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分かりやすいという麻薬について

「分かる」と「分ける」の語源が実は同じであることをご存知でしょうか。

いずれも、混沌とした状態から明らかなものを分離するという意味から生まれた言葉なんです。

また、「明らかにする」という言葉は、「諦める」という言葉から来ていて、その語源は仏教用語。これ以上探求したいという執着を手放して、これはもう明らかなものであると分離すること。

つまり「分かった」ということは、真理を突き止めたということでもなんでもなく、自らの思考を停止してそこで理解に至ったことにする、という暫定的なものでしかないのです。

捜査終了。解散。

真理をどこまでも探求していくのが科学的な現代人のあるべき姿ではないのか!?

カール・ポパーという哲学者が、科学とは「反証可能性」があるものだ、という考えを提唱した。

つまりその考え方が間違っていることを、誰かが証明できるものが科学である。

例えば占いは擬科学に分類されることが多いが、これは占いが、外れていることを証明できないからだ、とも言える。当たるも八卦、当たらぬも八卦。

従って科学者は皆、これが本当に真実なのかどうかは分からないけど、こうやったらこうなるという方法は示すので、間違ってたら誰か教えて下さい、という形で、明らかなものを切り出して示すことしか出来ない。

古典物理学における諸法則など、現実を生きる人々からすれば疑いようもない真理についても、科学者達は挑戦してミクロの世界では法則は破綻していることを発見し、量子物理学を編み出した。

こうした、同時代を生きる人達が当然としていた前提が覆されることを、パラダイムシフトという。

僕らは得てして、今現在共有されているパラダイムが、絶対不変な真理だと疑わずに生きているけれど、それは誰かによって常に覆されてきた、暫定的なものに過ぎない。

現実は極めて複雑怪奇なものなので、それを複雑怪奇なまま受け入れることは難しい。そこで人は、事象を理解可能な程度に解像度を荒くするための抽象化を行う。

例えば空から海面を観察すれば、平坦な二次元の世界であって中学生でも分かる方程式で記述できるけれど、海面スレスレまで降り立てば、複数の波が重ね合わせられた、極めて複雑な局面に様変わりする。理系大学生なら、波形を変えずに伝播するソリトン波を見つけてニヤニヤしてしまうかも知れない。

現実世界も僕らは三次元だと信じて疑わないが、宇宙物理学者や素粒子物理学者からすれば、少なくとも十次元ぐらい欲しいなぁ〜ということになる。

空間的に視座を高くするのと同じように、物事の上位概念を取り出して、ざっくりこういうことかな?という形で把握することは便利な反面、捨象した物事について吟味する機会を失う。

歴史認識についても同じですね。

史実は一つなはずなのに、認識の違いによって尽きることのない論争が永遠に続くことは、よくあることです。

ところが時間を巡る認識についてすら、量子物理学者によれば、複数の過去の重ね合わせによって現在が作られているので、単一の過去などないのだということになるわけで。

こうした、パラダイムシフト前夜とも言える、あらゆる常識が覆りつつある中で、分かりやすさというとはとても危険な麻薬。

なぜならそれは、賢明な諸君から疑う心を奪い、思考の歯車を止めさせる、即ち「諦めさせる」ものとなりかねません。

もちろん諦めること自体は、かの著名な宗教指導者ブッダが提唱したように、執着心から離れて心の平穏を得るために必要な生きる技術でもあります。

一方でそれは、常識の奴隷となる危険性も孕んでいる。常識の奴隷は、パラダイムシフトを起こすことはできない。

全ての物事は、混沌の中からごく一部を抽象化して取り出して明らかにした、暫定的なものに過ぎず、常に覆される可能性があるものである。

それぐらい謙虚な気持ちで、分かりやすさと向き合わなければならない。



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