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超短編「燃えた報告書」

なぜ、霞が関の報告書は4〜5月頃にまとめられることが多いのか。

それには幾つかの理由がある。

まず第一に、政府全体のスケジュールの問題がある。予算や法律改正に結びつけるためには、6〜7月に作られる政府全体の成長戦略や予算編成の方針に反映させる必要がある。反映させるための各省協議で戦うためには、有識者がまとめた審議会の報告書という武器を予め用意しておく必要があるのだ。

第二に、人事の問題。6月末に通常国会が閉会すれば、幹部人事を動かすことが出来るようになる。その前に「俺がこれを作った」というレガシーとして、審議会報告書が華を添えることになる。

だったらもっと早く、1〜3月ぐらいにまとめてしまえば良いのでは?と懸命な諸君は思うかもしれない。

確かに報告書の中身は大したことのない既知の情報の羅列である。たぶん1ヶ月で書き上がる。ところがどっこい、霞が関に巣食うこだわりモンスターたちが、それを許さないのである。終わらない情報収集。委託調査費でシンクタンクをこき使い、有識者を集めて延々と議論を重ね、連日の幹部レクで重箱の隅をほじくり倒し、スケジュールの限界いっぱいを使って、一言一句に魂を込めるからこそ、このギリギリの時期までかかるのである。

「お前、酔うといっつもその話してんね」

「すまん。仕事しかしてないからな。この十年、同じ作業の繰り返しだから」

「それで、もう来週だっけ、取りまとめ」

「そうそう。やっとこさ委員の根回しが終わったよ。もう事前に意見は聞き取って反映してるから、来週の審議会はシャンシャンでオシマイ」

「シャンシャン?パンダの名前?」

「あー、ごめん、霞が関用語。大した議論にはならないってこと。多少の修正意見が出ても座長預かりでチャチャッと直せばOK。これで俺も上司から褒められ、万年課長補佐から脱出だな。」

「お前、それ去年も言ってたけどな」

「出世の階段の〜ぼる〜、キミはもう〜、企画官〜さ〜♪」

「そろそろ吐く頃合いだな...。お会計お願いします〜」


そして予言どおりに審議会報告書は取りまとめられた。

某省記者クラブにて、審議会座長と担当課長による内容のブリーフィング(説明)が行われていた。

「要するに今回の報告書の要旨はですね〜、家計調査によると現状では月5万円の支出超過になっている訳ですが〜これは人生100年時代と考えると2000万円の貯蓄が計算上必要となるわけでございまして〜もちろん平均ですので個々の事情はございますが〜これからは貯蓄から投資へとマインドを変えないとですね〜つまりiDeCoやNISAなどの〜」

やっばい。眠い。眠すぎる。

某中堅私立大学出身ながらシューカツを頑張って一流経済誌で記者となり、金融庁記者クラブに配属されたときには同期に「顔採用のコネ配属」と裏口を叩かれたものだけど、それは実際のところ、偽りのない事実。

私は経済学部を出たとは言ってもレポートは他人の丸写しなので、正直難しいことは全くわからない。わからないけど、顔面偏差値を高く生んでくれた両親の賜物を最大限活用して、オジサマキラーとして数々のリーク情報を得てきたのであります。

「大丈夫?寝てたように見えたけど」

「あれ、課長?説明席からワープしてきました?」

「歩いてきたけどね。全体のブリーフィング終わったから。キミもちゃんと記事かいてよ、頼むよ」

「すみません、課長の重低音ボイスが心地よくて。これって要するに、年金だけじゃ2000万円足りなくなるから、ちゃんと貯めてね?って話ですか?」

「いやいや、そうじゃなくて要するに〜」

「あー課長、大丈夫です、わからないことがあったら後で質問にいきますんで!」


新聞社において、重要な門番となる存在、デスク。見出しも記事のアウトラインも、デスク様が納得しなければチラシの裏に書いた落書きと大差ない。すなわちゴミ箱行きである。

「それで、要するになんなの?」

イラつくデスク。これはヤバいパターンのやつや。

「2000万円足りなくなるから、ちゃんと投資とか考えようね?ってことなんですが」

とっさに出てくるボキャブラリーの貧弱さに凹む。

「!?…おまえそれ、年金だけじゃ足りないって政府が明言したってこと?この選挙前の時期に、めっちゃ踏み込んだ報告書なんちゃうのコレ?」

目の色を変えるデスク。

「あーいや、担当課長によると、そういうことではないって話でしたけど…」

「でもほら、年金だけじゃ月5万円足りないぞということでしょこれ。100年安心じゃないんかい。これはスクープや。一面トップあけたる」

「え?一面!わーい、即書き直します!」

これで今年のボーナスも期待できそうだ。


ある朝。

一流経済新聞一面「政府が、老後資産が2000万円不足するというレポートを公表」

国会、炎上。

野党「2000万円貯めろとか、おかしいだろ!年金は100年安心じゃないのか!」

大臣「誤解を与えたとすれば、申し訳ない。」

国会中継のモニターを茫然と眺める課長。


大臣「選挙を前に、不都合な真実を突きつけるんじゃないよ全く。オレは受け取らないよ。」

座長「報告書は修正されたので、もう存在しません。」

与党幹部「試算の前提がおかしいんですよね。90歳まで生きる人はそんなに居ませんから。」

有識者「女性の寿命は伸びてるので90歳まで生きる人は半数ぐらい居ますよ。」

擁護発言がより一層の燃料投下となり...報告書は闇へと葬り去られ...別のトピックが世を賑わせる頃には報告書の内容について語る人は誰もいなくなった。


課長補佐「...課長...私たちは一体、どこで何を間違えたんでしょう...」

課長「さあな...オレも知りたいよ...」

課長補佐「今日はとことんまで飲みに行きましょう...」

新橋のガード下に消えた彼らのその後を知る者は居ない。

(完)

※この話はフィクションです。


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