ひとり交換日記#0

#幼稚園編

永田カビ先生の漫画を読んでしばらく経ったのだが、夜勤をしている時に来月2週間の合宿期間何をしようかと考えていて思いついた。
当方はもう20歳。
これを気に自分自身と20年を振り返った交換日記でもしようではないか。

というわけで、頻繁に加筆修正が入ることを前提に…時系列はバラバラながら少しずつ振り返っていきたい。

拝啓 私へ

お元気ですか。
今日は幼稚園の思い出を思い出せる限り書いていきたいと思います。

幼稚園に入ったのは3歳か4歳の頃。
幼児教室.年中.年長と3年いたと思う。
仏教系の幼稚園で父親が通っていたところだ。28年くらい経ってたがまだあった。
最初にできた友達はmちゃん。梅組、年初のときだった。ちなみに今でも付き合いがある、来月も遊ぶ予定にしている。私の唯一の幼馴染であり、とても美人で大人しい子だった。
年長のときは彼女とクラスが離れ、私はすみれ組になった。細身で髪はゆるい天然のウェーブ、ビー玉みたいに大きく丸い目に薄い前髪という幼稚園児にしてハイクォリティなお嬢様aちゃんと、高身長ガタイ最強、常に仏頂面のお付き人兼姉貴役のmちゃん。おそらくその横にいた私は雑魚メイドBぐらいだったに違いない。今となってはなぜ仲良くしていたか全く分からないが2人と一緒にいた記憶がある。
彼女たちは付き合いが以前からあったらしくお互いの家に泊まって泡風呂に入ったりしたと話しているのを聞いたことがある。ちなみに私はまだ人生で一度も泡風呂に入ったことはない。
私が彼女たちと園外で遊んだ記憶はないので恐らく園内だけでの付き合いだったのだろう。
それと、幼稚園のときにはすでに好きな人がいた。例の如く足の速い男の子、hくんだった。
美形の父母から生まれた彼はかわいい妹もいたが、彼の父親は新幹線の事故で亡くなったと知ったのはずいぶん後のことだった。
他に特筆すべきことといえば、一度だけ男子に囲まれていじめられたことか。
幼稚園児のいじめなんて些細なものなので感覚的にはボクシングごっこに巻き込まれたぐらいだったと今なら思うが、当時は多勢に無勢でなんというリンチだと思っていた。
生粋のプリキュアっ子だった私が必殺技を叫んで彼らを倒そうとした話は恥ずかしいのでスルーさせて欲しい。
あとひとつあげておくならば、私は僅かに他の園児より先生に信頼されていた。運動会やイベントごとでは園児が前に立ってしゃべる役割がたまにあるのだが、その役に抜擢されるのは落ち着きがあってかつ少し長い文でも暗唱して人前で喋ることができる子どもだけだった。
何度か頼まれてしゃべった記憶があるので、私は幼稚園でいい子にしていたのだろう。

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