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2022年3月11日 気仙沼

気仙沼から東京に戻った2日後に東北で震度6強の地震があった。被災した方々にはお見舞い申し上げます。また宮城も福島も訪れて美味しいものをたくさん食べます。

八王子から気仙沼まで車で向かった。気仙沼まではだいたい500kmぐらいの距離がある。八王子から神戸に向かうのとおなじぐらいの距離なんだけど、気仙沼は神戸よりも遠く感じる。

神戸までは東京、神奈川、静岡、愛知、三重、滋賀、京都、大阪を通過して兵庫に入る。気仙沼までは東京、千葉、茨城、福島を通過して宮城に入る。通過する都道府県が少なく変化を感じにくいから遠く感じるのかもしれない。とにかく茨城と福島が長い、静岡よりも長く感じる。

運転をしていると写真が撮れない。だから電車やバスや飛行機の方が好きだったりする。タクシーに乗ってるとだいたいずっと写真を撮ってる。だけど知らない土地を運転するのも好きなので、長距離の運転は苦にならない。写真も運転も知らない景色を見るから好きなのかもしれない。


イカの塩辛にどハマりして毎日食べている。いろんな塩辛を取り寄せてたけど、圧倒的に気仙沼の小野万さんの一本造りが美味しい。圧倒的に美味しい。もう他の塩辛では満足できない。なんでこんなに美味しいのだろう。

気仙沼漁師カレンダーの撮影で培った人脈とコネを最大限にイカして小野万さんを訪れた、イカだけに。どう考えても忙しいのに社長の小野寺さんが相手をしてくれた。気仙沼はイカを投げたら小野寺さんに当たるぐらい小野寺さんが多い。

単刀直入に一本造りの美味しさの理由を聞いた。答えはスルメイカを使っているからだった。え?それって普通じゃないの?と思ったけど普通ではないらしい。スルメイカのコストが高いこと、それから安定した水揚げの難しさからスルメイカではないイカを使うのが普通だそうだ。小野万さんも一本造りではない塩辛はスルメイカではないイカを使っている。

じゃあスルメイカを使用した自家製の塩辛が美味しいかといえば、そんな簡単なことでもない。塩辛は発酵させることで美味しくなる。菌や温度管理が個人では限界がある。そもそものスルメイカの鮮度の問題もあり、必ずしも自家製で出来立ての塩辛が美味しいということでもない。

小野万さんはあえて完璧な塩辛を製造していないそうだ。もっと美味しくできるけど、完璧に美味しいものを提供したら飽きられてしまうからというのが理由だ。だから年々ちょっとづつ美味しくしている。これって自社製品に絶対の自信があって、消費者の舌を信じて恐れてもいるからできることだよなぁ。

一本造り 四季という名の特別塩辛を期間限定で製造している。それが完璧な塩辛だそうだ。だけど震災後は人手不足のため一本造り 四季は製造していないそうだ。すっごい食べたい。まじで…人手よ…。

小野寺社長は学生時代に野球をやっていて4球団からドラフト指名をもらうほどだ。現在はプロゴルファーでもある。30歳でゴルフをはじめて1年半後にはプロになったそうだ。

社長は話がおもしろい。こういう人って写真を撮ったら、おもしろい写真を撮るんだよな。社長にそう伝えると「そう!写真もうまいのよ!」と素直に打ち返してきた。きっと社長はおもしろい写真を撮る人だ。写真って見なくても会話しただけでわかるんだよね。

こういう人が本気で塩辛をつくってるから、圧倒的に美味しい塩辛ができるんだな。

志の輔師匠の落語をきいた。落語の終わりに志の輔師匠の息子さんが気仙沼出身の方と結婚したことをお客さんに報告していた。ぼくの隣に座っていた方が「よかったなぁ」とつぶやいていた。市長が壇上で挨拶したときも「市長は話がうまいなぁ」とつぶやいていた。隣の人がすげーいい人だった。

気仙沼にくるといつも美味しいものを食べている。行く先々でいい人に出会う。おもしろい人やいい人がたくさんいる。一言でいえば街が明るい。漁師カレンダーを撮影しているときもそうだった。気仙沼の価値はカツオでもサンマでもフカヒレでもなく気仙沼の人たちだと訪れるたびに感じる。

震災の日になるとテレビや新聞は悲しみばかりを望遠レンズでクローズアップしがちだ。悲しみ以外の部分はトリミングして、存在しないかのように取り扱う。地元の人にポーズを指示して撮影する報道カメラマンを今年も去年も見かけた。それがあっちの世界の常識なのかもしれないけど、その瞬間おなじ空間にいる人間としても、おなじ撮影者としても違和感がある。

帰り道は福島に立ち寄りながら東京に帰った。写真はあんまり撮らなかった。花粉と砂埃と虫がたくさんついた車を洗車した。近所のスーパーで息子へのお土産を買った。息子はご当地銘菓よりも、きのこの山をよろこぶ。妻には萩の月を買った、妻はご当地銘菓をよろこぶ。ぼくは地方のアイスが好きだ。

帰宅して手を洗っているあいだに、息子が自分の宝物の石でお父さんの顔を作っていた。息子の行動に芸術の根底を見た。芸術の表現方法はそれぞれだ。お父さんは写真が表現方法だっただけだ。石を並べて表現するのも最高じゃないか。

息子がお父さんに貸してくれたシンカリオンのおもちゃを返した。お父さんは大人だから一人でシンカリオンのおもちゃで遊ばないんだけど、自分の大切なものを貸してくれた気持ちがうれしかった。


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