大雨の被災地。
熊本の被災地へ取材にいってきた。取材という名目だけどどこかの新聞社や出版社から依頼があったわけじゃない。写真の使い道はせいぜいnoteかなぁというぐらいの自費取材だ。
ぼくは写真家だけど報道を専門としているわけじゃない(いちばん勉強したのはスタジオでの広告商品撮影だ)日本のマスコミ報道のありかたや、報道写真にも疑問を感じている。それはこのコロナ渦でより強く感じた。
だったらマスコミに頼らずに自分の目でみて、それを伝えればいいとおもっただけだ。ぼくはタダ働きはしないタイプの病人だけど、本当にやりたいことはお金をもらわなくても、お金を支払ってでもやりたいものだ。
いままでにいろんな被災地を訪れた。だけど河川が氾濫した被災地ははじめての経験だった。津波や地震と違うところは、河川の水が流れ込んだ地域のみが被害を受けているということだ。
津波であれば、波の被害がなくとも揺れの被害がある。
大雨の被災地は被害のある地域と被害がない地域のコントラストが大きい。
そしてこれはコロナの影響かもしれないし、大雨の災害だからなのかわからないけど、圧倒的にボランティアが少ない。これはちょっと驚いた。
熊本県の南部にある人吉市に訪れた。川幅のひろい球磨川が街の中心を流れて、球磨川にそって眺めの良さそうな温泉旅館があり、飲食店や夜のお店があり、駅前にはお土産屋さんや美術館やおおきなパチンコ店もある。川を越えれば人吉城もある。おおきな病院も中小規模の病院もたくさんある。
観光地であり、働く街であり、地域生活を支える重要な街なんだとおもう。
水がひいた街には泥が残っている。どろんこ遊びのような泥ではなく、汚泥だ。腐ったような臭いや、ガラスや瓦礫などたくさん混じっている。いまは泥だけど、乾燥してホコリとなれば、かなり大変だろう。
人吉市の隣にある球磨村に移動した。被害はさらに甚大だった。
被災地で衝撃的な光景をみても、ぼくは泣いたりだとか感傷的になることはない。もちろん大変なことだと認識しているけど、感情としてはとても冷静だ。
たぶん、それはこの街となんの縁もゆかりもないからだ。東京に帰ればライフラインの整った自宅で家族が待っている。これがこの街で生まれ育って、妻も息子も自分もこの街で被災していればきっと冷静ではいられない。それでもこの街の人は冷静だ。パニックに陥っているかといえばそうではない。
東京ではコロナの感染者数が増加しているが、街にいる人は冷静だ。東京から遠く離れた地域の人は東京が世紀末的なめちゃくちゃ危ない街とおもわれるかもしれないけど、そんなことはない。
この原稿をスタバで書いているけど、自粛解除直後のようなソーシャルディスタンス感はないし、居眠りしている人もたのしそうにおしゃべりだってしている。
物理的な距離が離れれば離れるほど、ギャップが生まれるものだ。東京の人からすれば熊本県全域が危ない地域のようにおもわれるかもしれないけど、そんなことはない。
このギャップがいきすぎて変な方向になると、災害時の不謹慎狩りや避難者の差別のようなものが発生する。
写真で表現をするときに、いちばん大切なことは距離感だとぼくはおもってる。
写真の上手い人は被写体との距離感のとりかたがとても上手い。
使用しているレンズに対して何メートル離れるかという物理的な距離だけど、不思議なことに心理的な距離感が比例する。
子どもにカメラを持たせると、だいたい距離が近すぎるどアップな写真を撮る。ちいさな子どもを撮る親の写真もだいたい近い。それが思春期になって片おもいの人を撮るとなると、隠し撮りのような遠い写真になる。片おもいから恋人になるとまた距離が近くなる。
それが良いとか、悪いとかではなく、表現が上手い人は距離感を知っている。
日本の報道写真でぼくが苦手なところは、レンズの焦点距離だけに頼ったすんごい遠いかすんごい近いという、壊れたレイディオみたいな距離感になりがちだからだ。
ぼくは被災地で写真を撮ると、すこし距離感が遠くなる。この街の人間ではないという遠慮だったり、心理的に近くなりすぎて東京に帰ったときに、心が苦しくならないようにとおもうからなのかもしれない。
瓦礫のなかで、子どものおもちゃを見つけた。うちの息子とおなじぐらいの子どものおもちゃだろうか。ひっくり返った車や、崩れた家や商店をみても冷静だったのが、自分の息子と結びついてしまったのかいっきに心理的な距離が近くなり、苦しくなってしまった。
ぼくは精神的に弱い人間であると自覚をしているので、この写真を撮って東京に戻ることにした。たぶんこれ以上続けたら、東京に帰ってから心が苦しくなる。
はじめて訪れた街で、よりによって災害中に訪れたわけだけど、人吉も球磨村もすごくいい街だ。ぼくはいろんな街を訪れているタイプの病人だからわかるけど、この街はとてもいい街だ。
観光の受け入れができたらみんなぜひ訪れてほしい。ぼくは今回購入することができなかったのだけど、球磨焼酎というの有名らしい。
ぼくもきっとまた訪れる、こうやって街と縁やゆかりができる。
今度はお金をお店にたくさん落とすぞ。
サポートされた資金で新しい経験をして、それをまたみなさまに共有したいと考えています。