2019年9月3日~白鵬の日本国籍取得から大相撲国籍問題について思うこと

 今日、朝、白鵬ファンの友達から「官報を見て」とDMが着て、見たら、白鵬が日本へ帰化したことが書いてあった。うっああああああ。白鵬ファンとして、横綱が日本に残ってくれることはとても嬉しい。引退した後も、親方としての白鵬を見ていられるなら、人生が5倍は楽しい。でも、同時に、モンゴルの国民栄誉賞(名前は違うけど)を親子二代で(お父さんはモンゴル初のオリンピックメダリストにして、モンゴル相撲の大横綱)もらってる人に、モンゴルの国籍を捨てさせることに、とても申し訳ない気持ちになった。ありがとう&ごめんなさい、それが正直な気持ちだ。

 とはいえ、今はとにかく、白鵬が自分で選んだ選択を尊重したい。心から感謝したい。まずは、それだ。永遠に白鵬ラヴですからね!!

 しかし、それとは別に、近いうちにまた、大相撲の親方国籍問題を相撲協会はコンプライアンス委員会を開いて話し合ってもらいたいと心から願う。どうして、日本国籍でないと、親方になれないのか?

 聞くところによると、横綱鶴竜も帰化申請をしているという。となれば、ここしばらくは外国籍の力士による親方問題は沸き起こってこないかもしれない。でも、だからこそ、その間にこの問題を今一度、話し合ってもらいたいと、1相撲ファンとして、心から願う。

 毎日新聞は7月末に「論点」というオピニオン記事で、この問題を2人の識者の意見で論じていた。相撲協会顧問のひら原利明さんと、早稲田大学の教授の武藤泰明さんが論じ、前者は「文化継承には合理的」だといい、後者は「人を問うことが必要」としていた。それぞれ詳細な意見があり、そこにそれぞれの理由があるようだが、私にはどちらも説得されるに十分ではなかった。

 今、国、ということは大きな問題になり、わだかまりになり、国という単位が日本で何かを論じたり考えたりするときに、すごく重要視される。日ごろからそれには??を感じることが多いし、相撲ではまた特に、髷を結い、まわしを巻き、相撲部屋で生活し、日々努力をして土俵に生きる人たちに「国」や「国籍」って、そんなに大きな問題なのだろうか?と思う。

 国民性、とかもいうが、私自身、日本人というステレオタイプな型からはだいぶはずれて生きてきたので、国民性という言葉をあまり信じない。同じ国の出身であっても、育った環境や、その人の資質、さらに、力士ならば日本に来てからの相撲部屋の環境などで、色々変わるはずだ。相撲部屋には親方だけじゃなく、仲間や行事さん、床山さん、呼び出しさんと大勢の人がいて、色々なことを学び、吸収する。

 また、伝統を理解するに、国籍というのはそうそう重要ではないはずだ。私はイギリスやアメリカの音楽を愛してずっと聞いてきたが、自分がイギリス国籍やアメリカ国籍じゃなければ、そのルーツにあるものが理解できないとは思ったことがない。歌の魂に触れて涙したことは数えきれないほどある。アメリカ南部の寓話めいた歌などにとてつもない郷愁や親近感を抱くが、アメリカ南部には行ったこともない。

 相撲協会はコンプライアンス委員会を作ったのだから、ぜひ、これからそれを活用してほしい。これから5年後、10年後に親方になりたいと願う、外国籍の力士のために、今一度、真剣に論議してほしい。外国籍、というのは何もモンゴルや欧米から来た人だけに限らない。在日コリアンの人だっているはずだ。

 私が持っている「ジェシーとサリー ガイジン力士物語」には、高見山の話として、こんなことが載っている。

「ところが、1975年だったか76年だったか、相撲協会が『ガイジンは親方になれない』という規則を作っちゃった。あんまりだと思わないか。まるで僕へのあてつけだよ。納得がいかないんで、ある親方に問いただしたんだ。そうしたら、どう答えたと思う? 『ガイジンが親方になれば、マフィアとかそういう類のものが相撲界に入りこんできかねない』だとさ。ナンセンスだとおもわないかい」

 もし、これが事実なら(もちろん、この本では「口実」とされていますが)、ぜひとも、将来的に今一度、この問題、話し合ってほしいと願う。今すぐじゃなくてもいい。来年でもいい。でも、真剣に、このことを考えてほしい。

 相撲が好きだからこそ、相撲には平和で、差別のない、フェアで、美しいものであってほしい。いずれ女人禁制問題も話し合わなければならないときが訪れるであろうが、国籍問題も同様だと思う。よろしくお願いします。

 

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