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【自己紹介】 過去の後 (2100字)

 全てを明らかにする必要もないけど、少し自分について話そうと思う。

 赤裸々に思いや現状を話すことが時に困惑を生むとして、それは僕の目的ではない。一冊の本として目次をひらりと開きたいだけだ。

 つくづくこの頃、フィクションとノンフィクションの境目が分からない。現実と意識とはなんだろう。分からない。
 実生活とこの存在は自分が作り、現実に作られてゆく。未来は過去へ行く。存在は環境とも相互に影響する。
 でも、全て頭の中のこと?だろうか。

 それでも、日々の中で選び、手に入れ、自分自身の知性や感性なんかを(そんなものがあるとするなら)補強する。少なくとも社会生活が滞りなく出来るように自分を調教する。人とつうようもなく話すみたいに。
 ふとした箇所で躓き、弱さと出会うこともある。断絶を痛いほど感じる、肉体的な痛みなどその人から与えられないのに。

 どれもが財産だと、自分を落ち着かせる。
 全てを語り、多くを志向することも出来るだろう。

 例えば、神のような第三者に、僕自身の日々が綴られてるかは分からない。あるいはメディアが僕の存在を不可逆に照射しているかもしれない。そこからは逃げられない。
 どれだけ自由意思があるだろう。あるいは、ロマンチストが運命と呼ぶそれは人生の傍にあっただろうか。
 全て見過ごしてしまった?

 気の利いた会話をノートに認めるように、人と話すとそう感じることもある。逆も然り。つまり、紙面上でも僕自身があの現実を生きる不可思議な他者と話す感覚に襲われることもある(そういう時は決まって調子よい)。

 だから、全くどこまでがリアルで作り物で、とか、即興で計画で、とか、定められてあるいは混沌で、とか、実体で幻影で、とか、プログラムされて創造性に満ちて、とか、
 そんなことも全て頭の中で、どう物事を捉えるかに尽きるか、ということなのだろう。

 それで、できれば、物事を両義的に僕は捉えたいと思う。あわせて、多元的な世界に身を浸したい。実体と幻を、君と私の姿に認めたい、もしくは全て取りこぼしたいと語れば、言い過ぎだろうか?

 あまりの混迷は承知している。一つ確かなのは、私は語り語られる存在としていたい、ということだ。それで何とか生きていけそうな気もする。この厄介な現実と虚構、身の周りを。

 以前軽く自己紹介をした。今回は今、どう過ごしているかについて話したい。けど、過去に拘る人間だから、昨日までの事に触れたいと思う。

 30歳で大学に入学した。単純に考えて、18から10年あまりのタイムラグがある。その間は苦闘の日々だった。無為の時が過ぎた。振り返れば僕自身を作り上げてくれた時間だ。事後、肯定的に述べることを許すなら。

 18歳で初めて入院して、22歳で入院して25歳で入院した。全て精神病院に。三度だと偶然とは言えない、何かの誤診とは。30歳になるまでは何とか社会生活が営めるようになった。
 人と話し、気分も安定して、振る舞いも奇異ではなく、明日に向けて最低限の意欲も湧く。つまり、ベッドに縛られ横になることも、明日の社会に底無しの恨みを抱くこともなくなった。人に絶望することもなくなった。特に、この思い通りにいかぬ自分という存在に。

 そうして、何年か大学に通った。

 そして、学業をやめた。
 それから働いている。

 大学を卒業した春休みに、それまで卒論で使用したパソコンで小説を書き始めた。日々を振り返りたかった。あるいは作り替えたかったのかもしれない。出会いを辿り、新たなイベントを経験し、ずっと嗅ぎたかった匂いを嗅いだ。

 その間、いわゆる現実社会は後退し、代わりに、キーボードを叩き文章を認める音や、明るくしかし控えめに光るディスプレイの光源だけが部屋における変化だった。それらは存在の変化を世界に表した。
 身体は、僕の指先も頭も、瞳に映る一筋さえ全て従属物だった。低きに流れる水の目撃者。僕はそうして物語を語った。

 大学院に進学したが秋に行かなくなった。国家資格を手にし、専門的な領域の職業につく予定だった。だが、自分には務まらないと痛感した。人生が呑み込まれる気がした。自分にはそんな大それたことはないに等しいのに。

 出来るだけの時間に、出来るだけの小説を書いた。長さとしては中編小説を何作か。自伝に毛の生えた程度のものだ。
 月から地球を眺めた。それだって、ちょっとしたコツが必要だ。遠くから姿を求め、認めるには一瞬を捉え、忘れないことが肝要になる。

 はっきりしない態度は幾度も推敲を重ねる粘り強さに、変化を厭う融通のなさは時間を忘れ作品と向き合う本質的な強さになる。日常生活におけるふとした言葉の出づらさは、明日も言葉を考える執念深さだ。

 読者は殆どいなかった。それでも片手で収まる人に読んでもらった。いや、とりあえず作品を手渡した、という方が正しい。感想は漠然としていたり、いつしか渡したことすら有耶無耶になった。
 そうだろう、誰が自分の時間を僕の人生の模造品とやらと引き換えにする?

 それから、noteに投稿し始めたのが、去年の秋の頃か。大学院を辞めて一年になっていた。出来るだけ規則的なペースで、等しい投稿頻度で書こうと決めた。
 何にしろ、規則性という概念が僕を推進するテーマだった。いつでもすがり付く唯一の音楽だった。

 

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