まずは自己紹介から

畠中亜弥子と申します。会った瞬間からいじられるとゆうイジラレの星の元に生を受けて29年になります。職業は板前です。和食が長かったんですが、今は寿司職人です。本当は板前は和食の料理人、寿司職人のことは板前っていわないらしいんですけど、個人的に職人って感じでもないしなあ、て感じで板前ですと自己紹介することが多いです。

ツッコミどころの多い経歴なのですが簡潔に29年を振り返ると
奈良県吉野郡天川村にある旅館の次女として生まれ育ちました。標高700m平均気温は札幌と同じ、同じ奈良県民にも通じない独特な方言と文化、同級生は9人、先生も警察も近所のおっちゃんおばちゃんも全員家族みたいなところです。小学生の頃、年に1回僻地文化鑑賞会とゆう都会からいろんなアーティストが来て歌やらミュージカルなどをしてくれる催しがあったんですが、今思うとすごいドストレートな名前やなと思います。僻地って。

生き物が好きで田んぼで大量のイモリを袋いっぱいに捕まえてきて一緒に寝たいと言ったり、カマキリにコオロギを食べさせて観察したり、捕まえて飼ってたサワガニが死んだ時には号泣し、愛読書はいきもの探検大図鑑、ファーブル昆虫記シートン動物記、椋鳩十の童話集。中学になると、バードウォッチング検定2級を取得し、餌台にくるヤマガラをながめてはその可愛さにうっとりしていた思春期でした。生き物や植物の絵を描くのも大好きでした。そしてあほみたいに本を読みました。小説家になりたかったおじいちゃんの遺してくれた大量の本をめちゃくちゃ読んで、そしてお母さんの大好きなさだまさしの歌を聴いて日本語って美しい、などと言ってうっとりしていました。よくうっとりしていました。ちなみに昔も今も心の師はナウシカです。

その後美大に進学します。彫刻で入学しましたが途中で転科して、木版画を専攻していました。とにかく美大はめちゃくちゃ楽しかったけどめちゃくちゃ辛かった。答えがないことを生み出して評価されることはとても辛かった。私は楽しくうまく絵を描くことができるけどアートはできない人でした。今ならなんで辛いかがわかるけどその当時は全然わかんなくて、私なんか絵をかいて何になるんだとか社会に何か貢献できるのかとか特別にならなければいけないとかなんだかぐちゃぐちゃで、でも卒業したら嘘みたいに制作が楽しくなりました。

卒業後、料理屋に修行にでます。当時は将来は実家に帰ろうと思っていました。実家の旅館はとても小さい宿で調理も接客も部屋の掃除も風呂の準備も何もかも両親と近所のおばちゃん何人かでしています。人が家に来るのは大好きやし知らない人と話すのも大好きで料理を食べてもらって美味しいとか言われるのも好きで私は実家が大好きです。そんなことで修行にでたわけなんですけど、美大でゆるゆると文科系の人たちに囲まれて、昨日帰り道にめちゃ樹木希林に似てる猫みてん〜んふふふとかそんなことばっか言って生きてたので、急に体育会系のゴリゴリ厳しい和食の世界は本当に、急に張り手されたみたいな感じでした。え?何?みたいな。料理長めちゃんこ怖かった〜しばらく毎日泣いてました。営業中も泣いたりしてそれでまた怒られてました。泣くな!って怒られるのなんか小学生ぶりでした。ただその時の副料理長だった遠藤さんはなかなか変な人でキュウリを切った時の断面がかわいい顔になってたりすると、そっとそのキュウリの顔を私のまな板に置いといてくれたりして、なんとか耐えれていました。(誤解のないように言っておくと私の一番リスペクトしてる料理人です)扱いづらい女の後輩の私の面倒もよくみていただいて、怒られすぎて干からびた日はまたベソかいたんかいぼくちゃん、などと言って後輩ひきつれて仕事終わりに王将に飲みに連れってくれました。結局その日料理長に怒られたネタでイジって大笑いして、遠藤さんは私達後輩のヘマをつまみに飲んでただけなんですけど。(と気付いたのは付き合いが長くなってから)そんないろんな厳しい人と優しい人にもまれてなんとか料理続けてます。
その間にコースの最後に出す甘味もいいもの出したいとかで和菓子屋に勤めたりもしました。その間はあんこ中毒になり毎日あんこを食べ、ポケットにはどら焼きをいつも忍ばせていたので友人からはアンコマンと呼ばれ親しまれていました。その後アンコマンを卒業し英語で料理の説明したいとかで海外就職しようと決意したものの、個人でやられてる割烹や小料理屋みたいなとこはあるけど板前の求人だしてるようなところはほぼ寿司屋でした。
なので寿司屋に転職したんですが、どんどん寿司が大好きになってしまって、なんか絵とか描くときもそうなんですけど、素材もテーマも自由に絵をかいてって言われると自由すぎてなかなか何を描けばいいか決まらないけど、木版画で冬の美しさを表現して、とか言われるとどんどんアイデアがでてくるのと一緒で、握ってだす。とゆう縛りの中だからすごく面白いことできそうな気持ちになったんですよね。カウンターでお客さんの顔を見て話ができるのとかもいい。こっちの想いも伝わりやすい。寿司屋で働いて寿司の勉強をしてから、無事マレーシアの高級寿司屋で働くこともできて、英語も行く前よりかは話せるようになって帰国して、そしてこのたび金沢で4月にオープンする寿司屋の大将になります。女やから大将ちゃうんか、なんて呼ばれるんかな。がんばります。

おととい誕生日やったんですけど、自己紹介がてら自分の今まで振り返れてよかったです。やっぱりアウトプット大事なんやって、やっぱ(最近そればっかゆうてます)

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