2020年5月23日 ダメでもともと

 コロナコロナと言い始めたのは2月になってからだと思い出す。2月最初の日曜日、「白鵬杯」(横綱白鵬主宰の、世界の小学生~高校生の相撲大会)の取材に行って、そのときは中国チームはコロナのために来れなかったけれど、他は来てて、マスクはしつつも、今まで通りに普通に話し、普通に食べ、普通に取材して、終わってから、友達4人で「密に」座ってサイゼリヤで飲み食いしまくって、いやぁ、これで一人1200円ぐらい?と驚いたりした。思えば、「みんなで飲み食い」したのはあれが最後だ。これから人生ずっとああいう形での飲み食いはもうないかもしれない?と思うと、なんと貴重な。。。延々と相撲の話(主に宮城野部屋ラヴ)をしていたな。

 その後私は母の緊急手術入院などがあってばたばたして、そこでもコロナコロナと段々気をつけ始め、その後ずっと母に会えなくなるとは思わずに2月下旬に東京に戻り、3月中旬までバイトもしていた。

 その後3月中旬から5月末の今まで家に居て、私はいつもと同じように大局的にものを見たり、この先を考えたりできないまま、あわあわあわと目の前のことに喰いついて、追いかけ、原稿をちょぼちょぼ書いては投げ、書いては投げして、こう、コロナ前、コロナ後、なんてことも一切考えられず、ただストレスだけを貯めて、相変わらず無駄に生きてるなぁと思う。

 すばらしい人たちは大きな視点で色々なことを見て、動き、場をつなげ、何かを良くしていこうと頑張っていける。でも、私はな~んも変われない。一瞬、移住でもしようか?なんて考えたけど、ちょうど、戸隠移住計画について書く機会があったんで「あのとき大失敗したんだ」と思い出し、それはとりあえず保留。自分にはそうしただいそれたことはできない。何より、この自粛生活の中で、近所の友達とチラッと路上や公園で会って、ちょっとだけおしゃべりすることがどれだけ助けになっているか。友達がいない地域には行けない。私はこの東京の、密すぎる場でしばらくなんとか生き延びていかなきゃならんのだと悟った。

 そして何も解決策も(生活、お金もろもろ)思い浮かばず、考えられず、ただ、ただ、この今を生きるのみ。うっかりと。ぼんやりと。ちょろちょろと独楽鼠のように動いて、そして失敗しちゃう。あちゃ~~~~。

 変われない私。おばかさん。でも、仕方ない。それが私なのだから。コロナごときで、そうだ。コロナごときで、この頑強な、54年に渡って綿々と築かれてきた「ダメな和田」を変えられてたまるか! 

 そうだそうだ。そうだ~~!

 私は変わらず今のみを見つめて、叫び、怒り、相撲を愛し、迷い、泣き、甘え、ふざけ、生きるしかない。ダメで元々! ダメで元々だ。

 と、叫ぶ朝ですが、まだ風邪っぽいです。はい。


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