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「うまいけど、ダメな写真」と「ヘタだけど、いい写真」

作家の岸田奈美さんと16才の男子高校生に写真を教えることになった。二人ともカメラのことも写真のこともまったく知らないようだ。それでもシャッターを押せばうつるのが写真の魅力のひとつだ。

しっかりのレベルにもよるけど、カメラのことと写真のことをしっかり学ぼうとしたらそれなりに時間がかかる。大学や専門学校で写真を専攻したぐらいだと、撮影現場ではまったく役にたたず、足をひっぱるだけの存在になって辛酸をグイッと飲まされる。(あれ、つらいよね)

どれくらいの時間をかけてどこで何を学んだか。人生で何を考えて吸収してきたか。撮影者の人柄までうつるのが写真だったりする。だからぼくが数時間で何かを教えられるわけもなく、岸田奈美さんと高校生が見たものを写真にどう反映させるかを整えてあげる程度のことだ。100の感動のうち10しか撮れなかったことを20とか30とかにしてあげられればいい。

↓  ここから岸田奈美さんが撮った写真

いいよねすごくいい。釣鐘の中をのぞいて、ハンマーがあることに気づく。それがその人の視点。あとはそれを撮ればいいだけ。写真で撮りやすいのは晴れた日だけど、次に撮りやすいのは、雨と雪の日。頭を悩ませるのは曇りの日。そういう日は夜を待てばいい。雨の日はカメラをしまう人が多いけど、そういう日こそ撮った方がいいのだ。

岸田奈美さんも高校生も専門的に写真の勉強したわけじゃないので、とりあえずぼくの写真をまるッとサクッとパクらせて、数時間で幡野の浅漬けにしちまえばいい。浅漬け幡野がいいのか悪いのかはまた別の話で、どっちかといえば悪いことだ。最悪なのは先生が作例写真をだして、生徒さんがそれを被写体も構図も撮り方も、カメラのみならず三脚まで真似する状態だ。それはただの思考停止だ。写真は考える作業だ。

浅漬け幡野もダメなんだけど、初心者向けの写真テクニック本を読んで、誰も箸をつけないような浅漬けになるよりかいくらかマシだ。デザイナーや編集者など、写真を扱うプロと仕事をしてるフォトグラファーの方で、初心者向けの写真テクニック本を初心者に薦める人はそういないだろう。

標準治療をするお医者さんが患者さんに『病気が消える食事』みたいな本を薦めないこととおなじだ。「読まないほうがいい」そういうのではないだろうか。

二人のカメラの設定を変えた。めちゃくちゃな設定にしている人をよく見かける。めちゃくちゃな設定でも撮れないことはないけど、トロトロな天津飯を菜箸で食べるような効率の悪さがある。いつもはパラパラのチャーハンで例えるんだけど二人とも関西の人なので天津飯にした。関西の人は天津飯をよく食べるよね。関東の人って天津飯をあまり食べないのよ。

ピントが合ったときにピピッ!と音がならないようにした。撮った写真が自動的に液晶に再生されないようした。ピントを中心の一点にした。露出をオートにした。ここまではメーカー出荷時にデフォルトにしておいてほしい。それをやってるのがiPhoneだ。

絞りを統一した、もしもズームレンズ使ってたらテープで固定していたと思う。JPEGじゃなくてRAWで記録するようにした。レンズキャップとフードをはずした。それぞれ理由を説明しながら設定した。

あとは撮るときの注意点を教えた。「みんなが撮ってる写真」を真似しようとしない。バズとバエとエモを脳内から消す。自分が見たものを撮ればいいと教えた。

↓ここから16歳の高校生が撮った写真

バズとバエとエモを消して、自分が見たものを撮ればいいと教えたけど、ここまで素直に実行できるのがすごい。岸田奈美さんとぼくがうつってる。これがもし雨の京都のお寺で岸田奈美さんとぼくの対談企画だとして、この写真がフォトグラファーから上がってきたらかなりうれしい……というか尊敬する。

写真には正解はない。それはそうだ。だけどおおむね正解はあるし不正解もある。バブル時代に流行ったファッションやメイクをしてる人はいまの時代にそういない。バズバエエモはバブリーなのだ。スマホとSNSによっていまは写真バブル時代なのだ。瞬間的に消費する写真ではなく、10年に見返しても恥ずかしくならない普遍的な写真を残したほうがぼくはいいと思う。

写真には「うまい写真」と「ヘタな写真」という評価がある。ここで「うまい写真=いい写真」と誤解するとバブルにハマる。写真には「いい写真」と「ダメな写真」という評価もある。

だから「うまくて、いい写真」「うまいけど、ダメな写真」「ヘタだけど、いい写真」「ヘタで、ダメな写真」の大まかな四つに分類できる。音楽だってそうだ。うまいけど心に響かない歌もあれば、ヘタだけど心がゆさぶられる歌もある。

「うまくて、いい写真」を目指したい人は目指せばいいけど、それはもう天才の世界だ。ぼくは凡人よりのバカなので無理だった。勉強をすればするほど天才の存在を知る。

仕事にはうまさは必要だけど趣味だったら「ヘタだけど、いい写真」を目指したほうが簡単だし、やっててたのしい。趣味の写真に必要なのは辛酸ではなく甘いジュースだ。

二人には写真がうまくならないように、技術的な撮り方はまったく教えてない。それでも二人の写真はずいぶん良くなった。「ヘタだけど、いい写真」でいいのだ。これは二人の性格が素直だから浅漬けにできたんだよなぁ。

二人とも数時間で自分の写真が変わったから、きっと写真がたのしくなったと思う。写真がたのしくなったらあとは勝手に自分でどんどん撮るだろう。そしたら浅漬け幡野から抜けて自分の写真になる。

ロケットが打ち上がるときのブースターになって、必要なくなったらポロッと捨てられるぐらいの教え方でいいのかもしれない。月並みな感想だけど、教えることでこっちが勉強したな。


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