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バンジージャンプに行きたい

久々にバンジージャンプを飛びたくなった。
バンジージャンプを飛ぶ前に橋の端に立って、目の前の空間の広がりに恐怖をする。
これから飛び降りることを想像して恐怖する。

恐怖したい。足場のない場所へ飛び込みたい。

バンジージャンプなんてお金がかかるし、やってる場所は遠いし、やったって給料上がるみたいな明確な利益ないし、そもそも高いところから飛び降りるのは怖いし、やる意味なんてあるんだろうか?

ある。それは明確にある。
情動がある。あのえもいわれぬ恐怖心。それこそがバンジージャンプを求める理由だ。飛ぶ意味だ。

そう恐怖心。

もう忘れてしまっている。前回飛んだバンジージャンプいつだったか?

2021年の3月21日に飛んだようだ。忘れてしまった。

われわれは慣れてしまう。
できるようになってしまう。
繰り返すことで同様の処理に慣れ、飛び降りる恐怖心ですら慣れて鈍感になってしまう。
初めてバンジージャンプを飛んだ時の新鮮な驚きの感触は、膜を張ったようにブヨブヨの手触りになってしまう。ブヨブヨしていることにすら思い至らなくなってしまう。

忘れることは通常忌避されることだ。
約束を忘れてしまえば、同じ約束をした他者に迷惑をかける。
物の場所を忘れてしまえば使いたいものを使いたい時に使えなくて困ってしまう。

けどバンジージャンプは忘れていい。何度忘れたっていい。忘れることが大事。

短い期間で何度も飛んでみると飛ぶことに慣れてしまう。慣れてしまって当たり前になる。
「俺ってバンジー飛べるんだなと思う。」
その感覚を保存したまま時間が経つ。飛び降りた時の情動、恐怖心を忘れてしまったのに…

だのに飛べるって思い続けている!なんて滑稽な!

だから確かめにいく。

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