「カニたべたい」
一年前のちょうどいまごろ、息子が「カニたべたい」といいはじめた。
「カニはいいよね。美味しそうだし、カッコいいよね」と返事をした。
本当のことをいうとぼくはカニをたくさん食べるとお腹の調子が悪くなる体質だ。だけどそんなネガティブな情報は息子には必要ない。息子のカニ熱に水をさすの無粋だ。
なにかに影響を受けたのか、それから一ヶ月ぐらい毎日のように息子がカニ話をしてくる。かといってスーパーのちいさいカニをみても反応は薄い。
会話の終わりはいつも「カニたべたいなぁ」だ。あまりにもカニ熱が高熱なので三島にあるカニレストランに連れてきた。
カニカマやちいさいカニではダメなのだ。
息子の「カニたべたい」は大きなカニを見たいであり、甲羅をさわりたいであり、スジを引っ張ってハサミを動かしたいであり、カニスプーンを使ってみたいである。総合的にカニを体験したいのだ。
注文してカニを待つ間、息子は割り箸やおしぼりを独特な並べ方をしていた。たぶんカニの形をイメージして配置している。
お店にはいる前はうれしそうに踊っていたのに、カニ待ちの時間はすこし緊張しているようにもみえる。
息子なりの儀式か供養かカニへの畏敬の念なのかもしれない。原始的な信仰の始まりもこういうことだったのかもしれない。
翌日、三島駅に入場して新幹線を眺めた。息子が撮る写真はなんかいい。うまいわけじゃないんだけど、いい写真だなって思う。
うまい写真が撮れたって、いい写真が撮れないと写真としてはつまらないものだから、ぜひそのままでいてほしい。
新幹線を眺めたあとに伊豆の戸田を目指した。土砂降りの雨になったり晴れたり安定しない天気だ。
戸田は“へだ”って読む。“とだ”じゃない。戸田はタカアシガニの水揚げで有名だ。カニ料理のお店や民宿もたくさんある。
戸田が今回の目的地といってもいい。大きなカニを食べるだけなら東京でも食べられる。
戸田は妻が小学生のころ毎年で旅行にきていたそうだ。妻は宿の食事のカニグラタンをふたつ食べていたそうだ。ひとつは自分の、もうひとつはお父さんが自分のカニグラタンをくれたものだ。
妻は戸田の町並みや海を感慨深く眺めている。浜で迷子になった話や亡くなったお父さんの話もしてくれた。
カニの直売所でタカアシガニを買った。どれにしようか悩んでいると、一番でっかいカニをすすめられる。金額は18,000円ほどだ。
うーーーん、そんなに大きいカニだとお腹の調子が悪くなりそうだなと悩んでいると、金額で悩んでいるかと思われたのか15,000円に値引きしてくれた。
そういうわけじゃないんだけど、一番大きなカニを買うことにした。
息子は子ども心をくすぐるキーホルダーで悩んでいた。かっこいいよね、ドラゴンの剣とか鉄砲とか。無駄使いなんて親の金でどんどんしたほうがいいよ。
妻は冷凍カニグラタンを買っていた。甲羅が器になってるアレだ。
帰り道にロープウエーで山の頂上にのぼった。きっとこういう一つ一つの経験が、大人になったときの感慨深さにつながるだろうな。
自宅に帰ってカニを捌いた。まだ生きているので、しめるところからはじまる。
マスでもシカでもカニでもカモでもそうだけど、捌くのは経験数がものをいう。はじめてのカニはむずかしい。
カニはしゃぶしゃぶにして食べた。カニ味噌の量が多くて驚いた。カニグラタンをオーブンで4つ温めた。息子とぼくはひとつ、妻にはふたつあげた。ぼくはお腹の調子が少し悪くなった。
この日から一年がたつけど息子はもう「カニたべたい」をいわなくなった。
カニレストランで持って帰ってきたカニの爪、お母さんが子どもの頃に迷子になった浜辺の石と貝殻、カニみたいな色の鉄砲のキーホルダーが息子のお土産のようだ。
明日は大量のちりめんじゃこから、ちいさいタツノオトシゴやちいさいタコやイカを探す。
子どもの思いついた興味に大人の本気でつきあうのってたのしいわ。
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