交通事故事件で医療機関が困る点と対策

 交通事故被害者が整形外科で治療を受けるにあたり,加害者側保険会社(以下「対人社」といいます。)から整形外科へ直接治療費が支払われる実務(通称「一括対応」)が行われています。
 ただ,この一括対応では種々のトラブルが生じやすいため,予想されるトラブルとその対応策を以下に説明します。

第1 一括対応とは
【交通事故の損害賠償における一般論】
 交通事故の損害賠償請求では,被害者に生じた損害のうち,事故と相当因果関係が認められる損害のみが請求可能です。治療費で言えば,①必要な治療だったのか,②金額として相当なのか,という点で事後的に相当因果関係を検証する必要があります。このため,原則論でいえば被害者本人が治療費を全て医療機関に支払い,治療終了後に相手方へ治療費を請求することになります。

【一括対応の趣旨と問題点】
 このような原則論はあるものの,自由診療では治療費が高額となるため,被害者の負担が大きくなることから,保険会社は被害者に対する一種のサービスとして一括対応を行っています。よって,医療機関に対し,直接病院へ治療費を支払うよう求める権利は,原則として被害者にも存在しません。

第2 予想されるトラブル① - 対人社から連絡がない
【問題点】
 交通事故患者が来院したものの,対人社から一括対応の連絡がないため,後に治療費が支払われるかが宙ぶらりんになる問題です。

【対応策】
 患者に対して,以下のような説明を行い,了承を得る必要がありあます。できれば誓約書という形で証拠化するとよいでしょう。
 ①速やかに対人社に対して病院へ連絡するように伝えること
 ②病院での治療を受け,病院に治療費を支払う義務があるのは患者であって対人社ではないこと
 ③対人社から病院に対し治療費が直接支払われなければ,患者が治療費を支払うべきこと
 また,対人社からの連絡があるまでの保証金として1万円程度を預かり,一括連絡あった場合を条件に返還するなどの対策もあります。

第3 予想されるトラブル② - 対人社から治療費が支払われない
【問題点】
 対人社から一括の連絡があり,治療を開始したものの,後に「怪我をした事実自体がない」「入院の必要性がない」「相当性がない高額治療がなされている」などと主張され,支払が保留・拒否されることがあります。

【一括対応を約束した対人社は医療機関に対し支払い義務を負うか】
 同様の事例について,医療機関から対人社への診療費支払請求権を否定した大阪高裁平成元年5月12日判決があります。その他,本判決と同一趣旨の裁判例として東京地裁平成20年12月16日判決,東京地裁平成22年5月7日判決などがあります。
1 結論
 原則として対人社は医療機関に対し診療費支払義務を負いません。例外的に,
 ①対人社が加害者の負担する損害賠償債務の範囲を超えて支払いをすると明確に約束する
 ②対人社が医療機関自体に直接損害賠償義務を負担すると約束する
というような事情があれば,対人社が医療機関に対し治療費の支払い義務を負うと考えられますが,そのような約束をすること自体が想定し難いです。
2 理由
 対人社は加害者の負う損害賠償債務を加害者に支払えば足りるため,医療機関に直接損害賠償義務を負担するわけではない上,一括対応約束は,治療費直接払いを円滑に行うための協議であり,医療機関に対し,対人社への治療費支払請求権を付与するものではないという判示がされています。

【医療機関に対し,対人社が「対人社が医療機関に直接診療費を支払うことを約束する」という念書を差し入れた場合,対人社は医療機関への診療費支払い義務を負うか】
 同様の事例について,これを否定した鳥取地裁米子支部平成28年11月29日判決があります。
1 結論
 念書が存在したとしても,併存的債務引受や連帯保証の意思があったとは言えず,対人社は医療機関に支払義務を負わないとしました。
2 理由
 対人社は加害者の損害賠償義務を填補すれば足り,加害者の損害賠償義務を超えて支払う必要はありません。このため,第三者である医療機関に対して直接診療費支払義務を負担すべき立場にはないのです。とすると,念書の趣旨は一括払いの合意を証するものであり,併存的債務引受や連帯保証の合意とするのは困難です。

【対応策】
 医療機関から対人社に対する診療費支払請求権を認めた裁判例は見当たりませんでした。このため,結局は患者から治療費を回収することになります。基本的には事前に「患者と病院の診療契約に基づくものであり,病院への診療費支払義務は患者に有る」という誓約書を取ることが望ましいです。また,対人社に対する直接の請求権が法的にはないとはいえ,以下の点を訴えることで任意の支払いがなされることがあります。
 ①医療機関としては,他覚的所見がない患者であっても,患者の主訴を信じて真摯に治療している
 ②一括払いの連絡を信用して治療を行ったものであり,医療機関が関知できない理由で,初診時に遡って治療費支払いを拒むのは余りに不当
 ③少なくとも,現在までに要した治療費については医療機関に支払い,あとは患者と対人社で解決してもらいたい
 加えて,対人社が一括払いをさかのぼって拒否したとしても,既に医療機関に支払済の治療費を返還請求することはほぼありません。このため,対人社に対する治療費の請求は1ヶ月に1度行い,請求を溜めることがないようにするとよいでしょう。
 なお,自賠責保険の傷害部分枠120万円が残っている場合は,被害者請求を用いて治療費を回収する方法もありますが面倒です。

第4 予想されるトラブル③ - 健康保険・労災保険利用を求められた
【健保・労災利用の趣旨】
1 被害者側のメリット
 被害者にも過失がある場合,治療費のうち被害者過失部分は自己負担となります。このため,自由診療に比して一点単価を圧縮することで自己負担額を減少させることが可能です。
2 加害者のメリット
 一点単価が圧縮されるため,治療費分の賠償額が減少します。

【健保・労災利用要求に応じる義務】
 患者が健保・労災利用を求めてきた場合,これを拒否することはできません。但し,本当に患者本人が健保・労災利用を希望しているのか(保険会社の指示がある可能性)を確認する必要があるでしょう。

【健保一括の是非】
1 健保一括の概要
 健保を利用した上で,3割負担部分を保険会社が医療機関に直接支払うというものです。
2 適法性
 一部書籍では,健康保険法74条1項を根拠に,患者は3割負担部分を窓口で直接支払う義務があるとして,健保一括を違法とする記載があります。もっとも,同条は治療費のうち7割は健康保険から支出され,3割を患者が負担する義務という至極当然のことを定めたにすぎません。同条は「窓口での直接払い以外の支払い方法を禁じる」「保険会社という第三者が治療費を直接支払い(=第三者弁済)することを禁じる」というものではないため,健保一括を禁止する根拠にはなりません。そして,他に健保一括を否定する法規は見当たりません。よって,健保一括自体は適法だと考えられます。

【健保・労災利用時に自賠責保険様式の診断書・レセプトを作成すべきか】
1 作成義務の有無
 健康保険用の診断書・レセプトを作成すれば,基本的に自賠責様式の診断書等を作成する義務はありません。もっとも,以下の問題があるため,被害者側弁護士としては作成していただけると助かります。
2 自賠責保険様式の診断書・レセプトが必要な理由
 対人社・被害者・被害者加入の人身傷害補償保険会社(以下「人傷社」といいます。)は,自賠責保険に対し,自らが支払った治療費を請求します。この際に自賠責保険様式の診断書等が必要になるのです。
3 自賠責保険様式の診断書等が作成されない場合の被害者のデメリット
 自賠責保険様式の診断書等がない場合,原則として被害者は支払った治療費や通院日数に対応する慰謝料・休業損害等を自賠責に請求できないことになります。例外的に健康保険に提出したレセプト写し,カルテ等で代用可能なこともありますが,結局これらも医療機関に対し個人情報の開示請求が必要です。このため,被害者側弁護士からカルテ開示の請求がなされる可能性が残ります。

第5 予想されるトラブル④ - 医療照会を求められた
【医師面談に応じる義務】
 保険会社から医療照会を求められても,これに応じる義務はありません。もっとも,「治療の必要性が確認できない」ことを理由に,一括対応を終了する保険会社もあるため,医療照会に応じていただけると患者としては助かります。
【医療照会を行う場合の注意点】
1 患者の同意
 医療情報は個人情報の中でも極めて秘匿性が高いものとされています。このため,患者の同意書は必須です。その上で,直接患者に対し,
 ①医療照会の求めがあったこと
 ②回答内容の趣旨
を説明しておくことで,「知らない間に医療情報を回答された」というクレームは防止できるかと思います。
2 書面回答と面談
 軽傷案件では保険会社から書面が送られてくることが多いです。これについては患者の同意を固めておくことが必要ですが,医師・保険会社・患者の三者面談とすることで,「医師が不適切なことを言った言わない」の争いを防ぐことができます。

第6 トラブルになりやすい事例
 以上のようなトラブルが起きやすい事例というものが存在します。以下では,リスクのある事故とその趣旨を説明していきます。医師からも患者から事情を聞き,リスクを把握することが重要です。
【被害者の過失が大きい場合】
1 理由
 被害者の過失が大きい場合(体感的には4割以上),対人社は一括対応を拒否する傾向にあります。事故直後は過失が明確でなかったものの,後に過失が大きいことが分かったときなどが一括中止のリスクがあるのです。被害者の過失が大きい場合,対人社はすべての損害について被害者の過失分を支払わなくてよいですが,自賠責保険は7割以上の過失がないかぎり全額が給付されます。この場合,自賠責保険から出る保険金額が,対人社の支払い義務よりも大きくなることがあるため,被害者の過失大のとき対人社は一括を拒否するのです。
2 過失が大きい事故態様
 過失割合は「別冊判例タイムズ38」という書籍で検討しますが,これなくして正確に把握するのは困難です。もっとも,以下の原則から大まかに把握することは可能です。
 ①直進車が優先。右左折車,進路変更車の場合は過失が大きい
 ②信号の規制はほぼ絶対的。赤や黄色で進入した場合は過失大
 ③一時停止や非優先道路側のほうが過失大
 概ね,「それは流石に危ないんじゃないか」という感覚は過失の大きさと合致しやすいです。

【軽微事故の場合】
 クリープ現象などでの追突や,ミラーのみの接触,自転車やバイクが転倒していない事故では,身体に加わったエネルギーが軽微=治療が必要な怪我ではない/◯ヶ月もの治療は必要ないとの主張がよくあります。車両修理費(感覚的には10万を切るとリスクがあると感じます。レンタカー代と混ざっていることがあるので注意が必要です)や転倒の有無を聴取するのが無難だと思われます。

【入院の場合】
 入院費の請求には,①入院の事実と②入院の(医学的)必要性が重要となります。争いになるのは②です。
1 入院の必要性が認められる例
 ①傷病の状態が重篤で,常に医師の監視の下に随時適切な処置を要すると認められるとき
 ②入院しなければ,その傷病に必要な処置・手術などが実施できないと認められるとき
 ③歩行不能又は著しく歩行困難であるために,通院に支障をきたすおそれがあると認められるとき
 ④歩行は可能であるが,通院することにより傷病が悪化するおそれがあると認められるとき
2 入院の必要性が否定される例
 ①患者からの希望での入院
 ②外泊が多い
 ③入院でなければ出来ない治療のためではなく,専ら安静のための入院
3 問題
 特に頚椎捻挫等の傷病では入院の必要性が争われやすいです。このため,通院ではなく入院しなければならない事情を説明できるようにしておく必要があります。

第7 救いたいと思う患者を救うためには
 以下では,救いたいと思う患者に対して医療機関側として出来る対策を述べます。
【治療の必要性】
1 原則
 治療について第一義的に判断権を持つのはいうまでもなく医師です。しかしながら,最終的に「治療の必要性」という法律問題を判断するのは裁判所であることも事実です。そして,治療の必要性はカルテの記載や医師の意見から裁判所が認定するため,特にカルテの記載が重要になります。
2 カルテの記載
(1)症状の変化(主観的/他覚的)
 症状の改善傾向が無くなった時点が症状固定時となります。「著変なし」が連続していると症状固定と判断されやすいです。SOAPがしっかりしていると対人社も争いづらいと思われます。例えば,疼痛であればVAS,可動域制限であればROM値など,客観的な数値が記載されているとよいと思われます。その他,患者の主訴についても,ある程度詳細に記載されたほうがよいでしょう。但し,VASやROM値などが悪化している場合は,対人社から治療の効果や事故との因果関係に疑義を呈されることがあります。
(2)具体的治療内容
 「術後リハビリテーション」「左肩ROM訓練」「ストレッチ指導」という記載ではなく,「拘縮予防のために◯◯の部位に◯gの負荷を◯分かける」「ROM目標は◯度」「◯◯筋のストレッチ」などの詳細な記載をすると具体的な治療内容がわかるため,訴訟上も治療の必要性を肯定しやすいです。
(3)余談
 なお,上記の「拘縮予防のために◯◯の部位に◯gの負荷を◯分かける」「ROM目標は◯度」「◯◯筋のストレッチ」といった記載は,健康保険に関する厚生局からの行政指導で求められたものです。このため,このような記載を徹底しておくことで,健康保険診療においても行政指導のリスクが減ることが考えられます。

【休業損害】
 休業損害の請求においては,「休業の(医学的)必要性」が重要になります。このため,対人社は医療照会などで「休業の指示をしていますか」などと問い合わせてきます。もっとも,医師にとって,患者がどんな仕事をしていて,どのような支障が出ているかを把握していない場合,「休業の指示はしていない」「支障の程度は不明」との回答をせざるを得ません。この回答が医師から出た場合,対人社は「休業の必要性なし」として休業損害の支払いを停止することが多いです。このため,医師から休業の有無,職種,具体的支障を聞き取ってカルテに記載すると,患者の経済的困窮を防ぐことが可能になります。

【後遺障害】
 後遺障害の認定はほぼ書面審査です。このため,経過診断書や後遺障害診断書の記載内容が最重視されます。また,後遺障害の認定において自賠責が必要と考える検査(短縮障害であればロールXP,動揺関節であればストレスXPなど)がなされていないと,立証不十分として認定がなされません。患者に遺残した後遺症が適切に認定されるための検査方法を確認する必要があります。

第8 患者の言動の意図
 以下では,なぜ患者はこのような言動をするのかという点につき説明します。
【過失0にも関わらず,事故直後から弁護士を介入させる】
(1)過失と損害の違い
 患者の過失の有無は,発生した損害の額に影響を及ぼしません。例えば,過失が0%の場合でも50%の場合でも,同じ怪我をしているのであれば事故によって発生する損害(治療費,慰謝料,休業損害など)は同じ額になります。
(2)弁護士介入による増額
 しかし,弁護士が介入し,対人社に対して十分な主張立証を行うことによって,①慰謝料,②休業損害,③逸失利益(後遺障害により失われる将来の収入)等の額が数十万~数千万円単位で変動します。残念ながら,対人社の内規で「一般人相手の示談上限額」と「弁護士介入の場合の示談上限額」が設定されているのが理由です。
(3)その他の要因
この他,治療中から弁護士が介入することの患者にとってのメリットは以下のようなものがあります。
 ①対人社との交渉を弁護士が行い,患者は治療に専念できる。
 ②事故対応のプロである対人社と患者では知識に大きな格差があるため,常に分からないことや不満を生じるが,弁護士が介入していれば,いつでも質問や意見を行うことができる。

【頻繁かつ長期に通院しようとする】
(1)後遺障害認定の基準
 治療終了時点で症状が残存した場合,自賠責保険に対し後遺障害の申請を行うことになります。そして,自賠責保険は,特に骨折のない頚椎・腰椎捻挫等の傷病による症状の認定について,以下のような基準を設けていると推測されています。
①通院期間
 最低限6ヶ月の通院がない場合,認定はほとんどおりません。「6ヶ月も治療してなお症状残存しているのであれば,将来にも残存する可能性を認めて良い」という思想があると思われます。
②通院頻度
「症状が重いのであれば,十分に治療するはずだ」という思想から,6ヶ月間のうち80~100日の通院があるかを見ているようです。100日を超えて通院をしていても認定率が上がる傾向はないですが,80日を下回る通院の場合,認定率は明らかに落ちます。また,整骨院がメインの通院となっている場合,認定はほぼおりません。
(2)結論
 以上のような基準があるため,患者(特に弁護士が介入している場合)は週3~4回の通院を6ヶ月以上続けようとするのです。

第9 まとめ
 医師は治療の専門家ですが,弁護士は賠償の専門家です。上記の治療/休業の必要性の主張立証方法,自賠責保険の認定実務はさすがに弁護士の専門分野だと言っていいでしょう。もし,困っている交通事故患者がいれば,弁護士に相談させてみると道がひらけるかもしれません。

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