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写真の才能


写真のワークショップをやっていると、驚くほど写真がうまい参加者さんがたまにいる。

ここでの「うまい」は技術的なことではまったくない。知識も経験年数もまったく関係ない。カメラ愛や写真愛みたいな情熱も関係ない。

決定的瞬間の写真を撮るわけでも、バエバエにバエった写真を撮るわけでもなく、バズバズにバズった写真のマネをするわけでもない。

うまく撮ろうと意識せずに、無意識でいい写真が撮れてしまうのだ。写真の才能が高いのだと思う。とにかく写真が素直なんだよね。褒められようとか、やってやろう感もない。

写真学校を中退してアシスタントをしていたときに感じた驚きと似たものを感じる。

「うまい写真=いい写真」と誤解して、技術的にうまくなろうと考えていたけど、活躍するフォトグラファーにアシスタントでつけばつくほど、そこまで高い技術が必要というわけでもないことを知り驚いた。

もちろん適切な技術を高めることは間違いではないのだけど、技術の先にある写真の才能の存在を教えてもらえるのだ。

写真がうまい参加者さんたちには、技術的の手前にある写真の才能を教えてもらっている。ちなみにこの記事に掲載している写真は、息子が5歳ぐらいのときに撮った写真だ。やっぱり素直だなぁと思う。

鮭が産まれた川に戻るように、カツオが戻って一本釣りにあうように、技術を突き詰めた人が初心に戻るみたいなことなのかもしれないけど、現場で活躍するフォトグラファーが有する技術の先にある写真の才能と、素人だけど写真が驚くほどうまい人が有する技術的の手前にある写真の才能はおなじだ。

残念ながらぼくは写真の才能が低いタイプだ。謙遜しているわけじゃない。天才を嫉妬するほど見てきたから自分は違うとわかる。ぼくは天才じゃないから勉強と努力で頑張ったタイプだ。それは自負できる。

偏差値45ぐらいの人が努力して偏差値55ぐらいになっても、世の中には最初から偏差値60ぐらいの人がいる。そういう人が努力すると偏差値70ぐらいになったりする。

才能のある人が努力するから、すごい人が生まれるのだ。

写真がうまい参加者さんたちは共通して自分に写真の才能があると気づいていない。一生懸命才能があることを伝えるのだけど、みんな指摘されてびっくりしている。

初心者向けの写真の本に「三分割構図」「ホワイトバランスを変えてドラマチックにする」「スローシャッターで流し撮り」みたいなことばかり書かれて、それを正解だと誤解したら自分の才能には気づけないよね……。

ぼくは写真の才能がある参加者さんに2つの質問をする。おもしろいことにほぼ必ずといっていいほどこの質問に「YES」で答えるのだ。日本人だから本当は「はい」なんだけど。

1つめの質問は車の運転が得意かどうか。ずーーーーっと昔から感じていることだけど、写真がうまい人は車の運転もだいたいうまい。ここでの「うまい」はアスファルトにタイヤを切りつけながら走り抜けるうまさではなく、同乗者に安心感を抱かせるうまさだ。車を運転しているときの落ち着きが撮影時のおちつきに反映されているんじゃないかと思ってる。

ちなみにすごく狭い範囲の観測だけど、写真がうまい人は射撃もうまいよ。射撃って集中力と落ち着きがないと当たらんし。

車の運転って素質がある人は最初っから素質あるし、ヘタな人はずっとヘタだよね。射撃も写真もそこは一緒なんだよね。

2つめの質問はちょっと聞くのに勇気がいる。なので職業を聞いて類推することもある。

2つめの質問の答えに当てはまらない人にビービーギャーギャーいわれそうなので、しっかり有料部分に書くのだけど

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