見出し画像

ママを探す、お父さんとの冒険。

妻はぼくのことをお父さんとよび、ぼくは妻をお母さんと呼んでいる。

でも息子の生きる世界では、だれかにぼくたちのことをパパママと呼ばれることが圧倒的におおい。だから息子はぼくのことをおとーさん、妻のことをママと呼んでいる。

ぼくのことをパパと呼ばないのは、だれかにパパと呼ばれる回数よりも、妻が息子にぼくの話をしている回数がおおいからだとおもう。


この日は職場の食事会が夜にあり、18時すぎに妻が家をでる予定だった。夜の自宅で息子と二人っきりになるのは、はじめてだ。

息子とぼくを気づかった妻はなるべくはやく帰るといっていたけど、妻は夜に出かける機会はない。だからぼくも息子と二人っきりになれる機会がない。妻の息抜きと、息子の成長と、ぼくの経験のためにもせっかくなのでゆっくりしてほしい。

ぼくは息子と2人でもまったく問題も心配もない。でも、お義母さんが応援に来ちゃった。マジで来なくていいのに。 食事を食べているときに妻が家をでた。息子が泣く。ぼくが朝に出かけるだけで息子は泣くのだ、ママが夜に出かければ不安で泣くだろう、大泣きだ。

玄関の扉をみながら泣いていた、きっとママが自分の声で帰ってくれると期待している。「ほら、こっちきてご飯たべな!!」とすこしキツい口調でお義母さんは息子に声をかける。

悲しくて不安なときにというのは、どんなにお腹が減っていてもご飯は喉を通らないものだ。泣き止ませたいのか、余計に泣かせたいのか、暑い日に暖房器具にスイッチを入れるような目的と手段が合っていない、よくわからない声かけだ。

「お義母さん、黙りましょうか。」とすこしキツい口調で原文ママで妻ママにいうと、妻ママは黙った。

息子にどうして泣いているか聞くと「ママがいっちゃたから…」と教えてくれた。
「じゃあご飯食べたら、お父さんと一緒にお母さんを探しに行こうか?」と息子に提案をした。

それを聞いた息子は「うん!」と返事をして、ご飯を食べはじめた。

「お母さんどこにいるかなぁ?」と聞くと「アイスやさんかなぁ、スーパーかなぁ」と息子が妻と一緒によく行く場所を教えてくれた。

お父さんとおなじジャケットを着て、お父さんとおなじ懐中電灯をもってママを探す冒険に出発した。応援にきたお義母さんは留守番だ。

息子はぼくのマネをするのが好きだ、おなじ服を着て、おなじ道具を持つのが好きだ。

きっとこれはぼくのことが(いまはまだ)好きだからだとおもう。誰だって好きな人や憧れる人のマネをしたいものだ、嫌いな人のマネなんかしない。嫌いな人とおなじ服も道具だって使いたくないものだ。

雨水溝のなかを懐中電灯で照らして、動物や虫を探したり、草花を照らしたり、夜にしかできないたのしさを教えた。

雨水溝にネズミがいたみたいで驚いていた。ママとはしない遊びをしているので、たのしそうだ。夜は怖いのではなく、景色がすこしかわるだけでたのしいのだ。

アイスやさんにきた。店外からのぞくと妻はいない。次の目的地に向かおうとしたら「ゆうくんは、しろいアイス。」といいだした。「おとーさんは、どれがいい?」とちゃんとお父さんをまきこむところがエライ。

ぼくはチョコミント、息子はバニラを食べた。息子はゴミ箱を覗き込んでママを探していた。

妻がそんなところにいるわけないし、もしもいたら大事件なんだけど、アイスを食べたのはママを探すためという口実をつくるためにやっているのだとおもう。ただの海外旅行を海外視察にしちゃうような賢さがある。

「お母さんどこだろうね?」とアイスを食べ終えて聞くと「オモチャやさんかなぁ?」と答えた。たぶん、もう息子にママを探す気はない。

ビックカメラのオモチャフロアにきた。案の定、ママを一切探さないで、ぼくに一生懸命オモチャの説明をしてくれる。ぼくが息子に懐中電灯で夜のたのしさを教えたように、息子もぼくにオモチャの魅力を伝えようとしてくれる。

アイス屋さんのゴミ箱の中にママがいないかいちおう探す、みたいな白々しさも、オモチャの魅力の前ではきえた。

トミカを一つだけ買ってあげようと、レジで待っているときに、息子が足を交差させていた。ぼくが足を交差させていたみたいだ、本当になんでもよくマネをする。

帰り道は行きとはちがう、道を選らんだ。ここはよくネコがいるので息子とネコを探しながら帰った。

「ネコいるかなぁ?」このときにはすっかりママのことを忘れて帰宅した。
帰宅すると、ママが待っていた。ママを見つけたときの息子のうれしそうな顔をみて、ぼくもうれしくなった。

この日から、ぼくが夜に帰宅すると、玄関に駆けよった息子に冒険に行こうよと提案されるようになった。

昨日、重版が決定しました、ありがとうございます。
DMでたくさん感想をいただいています。
個別の返信はできないのですが、もちろんすべてに目を通しています。

感想を読んでいて、子どもに将来読ませたいという方がたくさんいてホッとしてます。ホッとしたのは本の内容について、ということではありません。

毒親気質の人(自覚がある人)はこの本を自分の子どもに読んでもらっては困るとおもうんです。だからホッとしています

サポートされた資金で新しい経験をして、それをまたみなさまに共有したいと考えています。