私とタバコの呪い〜不快ではない呪いを選ぶ。「ぷろおごサロン呪い研レポート」
サロン活動の一環としてこのレポートを書いている。
人はどうして不快になってしまうのか、そこには不快を浴び続ける構造があった。
ぷろおごサロンでは構造的に回避できない不快のことを呪いと呼んでいる。
レヴィストロースの野生の思考という本を課題図書として、構造について学んできた(読んでいない)。
科学的思考も未開人的思考も同じく「あれとこれは違う、あれとこれは同じ」みたいな方法で分類していて、西洋から離れた場所に住んでいる小集団だからといってバカにすんなよみたいな話だった(読んでないんだけど)。
私はタバコに依存している
いざ自分の身近で構造によってどのような不快が訪れているかということを考えてみるとタバコがあった。
20代になってすぐ、友達がタバコを吸っていたのでタバコを始めた。
1箱500円して健康にも悪く、煙の匂いも決して良い匂いでは無いタバコであるが私はタバコを毎日1箱吸っていた。
そのことによって何のデメリットもないのであれば、私にとってタバコは呪いではないと言えるのであろうが、私にとってタバコはデメリットだ。
タバコの不快みっつ
デメリットとしては以下の3つ、
金銭面
健康面
対人関係面
この3つにおいて、私にとってはタバコは不快があると感じている。
金銭面
金銭面で言えば1箱500円位として、1日1箱吸ってしまうと1ヶ月で30箱位500 × 30と言うことで15,000円毎月消費されていくのだ。
それは私の給料で言うところの10分の1もあったりするので、軽い比重の消費ではない。
1冊800円位の本だったら大体20冊買えるじゃないか!!
健康面
健康面でも不快がある。
タバコは吸うたびに肺と喉にダメージを与えていく。
肺胞をつぶし、酸素の取り込みを阻害して運動能力を落とそうとしてくる。(ただでさえ加齢で運動能力は下がる一方だというのに)
私の場合は喉にも深いが出てきていて、最近は喉に痰が絡む、と言う症状がある。
医者にかかっているわけではないが、症状を治したかったらまずはタバコをやめろと言われるのは必定であろう。
対人関係面
これは主に吸わない人との関係である。
毎回煙で行されるのでその煙臭さであったりとか、そもそも煙自体に毒性があるので副流煙を吸わせてしまったりとか、そういった配慮が必要なこともあるが、その2つが不快であるため喫煙者として扱われ避けられるといったこともあるでしょう。
もしタバコを吸っていることで、自分の好ましい人から嫌われるとすればそれは不快であると言って良いでしょう(私にとっては不快だ)。
だから私はタバコをやめられない(構造)
上記の三つの不快のためにタバコをやめてみようと思っても
タバコをやめたくなる(不快により)
→タバコを止める
→タバコを吸っている人や情報に触れて想起される
→タバコを吸うことに肯定的になる
→タバコを買う
→タバコを吸う
→タバコをやめたくなる
→以下ループ
タバコを吸いたくなったら、タバコを吸うことを肯定してしまって、吸ってしまうを繰り返していて、ただタバコを止めるということはできなかった。
なので、
タバコをやめたくなる(不快により)
→タバコを止める
→タバコを吸っている人や情報に触れて想起される
→キシリトールガムを噛む
→タバコを吸いたくなる
→キシリトールガムを噛む
→タバコを吸いたくなる
→以下ループ
という感じで禁煙を4日間くらいやっている。
置き換えによってタバコを吸わないでいる
以前から何度か禁煙失敗している。
何もせず何ヶ月も禁煙することができることもあるが、結果的に再開してしまって、その度に喫煙本数も増えてしまっていたので
現在はタバコ→ガムで禁煙をしている。
呪いに介入して不快をキャンセルし続ける
今回も禁煙は失敗するかもしれないけれど、精神的な消耗、努力量的には少ない労力で禁煙することができている(4日前にひゅーごさんからガラムってタバコもらっちゃったけど許して、買ってないから金銭的な不快を避けているから)。
ということで禁煙やっていきまーす。
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