはいえやっぱり普段何かを書くという行為において依存しまくっているポメラが不調なのはとんでもなくストレス。今はまだ書き始めていないからあれだけど、「ポップカルチャー定期健診」の準備とかし始めたらこのストレスは果てしなくなってしまいそう。岐阜のときみたいに、ある日ふとこの不調が治ってくれることを祈っている。あと、多分買ってから1年くらいは経ったはずなので普通に保証期間も切れているはずだし、修理費がいくらかかるのかも怖くて考えられない。あと、ポメラが無い期間のこと。私は一体どこで書く行為というものを続けたらいいのだ。この感覚は上手く言えないけれど、書くという行為をパソコンにしたらいいとかそういう話ではない感じがしている。あくまで"書く"という行為は"書く"という行為に集中するための時間であってほしいので、ポメラでないといけないみたいな感じ。この感覚、ポメラを使っている人が少なすぎてなかなか共有できないんだよな。
今日は仕事で一日中外回り。途中の行き先がたまたま友人の働くお店に近かったので、お昼にはそのお店でご飯を食べた。友人のお店はかなり高級な部類の寿司屋なので、友人だから行っているとはいえ、こんなに美味しい寿司を自分の人生で当たり前のように食べるなんて、と行く度に毎回思っている気がする。イカやゲソは大好きなので勿論美味しいのだけど、友人のお店の寿司はとにかく穴子が美味い。炭火で都度焼いている穴子はめちゃくちゃフワフワで、正直このお店以上の穴子は食べたことが無い。友人のお店には結局1時間くらい滞在してしまった。あと毎回思うけど、友人のお店に自分みたいな格好のやつ入ってるの観たこと無いんだよな。自分くらいの年代の人もそうだけど。何回も来ていて感覚が鈍っているけれど、多分このお店はもっと背伸びして行くお店。少なくとも、ポロシャツとか作業着で行くお店では無い。と、毎回思っているのに毎回そんな感じの服装で行ってしまう。まあ、別にそんなの気にしてるの自分だけなんだろうけどね。
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9/12
仕事をしている最中、友人から『「ツイスターズ」が今日までです』という連絡が来たので、流石に行っておかにゃならんかとなり残業を1時間くらいでなんとか終わらせ新宿ピカデリーへ。パンチョで夕ご飯を食べてからピカデリーへ向かうと、木曜の夜だからか普段のピカデリーの感じよりかなり空いていた。少し遅れて友人もやってきたのだけど、部屋着のままコンビニに来たみたいな服装だったので友人の住んでいる場所との遠さを考えて時間ギリギリだったのかなとか思った。とか思ったけれど友人は夕飯を食べたと言っていたし1回ピカデリーに寄ったと言っていたので、時間云々じゃ無くこの格好なんだと気がついた。あと、よくよく見てみたら足下は靴だった(はず)なので、流石にコンビニ行く民ではなかった。友人はお替わり自由なドリンクバーを買っていて上映後も飲むのだと行っていたけれど、レイトショーの開始時間にドリンクバーが終了することを知りテンションが下がっていた。この友人は行動がその時その場所と無意識的に噛み合わないことが多いので、見ていて面白く本当に飽きない。本人としてはめちゃくちゃ不本意なんだろうけどね。「ツイスターズ」は多分シナリオやキャラクターの心情変化の雑さにツッコんではいけないんだろうな~と思うようなB級感がありつつも、ハリケーンの描写にちゃんと恐れがあった映画だった。画面がずっとハリケーンなので飽きるかなとかは思っていたけれど、地震という同じ自然災害と切っても切れない日本という国に住む者として、住むしかない者として、映画で感じるハラハラみたいなものとは別の緊張を感じていたのは確か。どうでもいいけど、ハリケーンに向かって走っている車たちはどれも少しだけ「マッドマックス」感があって、絶対少しだけ意識したんだろうなとか思った。映画が終わった後はさっと友人と別れ、家に帰りいつもより少し遅い時間に寝た。
9/13
平日は普段から寝覚めが悪いのだけど、今日はその中でも特に寝覚めの悪い日だった。昨日がいつもより少し遅い時間の入眠になったというのは勿論関係しているのだけど、それにしても眠い。あと、今日はとても寝言を言っていた様な実感があって、もはやある程度ちゃんと喋っていたような気すらする。だけど、何の夢をみていたかは思い出せないし、そのせいか眠りも浅かった気がする。そんなわけで朝どうしてもツラかったので、普段よりも20分ほど遅れて出社。とはいいつつも、会社の中ではかなり出社が早いほうではあるのだけど。仕事は今日も平常運転的に忙しく、相変わらず残業して嫌な気持ちになった。残業続きで今週まだやれていなかった下半身のトレーニングをジムで。普段より重量を上げてトレーニングした結果、ジム終わりの階段が転げ落ちるのでは無いかと思うくらいの苦行になった。これは明日の筋肉痛が楽しみだ。と、今書いているところでようやく自分にとって筋肉痛が"楽しみなもの"として認識されていることに気がついた。それはきっと今の自分が頑張った成果みたいなものが短いスパンで返ってくることの証拠だからで、数字で測ると大したことないのではないかという自分の実体に実感だけで追いつこうとしているからなのだと思う。最近はジムに行くことが楽しみでも嫌でも無いただの生活になってきたので、このまま生活としてのジムを続けていこうと思う。家に帰ってからは何かをできるような時間でも無かったので、ウマ娘を少し嗜んでから寝た。
9/14
1日完全に何も予定を入れていない休み。とは言いつつ、予定を入れていないということは終わっていないポメラの山を消化するという事でそれに全力を傾けようとするものの、結局サマソニの日記と「彩香ちゃんは弘子先輩に恋してる」の感想を書き切るくらいしか出来なかった。自分にはもう少し体力が備わっていると思っていたんだけどな。そんな1日だったけど、昼はサラダうどんで夜は炒飯を沢山作ってモリモリ食べ、お腹は満たされた1日だった。あと、足の筋肉痛は凄かった。
9/15
今日は高校演劇の城西地区の地区大会を観に行こうと思っていたのだけれど、起きた時点で上演が始まる少し前というような体たらくになってしまったので、城西地区に行くことは諦めてプーク人形劇場で行われる中央大会に予定を変えて行くことに。プーク人形劇場はモスとフェイバリットの千早高校が去年地区大会で立った場所で、行きたかったけど仕事で行けなかったので1年越しで来れたなという感じ。と言いつつ、この日に千早は出ていないし、知っている高校すら無い状況ではあったんですけど。会場の入り口にはかろうじで人が立っていたけれど、本当にここが会場なの?と疑ってしまいたくなるような圧倒的な静けさで、誰の何の関係者でも無い自分はとにかくビビってしまった。取り敢えず会場内に入ってはみたものの、会場内には今日の出演者の中の1校であろう生徒達がチラホラいるだけで、それ以外は全く人がいない正直恐ろしさすら感じ様相だった。前回地区大会に行ったときは立川女子とかの出演があったので人がそれなりにいたけれど、普通はこれくらいなんだなと地区大会の様子を実感。それにしても、プーク人形劇場のキャパが小さいこと小さいことという感じで、眼鏡はかけているものの自分視力の悪さでも俳優の顔がしっかりと見えてしまって驚く。そんなことを思いながら今日は6校の演目を観たのだけど、正直ちゃんと面白いなと思えるのは1校のみで、あとはほとんど感情が無風だった。まあ地区大会だったらこんなもんだよなとは思いつつ、とにかく人が死ぬことに対しての軽さみたいなものが気になったので、今年の地区大会はその部分にもフォーカスして観ていければなと思った。あと、これに気がついたとき、"Podcastで話せるぞ"とか思ってしまった。多分これは凄く良くない。喋るために観る、という順番になってしまっている。いまいちど何が目的で高校演劇を観に行くのかハッキリさせねば。
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何を考えているか分からない人間の極地みたいな感じがしてしまう。
全ての演目が終わる頃には17時近くなっており、そのまま帰るのもあれだったので一旦カフェへ。そこで地区大会の感想や日記を少し書き、折角新宿に来たのでと映画の上映時間を調べ、シネマカリテで良い感じに時間が合っていた「ナミビアの砂漠」を観に行った。内容は日本版の「私は最悪。」といった感じで、登場人物のことを等しく嫌いになりつつも嫌いにはなりきれない人間らしさみたいなものがかなり強い濃度で描かれていた。自分がこのキャラクター達をどうして嫌いだと感じたのか、それをちゃんと言語化しておくことには凄く価値があるのかなと感じている。自分が嫌いだったのは他者と自己との境界線の曖昧さで、作品に出てくるキャラクター達が明確にその境界線が薄かったり乗り越えたりしてくるのが(作品としてでは無くそういう人物がという意味で)キツかった。とはいえそのキツさが直接作品の面白さに繋がっていて、全身にじっとりと汗をかいてしまうような面白い映画だった。映画を観終わった後は富士そばでカツ丼を食べ、家に帰って少し高校演劇のことを調べてから明日の大会に備えて寝た。