ちいさなトラウマ

小学2年生になった息子とそれなりの年齢になった妻と毎日たのしく生活している。家族を笑顔にすることを趣味にしている。

フリーランスでゆるく働き、食洗機とルンバに手伝ってもらいながら料理や掃除をして、毎月のようにどこかしら旅行をして、抗がん剤治療も毎月している。

ちなみにさっきまでマカオのカジノで友達と遊んで、いまは香港のスタバでNujabesを聴きながら900円のアイスラテグランデを1人で飲んでいる。

ぼくは見本のような機能不全家庭で育ったので、子育てが不安だった。子どものいない人生を望んでいた時期もそれなりにあった。

子育ては本から勉強をするしかなかった。育児本はもちろん、虐待が子どもの脳に与える影響についての論文や、虐待事件の裁判記録などにも目を通した。

勉強をして明確に感じるのは、虐待は子どもに百害あってゼロポイント一利もないということだ。

世間では「わがままな子に育つ」といわれがちな子育には九十九利ぐらいあると感じるので、うちはとてもあまい子育てを採用している。

最近は著者が精神科医の本を中心に読んでいる。おかげで毒親の正体は理解したつもりだ。「親を責めても恨んでも意味がない」ということがだいたいどの本にも書いてある。

虐待を受けた身としては納得がいかないものの、親を責めたり恨んだりしても意味がない理由は理解できた。

だからといって自分の親を肯定したり、許す必要もない。無理をして家族ごっこもやらない。相手が変わることも期待しない。

縁を切って息子と妻と自分を笑顔にしていたほうが、ずーーーーっといい。過去に人間を食べた熊とは仲良くやっていけないのだ。



スヤスヤと寝息をたてる息子のとなりで「どうして自分はこうやって育ててもらえなかったのだろう」と息子をうらやましく思うことがある。

ここ2年ぐらいほぼ毎晩、子どものころを思い出して1分ぐらい落ち込んでしまう。

41歳にもなって8歳ごろの忘れていた記憶を鮮明に思い出してしまうのだ。これがボディブローのようにつらい。

飲み友達の児童精神科の先生にこの話をすると、ちいさなトラウマを抱えていると酔っ払いながら教えてくれた。やんわりとトラウマ治療も勧められた。

ちいさなトラウマがあっても仕事はこなせているし、趣味もたのしんでいる。おかげさまでカジノにも勝った。生活に支障はない。毎晩すこし落ち込むだけだ。

だけど、フタをして忘れているちいさなトラウマの記憶がきっとまだある。それを思い出したときにボディブローの手数が増える。

自分がうけた育児と自分がしてる育児の差がボディブローになる。とんでもない皮肉だ。



最近、子どものころ親から虐待を受けていたという女性と会った。ここには書かない苛烈な話を聞いた。

彼女には成人したお子さんが2人いる。彼女にもあっただろう、ちいさなトラウマをどう対処したか聞いてみた。

彼女は小学生のころ学校でいじめられ、泣きながら家に帰ってきたことがあった。そのときに母親から「殴り返してこい」と玄関から閉め出された。

殴りにいけるわけもなく、家の前でずっと泣いていたことがあったそうだ。

彼女のお子さんが小学生のころに、学校から泣いて帰ってきたことがあった。そのときに彼女は子どもを抱きしめてあげたそうだ。

自分がされたかったことをしてあげる。そして「自分は親とは違う、自分はできている」そうやって自分で自分を褒めてきたと教えてくれた。

自分がされたかったことを子どもにすることは、自分でいうのはアレだけどそれなりにできている。

いちばん最初にだした本のタイトルを『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』にしたぐらいだ。

だけど、自分を褒めることはできていない。たまに誤解されるけど、ぼくは自己肯定感が低い。機能不全家庭で育って自己肯定感が高い人はレアでしょ。

自分を褒めるのは苦手だけど、落ち込むより褒めていた方が健康的だ。

彼女は泣いている子どもを抱きしめたときに、子どものころの自分のことも抱きしめてあげたんじゃないかと思った。



ぼくは自己肯定感が低いけど、大人になってからちいさな成功体験を積み重ねてきたおかげで自己効力感はそれなりにある。

だから大丈夫、きっとできる。

「憎んでいる親とおなじような親に自分がなってしまってつらい」という話をたまに見聞きするけど、自分の親とちがう親になったつらさもある。

だけど親のつらさなんて子どもには関係ないし、親の苦労話ほどつまらん話はない。

子どもは親の話を聞きたいわけじゃなくて、自分の話を聞いてほしいのだから、八王子に帰国したら息子の話をたくさん聞いてあげよう。

ちょっとオーバーリアクションぎみに笑顔で。家族を笑顔にするには、まずは自分が笑顔になることなんだよね。

きっとその夜に、自分の話ばかりで話を聞いてくれなかった親のことを思い出すから「自分は親と違う。自分はできている」と褒めてあげよう。

読んでくださってありがとうございます。ちょっと吐き出したかったんです。ワンタン麺でも食べにいこう。

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