海はなんでも聞いていてくれる

日曜の朝、海に行った。


鬱々とした気分の転換と、子どもたちの暇つぶしを兼ねて。

いつもの海岸、車で25分。




川からの水が海にとうとうと注がれていく、小さな河口の風景も好きだ。

どんなに流れても流れても、海の水は溢れない。

海は広いな、大きいな。

削られて落ちていく、砂壁の凸凹も美しい。

数分で、今私の立つ場所も川になる


海岸を散策する時、子どもたちは2人で勝手に遊んでいる。

貝殻を集めて地上絵を作ったり、カニを見つけてきて、いたぶったりかわいがったり。

「膝までしか濡らしちゃダメ」と約束してある。


私はシーグラスを探しながら、遠くまで歩きすぎて子どもたちの姿が見えないくらい離れてしまうこともある。

海だし、心配していないわけではないけど、2人の遊びをじっと見張っていることはない。

私は、私の時間を過ごす。



中1と、小6の姉妹。

普通なら「中1」のお姉ちゃんに「妹をお願いね」と言うところだ。

だけど我が家は逆。

小6の妹に「お姉ちゃんをお願いね」と頼む。

妹は、私がいない時間、ヤングケアラーとなる。

ヤングケアラーとは、障害のある家族をケアする子どものこと。



先日の某noteで「あなた自身が境界知能、もしくは軽度知的障害なのでは」というコメントがついた。


たしかに私は、普通の人よりはるかに能力の劣る人間ではあるけれど、本物の軽度知的障害児を12年ほど育ててきた経験から言えば、私は発達障害の特性は色々あるにせよ、知的障害はないと思う。
(いや、自分でそう思っているだけで…の可能性は消えないか)

軽度知的障害の本物はすごいから。(育てて実感)



それでも県の「知的障害児」の基準を少し上回ってしまう娘は、療育手帳(障害者手帳)を貰えない。

かといって「健常者」として生きるのは難しい。
私だって、難しいのに。。。

本人も苦しいし、将来的に負担がかかるであろう下の子も苦しい。

(どうしても「お姉ちゃんをお願いね」をするしかない時があるだろうから)

できるだけ長く、私は元気で健康でいて、上の子が大人と呼ばれる年になっても、おばさんと呼ばれるくらいになっても、私が手を引いて導いていく覚悟だ。

きっとそれが苦しくなった日にも、私たちは海に行くんだろうと思う。



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