ひとり交換日記#N

今回は #小学生前編 にしよう。
前編と後編に分けることにする。
前編はおおまかに前半の3年について書こう。

拝啓 私へ

お元気ですか?
小学生の頃のこと、どのくらい覚えていますか?
おそらくあまり覚えていないと思います。
これといった大きな心理的イベントはなかったと思うので覚えていることを書いていきます。よく思い出してください。

1年生の頃から私は礼儀正しい良い子だった。先生からもよく褒められていたしお手本にされた記憶もある。
手は膝の上、背筋はのばして、口は閉じる。
別記事でも書いたことがあるが、5年ぐらいになるまで勉強が簡単に感じていた。もともと勉強は好きなので学習は楽しかったが、試行錯誤するという経験やできないことができるようになるという経験に乏しかった。最初から飲み込みが早くなんでもできていたからだろう。
小1と2では同じ担任の先生に持ってもらった。若くて綺麗で強い先生で、私は好きだった。宿題をさぼる子の机を廊下に投げ飛ばすくらいにはバイオレンスだった。たぶん今やったら教育委員会が入りそうだが。
この頃から記憶力だけは抜群によく、クラス全員の出席番号を完璧に覚えていた。私は6番だった。今でも仲がいい子は2人ほどいるがその子たちの番号も今だに覚えている。何の役にも立たなさそうな記憶だ。
小学生の私は身長も高く、運動も勉強もできて誰とでも喋る何の欠点もない生活を送っていた気がする。
小学生のうちは100点以外を取った記憶があまりない。
このときから私はよく100均のものを持たされていた。ホッチキス、なわとび、文具…、他にもいろいろあったと思う。
周りの子はちゃんと文具屋さんで買ってもらったようなものを持っているのになぜ100円のものを持たされているのか当時は理解できなかった。なんかちゃちいのであまり好きではなかった。文句を言ったこともある気がするが、「使えるからいいでしょ」と丸め込まれていた。反論の言葉がなかった。
正確にうちの家が貧しいことを認識したのはいつだったか覚えていないがこのへんから片鱗のようなものがあった気がする。
幼稚園から小学生にかけて好きだったhくんという男の子がいた。彼は足が速くハンサムなお顔。後々知ることになるがクラスの女子の大半が彼のことを好きだったらしい。私がやったことといえばバレンタインのチョコを渡したぐらい。彼には幼児のころから馴染みの女の子がおり、親が贔屓にしていたらしいが、その子には内緒だけどと、特別なプレゼントをもらった。小学生には驚きの恐らく2.3000円するくまのぬいぐるみだった。ちなみに今でも汚さず大切に保管している。というよりも使いどころを見失っただけかもしれない。
彼は2年の頃転校してしまい、それっきりだった。今はどうしているのか分からないが、まだハンサムでいてほしいと心のどこかで思っている…気がする。
このとき近所のsちゃんと仲良くしていた。が、私は彼女と喧嘩別れをしてしまう。喧嘩別れをした子はこの子が最初で最後だと記憶している。喧嘩のきっかけを作ってしまったのは私で、彼女が好きな男の子からホワイトデーのお返しにもらったものの内容を誰にも言わないでねと言われたのに喋ってしまったことだった。そんなこと喋ったくらいで…と思うかもしれないがもらったものはなんと女児用パンツ。決して本人が選んだわけではないだろうが今考えると親御さんはどんな気持ちでパンツを選んだのだろうか……?

まとめて書いてしまったので次は3年の頃の話をしよう。担任がヒステリック化粧ババアだった。あまり侮辱するつもりはないが歳のわりに若々しさがなく、教壇に立つということは想像以上に歳をとることなのだと思わされる風貌だった。もっとも、当時はそんなこと微塵も考えてはいなかったが、とにかく私はあまり好きではなかった。
このへんの記憶は非常に曖昧で、印象に残っていることはほとんどない。

追記編集が加わると思うがひとまずここで終わっておこう。

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