見出し画像

見たものを撮ればいい


山梨県バカンス村でキャンプをしてきた。村に行く前に八王子村の市場で食材を買った。市場っておもしろいよね。八王子の市場はローカルすぎて観光客がほぼいないから、インバウンドしていないのでありがたい。

カメラはリコーのGR3xを持って行った。ペグをハンマーで叩くし、薪を割って焚き火もするし、料理だってするからジャマにならない軽くてコンパクトなカメラというのが理由だ。

GR3xはなにかと便利なんだけど、場合によってはけっこう派手にフリンジが発生する。それでもかなり少ない部類ではある。

1枚目は看板部分のフリンジを処理した写真。2枚目はフリンジ未処理の状態。2枚目の看板はピンクっぽい。パープルフリンジという実際にはない色が乗っている。

煮物のアクをすくうように、現像ソフトでちまちまとフリンジを処理しないといけない。処理自体はアクをすくうぐらい簡単なんだけど、フリンジに気づかないとそもそも処理ができない。

はやくAIが進歩して自動でフリンジ処理ができるようになってほしい。

そのうちカメラに自動フリンジ処理機能が搭載されて、オールドレンズを使ってもフリンジが発生しなくなると思う。

そしたらフリンジにエモさを感じて擬似的にフリンジを入れるんだろうな。そこで経験値が浅いとヘンテコな場所にヘンテコな量と色を入れちゃうんだと思う、いまの粒子みたいに。

フィルム調にトーンを作ってフリンジまで追加しちゃって、その時に「フィルムにフリンジは発生しないよ」ってつっこむと老害あつかいされるからなにも指摘されず、過剰という名のあたらしい未来の写真ができるのだと思う。いまの粒子みたいに。

8mmフィルムから写真をプリントしたか、飛鳥時代のフィルム使ってるのか?ってぐらい過剰な粒子の写真ってよくあるよね。フィルムは36mmあるし30年ぐらい前でとっくに微粒子だったよね。

ぼくはもともと狩猟や渓流釣りをやるぐらいにドアをアウトするのが好きだけど、家族でキャンプをするのはこれがはじめてだ。

息子にキャンプ用のエプロンと皮グローブ、ファイヤースターターをプレゼントした。次はナイフをプレゼントしたい。

アウトドアの話をしたいのを抑えながら写真の話をするのだけど、写真を撮る一つのコツがある。

びっくりするぐらいすんごい簡単なコツだ。だけどこれを知ってると知ってないじゃ、一枚一枚の写真の違いはおろか、自分と写真との関係性が変わってくる。

簡単だ、写真は見たものを撮ればいいだけだ。

例えばキャンプ場にサウナテントがあったら思わず見るでしょ。遠くに鹿がいたら見るでしょ。

鹿がいた場所に行ってみて鹿の足あとがあったら見るでしょ。ちいさなヘビを捕まえたら見るでしょ。

Meijiの古い瓶が落ちてたら見るでしょ。羽をケガした蝶がいたら見るでしょ。

そうやって見たものを撮ればいいだけだ。被写体を探そうとしないでいいのだ。バエとかエモとか上手く撮るとかも一切に気にしないでいい。

「写真は好きなものを撮ればいい」とよく言うし、その通りなんだけどこの言葉には落とし穴がある。

自分が明確に好きと認識しているものしか撮らなくなってしまいがちなのだ。

自分の好きを見つけるのもすこし大変だし、好きは狭い範囲にもなりがちだ。なのでそれが写真に反映されてしまう。

「好きなものを撮る」から「見たものを撮る」に思考をかえる。

そもそも人は関心があったり好きなものを見ている。子どもの運動会に行ってたくさんの子どもがいようが、自分の子どもだけしか見ていないものだ。それは我が子に関心があって好きだから見ているのだ。

ネコが好きな人は道に野良猫がいたら見るだろうし、イヌが好きな人は散歩しているイヌを見てしまうものだ。片思いしている人のことだって、アイドルのMVをみたら推している存在のことをずっと目で追ってしまうものだ。

じゃあ逆に嫌いなものを積極的に見るだろうか?たぶんほとんどの人が見ようとはしない。むしろ見たくない。YouTubeひとつとってもそうじゃないですか。

だから写真は思わず自分が見たもの撮ればいいだけ。すっごい簡単でしょ。被写体を探さなくていいのだから楽だ。それでいていつでもどこでも写真が撮れる。写真の攻守共に最強。

写真を見たものの積み重ねにする。これがAIでは生成できない写真になる。

キャンプの写真にありがちな、テントとイスと焚き火があって、イスに座って会話してるみたいなキメた写真はYouTubeのサムネイルや雑誌とAI生成に任せて、自分が見たものを撮るだけで大丈夫。

市場で買った牛タン一本を切る。おおすげえな牛の舌……って見るでしょ。見たら撮る。

この写真を見たら生の牛タン一本の匂いも思い出せる。見たものを撮るをやると写真に写らない視覚以外の感覚を思い出せる。

牛タンは先と根元に分かれている。根元にいけばいくほど柔らかくなる。根本を厚切りに4枚ぐらい切ったこの部分が牛タンの最上級部位。

素晴らしく当たりの牛タンだわ……って見たら撮る。

ちなみにタン先は硬いので、シチューやカレーみたいな煮込み料理になる。

最上級部位の牛タンに味の素を振りかける。味の素がダメな人は仙台で牛タン食べられないよね。

味の素を振りかけて仙台牛タンが山梨県バカンス村で食べることができる。パンダがかわいいなって見たら撮る。

炭をおこす。暖炉でも焚き火でも花火でもキャンドルでも、火ってなんか見ちゃうよね。好きだから見てるんですよ。見たら撮る。

おやつにポップコーンを作った。湯気がすごい。と見たら撮る。開けたら全部炭になってた。失敗。そういうのは別に撮らなくていい。湯気じゃなくて煙だった。

牛タンとバケットを焼く。最上級の牛タンは息子と妻にあげる。お父さんはいいの別に。

写真は「好きなものを撮ればいい→見たものを撮ればいい」になるけど、料理は「好きなものを作ればいい→好きな人に美味しいものを食べさせたい」になった。

たぶんこれも普遍的なことだと思う。

小僧たちに水アメを毒といってた和尚さんは、小僧たちのことが好きじゃなかったんだと思う。

ほのぼのとした話っぽいけど、和尚さんに死んでお詫びするために毒を食べたなんてトンチ(言い訳)が有効な程度の関係性だったのだと思う。

夕暮れの空を見上げたら撮る。

焚き火を見たら撮る。

ランプに虫が集まって見たら撮る。

マシュマロを焼くときに見たら撮る。

炎の色が変わったら見るでしょ、見たら撮るだけ。写真は見たものを撮ればいい。見たものを撮るだけだ。

じゃあこの簡単なことができないとどうなるか?

被写体を探してしまうのだ。被写体を探すなんて当たり前じゃん。って思うかもしれないけどこれがやっかいな問題なのだ。

ここから先は重要なことなので有料になる。気になったら登録してください。

写真の本もぜひ。

ここから先は

760字

明日の写真

¥500 / 月 初月無料

「うまくてヘタな写真とヘタだけどいい写真」には書けなかった話を書きます。 明日から写真がちょっと良くなるようなマガジンです。 自分の写真も…

サポートされた資金で新しい経験をして、それをまたみなさまに共有したいと考えています。