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社会人10年の振り返り(その2):iPhone担当として大事にしたこと

アイキューブドシステムズの代表 佐々木が持って来た Yubizo Engine というカスタムアプリの開発者ツールは衝撃的でした。

HTML5とJavaScriptというWEBエンジニアの基礎技術スタックがあれば、自社固有のモバイルアプリが開発できるようになりました。

さらに、多くの法人がほしい機能であるデータベース連携、カメラ、バーコードリーダー、地図、様々なモバイルならではの部品が用意されているので、あとは組み合わせで法人アプリが実現できる、これは本当にエキサイティングな近未来でした。

それまでiPhoneアプリを作ろうとすると、Objective-CというほぼApple製品特有の言語が必要で、開発者の主流である WindowsアプリやWEBアプリの技術者には普及していないものでした。

実は、Yubizo Engine を急ピッチで開発した背景には、アイキューブドシステムズ自体が、私の頻度高い無茶振りなモックアップ開発(通称:モックアップ祭り)のため、社内のWEBエンジニアだけでも開発できるツールが欲しかったことがモチベーションにもなっていたようです。必要は発明の母とは、よく言ったものです 鬼。

実は、この頃、もう一つ、ビジネスでiPhoneを活用している企業向けの情報ポータルサイト「iPhone Business Paradise」を立ち上げたジェナ 手塚さんとの出会いがありました。そのきっかけは

このプレスリリースで、その場で同社に電話し、Appleのオフィスに来て内容や展開を共有してほしい、と伝えものすごくビビられたようです。(サイト閉じろとか言われると思ったとか?..?)

当時は、案外多くの会社さんを訪問することもあれば、形式的に呼びつけることもあったようで、現在近しい人たちの多くは、社会人1年目の私に、当時呼び出されたと言われます 汗。当時の自分を反面教師に、今はほぼ相手のところに飛んでいくようにしています。  

なお、ジェナさんはその頃から、日本でもっとも多くモバイルアプリを開発してきたプレーヤで、企業の業務向けだけではなく、企業が顧客向けに提供するようなマーケティング用途のアプリなども多く手がけられていました。そういう意味でも、企業の中で「モバイルアプリ」はビジネス上重要になるという概念を広めるパートナーとして重要でした。

もう一社、iPhoneを法人市場で広げるために、最もビジネス用途の高いメールとカレンダーのプレーヤを巻き込む必要がありました。

そこで訪ねたのが、グループウェアという領域で、日本市場シェアナンバー1だったサイボウズさんでした。

代表電話からアポを取り、「iPhone向けにサイボウズ製品を対応させてほしい、アプリを作ってほしい」と伝えに行きました。実は、その時にサイボウズ側で対応してくれたのが、いまアイキューブドシステムズで活躍する中光章さんです。製品企画やアライアンス、海外市場開拓などどちらかというと特命系ミッションに強い、ハートフルなメンバーです。

そんなご縁もあり、2011年4月に当時Apple Store Ginza(アップルストア銀座)で日本で初めて「iPhone in Business」というイベントをアイキューブドシステムズ・ジェナ・サイボウズの3社の共催だったと記憶しています。

Appleは様々な制限でイベント主催ができなかったため!、ジェナの手塚さんを中心に企画を進めてもらいました(あと集客も)。大盛況でしたし、ここでモバイルアプリ開発といえば、ジェナやアイキューブドシステムズ、そんな業界的な期待感もやや生まれたような気がします。

その後、私自身がAppleを卒業するまでの数ヶ月、

・企業におけるモバイルアプリ開発や利用をどう普及させるか

・iPhoneを医療の現場で使ってもらうための運動

この2つに取り組んでいました。

後者の医療はまた触れますが、全国の医療職や医療ベンダーを周ってベストプラクティスを集めたり、応援したり勝手にしていたので、会社にはほとんど行っていなかった気がします。ちなみに、事前申請などが面倒だし、そもそも出張理由が行き当たりばったりだったので、国内出張・交通費の経費精算はApple時代に一度もしたことがありません。しかし、そこで出会った人たちの多くが今でも仲間です。

実際、Appleの代理店は当時 SoftBankさんだけだったので、私自身が顧客企業に営業をすることはなく、いかに本国と日本を橋渡ししながら、「私がみて価値があること」を「市場」という形でこの日本にもたらすかに没頭しました。

海千山千のおじさんたちに利用される

ちなみに、iPhoneの担当になった当時、よくソフトハウスのおじさんたちに騙されました。開発者向けの情報が英語ばかりだったりもあって、今ではわかりますが、SIerなどをドロップアウトした下請・孫請のソフトハウスのおじさんたちが、大手のSIerなどへの営業ネタがわりに、私が持っている情報やネットワークを利用しようと寄って来ました。iモードアプリなどで美味しい思いをしたメンバーが多かったと思います。その胡散臭さを見抜く力がなかったので、色々な商談に駆り出されたり、アメリカ本社に公開情報だけではグレーなところを質問したりと、使いぱしられました。

ただ、ある日、クリケットの知人を通して偶然知り合ったイノベーションプラスの小坂さんに「利用されているよ」と注意をされ、目利きの仕方を色々と教えてもらい、パターンが見えて来ました。

得てして、主要な顧客などの名前を語り、その人たちがビジネスとしてこうしたいと言っているから云々、と大きく出るおじさんが多かったです。

そのおじさんたちを通して話す理由はないし、じゃあその主要な顧客と会わせてくれというと、日和る場合がほとんどです。

今ではいい思い出ですし、ほぼ話して10秒で「利用してやろう」という類のおじさんかどうかは見抜く能力が身についたと思います。

1スライド1メッセージ、シンプルにインスピレーションを。

当時から、プレゼンが下手な会社は、いかに実績があっても、いい製品のように見えても、付き合わないと決めていました。これはクリケットというマイナースポーツの協会運営で走り回っていた学生時代からの教訓でした。

マイノリティがメジャーになる、これは大変難しいわけですがベンチャーとはそういうものです。カネもヒトも足りない中、プレゼンテーションで聴衆のハートを掴むのが、実際の所もっとも生産性が高いのです。したがって、成り上がる資格があるかないかはプレゼンの上手さだと、今でも思います。

そういう意味で、様々なイベントにアイキューブドシステムズを呼び出しては登壇してもらいましたが、いつもスライドを修正していました。

宝石のような学び・気づき・インスピレーションを与えられるか。それが勝負であると。例えば、「クラウドとモバイル端末の間にアプリ」がある。これも当時は大きな気づきでした。

それは、Steve JobsがiPhoneの発表会の時に「これから発表する(iPhoneと)は何か?」という問いに対して「タッチスクリーン型のiPod」「革新的な携帯電話」そして、最後に「A Breakthrough Internet Communicator」という特徴を伝えたことからの着想です。

iPhoneは、Internetと不可分なくらいに一体化した存在

そこから始めないといけない、そういうコンセプトを社会の多くに伝えなくては、その影響範囲や価値を見損ない、見誤ってしまう。そう思ったのです。

ただ、様々な場面で、Apple社員としては、本社が作るメッセージを正確に届けることが重要であり、自身が想う未来を語ることは許されていませんでした。したがって、アイキューブドシステムズとのコラボを通して、「モバイルデバイスもアプリもクラウドの一部である」そんなコンセプトを世に推し進めようとせわしく動いていました。


そのような活動をしつつ、私はこのYubizo Engineの発想の父でもあった、ソフトウェア流通会社の担当の方と仲良くなり、ある日、その流通会社さんが、Google Apps の代理店でもあったので、福岡のアイキューブドシステムズと共同でクラウド・モバイルの勉強会を現地で開催することを聞きました。

福岡のアイキューブドシステムズにも行ってみたかったので、そのイベントに出席することにしました。新卒直後に量販店で販売員をして以来の福岡でした。セミナーは、企業がクラウドとモバイルを活用するという文脈で、両社の講演が進みました。

クラウド導入・活用の先に、スマートフォンなどの端末、一般的なビジネスアプリ、そして自社の差別化のための独自のアプリ開発がある

そういう位置付けで、企業は今から準備をしましょう、という内容でした。

多くの地場企業のIT担当者や代理店営業マンのみなさんが、なるほどーと頷いていたのを覚えています。

次の時代は"時間"

その夜セミナーの内輪打ち上げに呼んでもらい、当時アイキューブドシステムズで新卒1年目だった深野慧甫さんが横に座りました。その後私と常に行動をともにし、あっち(妄想・コンセプチュアル)の世界を行ったり来たりすることになるメタレイヤーに生きる男でした。

「畑中さんは農業・工業・情報と時代のパラダイムが来て、まだ情報化時代ですが、"次"は何がくると思いますか?」と聞かれました。

私は、学生時代からその"次"を予見したくて、ずっと考えて来ましたが、いまいちピンと来ていませんでしたが、直感的に「時間」が"次"だと答えました。いまだに、なぜ「時間」と答えたのかは十分明確に説明できませんが、10年近くたっても、まだ「時間(時代)」が次であることは直観しています。絶対、時間がくる。

そんな運命的と今でも思えるやりとりをした次の日だったでしょうか、福岡大野城市にあるアイキューブドシステムズの本社に見学に行きました。その時、私はまさか自分が転職するとは思っていませんでしたが、それは転職の約1ヶ月前のことでした。

バラックに見えた本社社屋

それは、住宅地の中にありました。地主が持っているのか、目の前は広大な家屋があり石垣で囲まれていました。私が知っている会社のオフィスとは全く違う、看板はかかっているけれど、会社ぽくはなく、ガラスの引き戸を開けると入り口でスリッパを差し出されました。私は当時、アップル本社チームの偉い人、という扱いだったので、それはそれはみんな丁重に扱ってくれました 笑

そのアイキューブドシステムズ本社は、社長の家の横に建てられたバラックのような2階建の建物で、会議スペースがある1階からギシギシ鳴る階段を登って開発者スペースに上がっていくのでした。当時は社員は11名くらいだったでしょうか。

東京で我々がびっくりした Yubizo Engine などを生み出すようなスペクタキュラーなキラキラシタエンジニア、を想像していましたが、なかなか地味でタバコくさい、無精髭だったり不健康そうなエンジニアばかりでした。いや、すごいなと逆に感心しました。

その後、社員が1階に集まりAppleの(あのジャイアン)畑中さんから一言、ということで訓示を垂れることになりました。何を喋ったのか覚えていませんが、

君たちはこんな素朴な田舎者なのに、すごくカッコ良くて世界に通用するものを生み出している!世界を目指そう!

そんな超・上から目線で、暑苦しく語ったことだけ覚えています。なお、当時いたみんなが、よくその光景を覚えているらしく、懐かしそうに共有してくれるのは、実は本当に嬉しい限りです。

その後、トントン拍子で、いまのアイキューブドシステムズの主事業CLOMOが生まれ、私自身の転籍も決まっていくのでした。(その3に続く)

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